『自然の鉛筆』|読書記録
写真黎明期、カロタイプを生み出したトルボット氏の『自然の鉛筆』を読んでいきました。気になるポイントをいくつか掘り下げていきます。
写真≠芸術家×版画家?(8頁)
芸術家の腕前は、自然の鉛筆(写真)にとってかわることを示すコトバです。確かに、デジタル社会となった現在において、人間がクリエイティビティを発揮して行う作業は極端に減るに至っています。
版画家としての腕前もインターネット上では必要なくなっています。しかしながら、写真家から一般人まで、色調補正や加工を施しています。デジタル化によってさまざまな編集が身近になってきており、芸術家とは言わなくても、写真が絵画的になっていることは否定できないように思えます。
この流れを踏まえると、動画に関してもアバンギャルドな前衛映画などが映画とは異なる形で発展していくのだろうと思えます。
諦めないトルボット(11頁)
トルボットの信念、記憶を記録化したいとでもいえるでしょうか。スケッチができないことを逆手にとり、自分ができるフィールドにて、カロタイプの発明し成し遂げました。(もちろん化学はさらに勉強したようです)
彼の考え方には学ぶ点が多くあります。
信念=目的の達成のために、自らができることを出発点として再創造(リクリエイト)しています。当時写真というものがないなかで、記録化のために新たなモノを発明することができたことは、トルボットの柔軟な思考を持ってのみ成し遂げられたといえるでしょう。
人の手を超越した写真(23頁)
絵画であれば、被写体が1人ずつ増えれば、制作時間もどんどん増えていきます。しかしながら写真は何人いても、シャッターを押すだけ。現代的にいえば、スマート化したのです。
赤外線カメラの予言(34頁)
彼の洞察力には驚かされますね。写真を作った時点で、赤外線カメラの発明を予言しているのです。なぜ予言できるのか?それは、カメラの仕組みを深く理解していたからでしょう。
カメラの機能性から、こういうことも出来るだろうと現実的な仮説を立てられる力がトルボットにはありました。
私は現代においていえば、エンジニア職から営業職や企画職になるようなものですね。アップルのスティーブ・ジョブズもエンジニア発の経営者を称賛しています。
アナログとデジタルの物質性(17頁)
フィルムカメラはフィルムという物質を介してのみ現像できていました。しかしら今では撮影した後すぐスクリーンで確認できるようになっています。つまり現像というプロセスが非物質化し、また自動化したのです。そのままInstagramなどで共有もできてしまいますね。到底同じものとは思えませんね。
クローンなデジタル写真(18頁)
デジタル写真は離散的な数字の羅列。データに過ぎないからこそ、クローンだという考えにハッとさせられました。だからこそオリジナルとコピーという概念がない。全て同じものであると。
マトリックスを思い出してしまいますね。数字の羅列から始まる世界...
まとめ
以上、『自然の鉛筆』でした。カロタイプを生み出したトルボット氏の洞察力、写真に対する考え方はとても思慮深いものがあります。
ぜひ読んでみてくださいね!
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