北村 咲夜

神、魂、人間について見つめ、分析した結果を綴ります

北村 咲夜

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善悪とは何か

私たちは生きていく中で、善悪を目にし、 善を敬い、悪は排除すべきものとして教えられる。 私たち自身は、個々でそれぞれに善悪の価値観を抱いている。 この「善悪」というものは、はたして普遍的なのだろうか。 人の善悪、神の善悪、宇宙の真理としての善悪 これらは、共通なのだろうか。 一般的に私たちの社会では、 道端のゴミを拾う、 他人が嫌がることを行う、 人を助けることは 「善」とされ、 物を盗む、 嘘をつく、 人を騙す、 人を殺すことは 「悪」とされる。 例えば、ある人(

    • はなす ということ

       ヒトは自分の考えを発信するとき、頭の中でイメージする言葉、ビジョン、感覚、イメージの全てのうち、限られたものしかアウトプットすることができない。そして、そのアウトプット情報を受ける受信側も、聞いた/見た内容のある程度の割合しかインプットすることができない。仮に発信/受信のどちらも50%ずつの効率だとすると、元の発信者が伝えたい全てのことのうち25%しか受信者には伝わらないこととなる。発信/受信の50%はかなり効率の良い見立てだろう。これが20%同士であれば、最終伝達率は4%

      • 信じる ということ

         信じるとは、うそ偽り無く確かに正しいと考えることであり、それを強く思い込んで受け入れることにある。人を信じることは、当てにする、頼りにすることであり、信頼・信用とも言い換えられる。ヒトが人を信じるとき、その相手は味方であり(少なくとも敵ではなく)、理解することが可能な一定の共通認識を持つ相手であることが前提にある。しかし、ひとたびその相手が、想定外の言動や行動を表したとき、ヒトは裏切られたと感じる。その言動や行動が、自分の認識から大きくかけ離れてしまうと、時には敵意まで抱い

        • わかる ということ

           「わかる」という言葉には、いくつかの意味が含まれている。例えば、物事の道理や筋道、内容を理解すること。理解することは、つまり知ることや、意味を飲み込むことである。あるいは、判別すること。判別することは、見分けること、正誤を判断することである。または、単に了解・承知すること。願いや要求、意見などを聞き入れ、引き受けることである。日常ではこれらのどれか、または複合的な意味で、私たちは「わかる」という言葉を用いている。  私たちヒトにとって、「わかる」ことは様々な行動原理に紐つ

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        善悪とは何か

          比べる ということ

           私たちヒトは、常に他者と比べようとする。近所を散歩するときと同じ服装で友人の結婚式に参加することは多くの人が躊躇するだろう。その場にいる他者の服装のみならず、言動、行動、表情など、その社会の中での自分の位置や役割を適切なものとするべく、周りを観察して自分と比べようとする。またあるときは、自分よりもレベルが高い人を探して目標を定めたり、逆にレベルが低い人を見つけて安心しようとする。社会の中では比べることを全く無しにして生きることは難しい。  比べるのはヒトだけではない。動物

          比べる ということ

          分ける ということ

           私たち人間は、個でありながら、社会の一員として生きている。生まれた時から常に自己と他者の境界を持ち、また距離を測りながら成長していく。社会の中においては、味方か敵かを瞬時に見分けようとする性質を持っている。ただし、「見分けられる」わけではない。あくまで「見分けようとする」性質だ。したがって、その判断はいつも必ずしも正しくはない。  産まれて間もないヒトにとって、目に映る全てが初めてのものだ。自身の手足すら自分の身体であると統一性を持って認識出来ていない。例えば、赤ん坊が指

          分ける ということ

          私たちはどう生きるべきか

          筆者がこれまで述べてきたことを表面的に見れば、 「神はいない」 「魂はない」 「物事に選択肢はない」 「人生に意味はない」 「善悪はない」 と、ネガティブな結論と思われるかもしれないが、これは正しい捉え方ではない。 これらを正しく言い換えると、 「固有の神は存在し得ない」 「魂は区別し得ない」 「物事に選択肢はないが、未来を見ることはできない」 「人生への意味付けは生きることの原動力にもなるし、捉われにもなる」 「善悪は全ての視点において異なり、“絶対真理”としての善悪はな

          私たちはどう生きるべきか

          世界の分析

          この項では、これまで述べてきたことから、要点を以下の通りまとめる。 人間と動物には区別がないが、人間は複雑な言語を手に入れたことによって文化を発展させ、遺伝子に加えて、『ミーム』の伝達が種の生存維持の目的に組み込まれた。 https://note.com/tem_jin196/n/ndd483d79c62a 思考と想像力の発達は、未来を予測する力を得て文化の発展に寄与したが、同時に、『生老病死』の苦悩を持つこととなった。これを解消するために、再び想像力の力を借りて、神的な

          多角的な視点で見るということ

          私たち人間は社会性の動物であり、 また、他の動物よりも言語と創造の力に長けているため、 複数の視点を持って思考し行動する生き物だ。 であるから、私たちは、  個の視点  他者の視点  自身の属するコミュニティの中での、自分の視点と、他者の視点  他のコミュニティの中での、ある人の視点と、また別の人の視点  物語の中にしか実在しない人の視点  人以外の動物の視点  植物の視点  モノの視点 などのあらゆる客観視を持って、物事を視ることができる。 私たち人間の社会には、『文化』

          多角的な視点で見るということ

          個体差とイレギュラーがもたらすもの ②

          不平等であることは、程度の優劣だけではない。 全体の中で、ごく少数の言わばイレギュラーとも取れる 性質を持つ個体も生まれる。 人間の場合、  ダウン症に代表されるトリソミー等の染色体異常、  脳の中枢神経欠陥による知的障害、  遺伝的要因や脳神経構造に起因すると言われている  サイコパスなどのパーソナリティ障害、  アルビノ、トリーチャー・コリンズ症候群、  その他、身体的・精神的障害に関わるものなど。 これら多数派から漏れるイレギュラー的な個体は何故発生するのだろうか。

          個体差とイレギュラーがもたらすもの ②

          個体差とイレギュラーがもたらすもの ①

          福沢諭吉が書いた 「学問のすゝめ」の冒頭において、 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とある。 辞書の用法では、この部分は 「人間とは生まれながらには平等である」とされる。 しかし、「学問のすゝめ」冒頭の文に続く文章では 辞書の用法とは真逆のことを伝えている。 以下に引用する。 この後に続く文章で、福沢諭吉は 「富や地位はその人の働き次第で決まる」 「賢さは持って生まれたものではなく、自分が学んだかどうかで決まる」 と説き、 「本人の努力次第で賢い人になれ

          個体差とイレギュラーがもたらすもの ①

          量子論の視点からみた世界の進行

          前項では、「今」は連続であり、分岐はし得ないと述べた。 しかしここで、量子力学・量子論を避けずには通れない。 物質を細かく見ると、分子・原子で構成されている。 原子は原子核と、その周りを回っている電子からなり、 さらに原子核は陽子と中性子からなる。 陽子・中性子はクウォークと呼ばれる さらに小さな粒子からなり、これらは素粒子とも呼ばれる。 電子や素粒子は、粒子のようにも波のようにも振る舞うことが 1900年代初頭に発見され、これまでに多くの研究者が この不思議な現象を理解

          量子論の視点からみた世界の進行

          「今」はどこから来たか

          私たち人間は産まれてからこれまで、 数多の分岐点で選択肢から一つを選び、 人生の道を歩んできたという感覚を持つ人が多いだろう。 筆者もその感覚の持ち主の一人である。 小説や映画・漫画では、パラレルワールドやタイムリープが題材として、 あるいは物語のシステムとしてよく用いられる。 過去を変えることで元の未来が変わり、その中を登場人物が活劇する。 では、実際に私たちが行動する過程で、 選択肢から選ぶことはあり得るのだろうか。 この世界の物体は絶えず動き常に変容している。 物体

          「今」はどこから来たか

          人間の「社会」の特徴

          人間の社会形成は、もともとの動物的な集団形成と遺伝に加えて、 知能の発展と言語の開発によって巨大かつ複雑に形成され、 一見すると動物のそれとは様相が大きく異なって見える。 では、人間の社会は動物のそれとはどのような違いがあり、 それは私たちの思考や認識にどういった影響を与えているのだろうか。 例えば、動物界では身体的欠陥がある場合、生存確率は限りなく低くなる。 サバンナの鹿の集団の個体が足に怪我を負って歩けなくなった場合、 これは致命的だ。 そしてハンデを負った鹿を、集団

          人間の「社会」の特徴

          「社会」がもたらすもの

          「社会」は、人間だけでなく動物たちにもある。 多くの哺乳類は子育てをする。親子は生まれて初めて関わる社会である。 親は子のために餌をとり、外敵から守る。 子は親を慕い、見習い、真似をして、旅立つ。 鳥類もその多くが子育てをする。 また、彼らの中には群れで暮らすものも多い。 親子以外の同種との集団生活が行われる。 成長に伴って、群れでの戦略的な狩りや、 縄張り争い、繁殖争いが行われる。 この中で、自身の利害、他者の利害を意識的/無意識的に 考慮した行動がなされている。 こ

          「社会」がもたらすもの

          社会性動物としての人

          ここまでは、主に個の視点によって考察を進めてきた。 しかし、人間は集団の生き物であり、集団だからこそ発生する性質がある。したがって、ここからは集団の中での人間について考えていこう。 地球上の私たち人間が同一の種族であるということは、 ほとんどの人が同意するだろう。 もちろん、人種の違いはあるものの、 基本的な身体的特徴や脳の機能は同じである。 チワワとブルドッグとラブラドールレトリバーが 互いに会話できるかは分からないが、 私たち人間は異なる人種であっても、 言語を習得し

          社会性動物としての人