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心のネガと世界観

「あなたにとって、一番普遍的な概念って何でしょうか。」
これは魔法の質問ではないかと思ったという話。

 人が思う「最も普遍的な概念」は、その人の世界観の根幹をなしているように考える。その人にとって最も普遍的と言う事は、その概念が、あらゆる事象を考えるにあたってのスタートラインになるからだ。
 故にその概念は、人の思う「自分の心の範疇の外」というか、人の思う「自分の心の浮かんでいる空間」というか、つまり「心のネガ」に無意識で満たされている。
 そして心のネガとは、自分の心を拡張していくべきフロンティアだ。つまり「未知」である。
 そんなネガとなる概念とは、例えばこんなものだろう。

 ●哲学派:主観、無、言語、関係、概念
 ●科学派:数、時空、物理法則、素粒子、因果
 ●神学派:神、精霊、炎、エネルギー
 ●現実派:心、金、肉体、勝利、生死、地球
 ●そんなこと考えても仕方ない派:そんなこと考えても仕方ない。

 最も普遍的な存在を神としている人は、世界を神意が宿ったものとして認識して、未知に遭遇したら神託として心に刻みながら心を拡張していく。
 最も普遍的な存在を数としている人は、未知の現象に数学的働きが潜んでいると認識して、その因果を学んで心を拡張していく。
 仕方ないと思っている人は、うーん…、未知は自分の認知の延長でしかないと思ってるのかな、多分。

 これってつまり、各個人の世界に対する認知の仕方そのものである。未知に出会った時に人が、それがどんな風に解釈しうるかと検討するスタート地点が、最も普遍的な概念なのだ。


 さて、ここからが重要なのだが、そう考えると、
「あなたにとって、一番普遍的な概念って何でしょうか。」
 この問いは非常に実用的で面白い。

 なぜなら、「あなたは如何に世界を認知していますか」って聞かれて、それを言語化して伝えられる人って、多分かなり少ないからだ。認知って何?如何にって世界は世界でしょ?!ってなる。
 しかしこれを、「あなたは何が最も普遍的な概念だと思いますか」という問いに入れ替えてみると、かなり回答がしやすくなるのではないだろうか。

 相手と自分のお互いの「世界に対する認知の仕方」を共有できるのは、対人関係で何かと便利だ。思想の違いによるすれ違いが可視化できるからだ。そして、相手の視点になって考察する時に、現象に対してまず何を連想したから、あんな行動になったのか、という指針にもなるだろう。
 例えば、普遍が「無」な人からしたら、未知のことを想像で喋ることは愚かな行為でしかないし、普遍が「法則」な人からしたら、未知のことも法則的に類推するのは自然な行為だ。

 このように、「相手の普遍を知る」→「相手の心のネガを知る」→「相手の世界に対する認知を知る」→「相手の無意識的な考えを知る」、という連結がされているため、
 この哲学的な問いは、コミュニケーションの円滑化に活用できる(多分)魔法の質問なのでのである。


 蛇足だが、宗教とは人の心にとって最も普遍的な存在を統一する思想体系と言えるだろう。神であり、悟りであり。信じた人の心のネガを、宗教が画一的に定義する。これ即ち、人の集団の間で世界の認知の仕方を共有させるということだ。
 それ故に、宗教があると意思疎通におけるの齟齬が減り、同胞意識が芽生え、強固な集団となれるのだろう。社会集団を強くするミームが宗教なのだと思う。

 更に蛇足だが、「何を普遍とするか」という価値観の間に、上下関係があるのかはよくわからない。ギリシャではどっちがより普遍的かどうかで議論バトルしてたみたいだし、古代の人たちは抽象度で勝つとより哲学的に上位だったみたいだけど。
 ただ、現代の価値観では人それぞれの個人差の範疇なんじゃないかと思っている。(ダイバーシティ時代や。)
 そして、そうやって個人差があるのであれば、回答に性格タイプが関係あるのか、アンケートを取ってみると面白いのかもしれない。

 ちなみに、僕はこの問いに対しては「数」と答える。数はいかに抽象的な概念も数を内包していると思うし。物理法則はこの宇宙の中だけの法則だが、数学という法則は宇宙が始まる前も終わる後も、多分変わらないだろう。(NTPっぽい。)

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