noteはクオリティよりも熱量らしいって話

ここ40日ほど続けてnoteを更新しているが、なかなか伸びない。
少しずつ伸びてはいるが、正直努力に見合った量ではない。

ウケているnoteを色々見たが、正直なんでウケているかわからないものも数多い。
そこで、色々と見て分析してみた。

そうして、たどり着いた仮説が「noteはクオリティよりも熱量なのでは?」だ。
逆に素人くささがウケにつながっているきらいすらある。

noteは記事のクオリティではなく、著者のタレント性と内容の唯一性で勝負したほうがウケるようだ。
よくまとまっているが、著者性がよく消臭されている新聞記事よりも、乱雑だが著者の雑味がよく煮込まれた乱文のほうが跳ねる傾向にある。

となれば、毎日更新はあまり重要点ではないのでは?
そこまで思いつくのに時間はかからなかった。

毎日更新されているよりも、「何を言っているか」がより重要視されるメディアがnoteなのだろうと思う。
だからこそ、更新頻度にかまけて内容の薄い記事を量産するならば、ある程度感覚が開いても面白いことを言ったほうがウケるのだろう。

クオリティも重視されるが、あくまでその次。
文章の優劣は審査されるが、それが決め手となって跳ねることは稀だ。

また、自分語りがよくみられるのも確か。
自分の人生をより面白く着色しながら、その唯一性をアピールするような記事が伸びるようだ。

まとめると、すべては著者性(唯一性)を出せるか否かが論点のように思われる。
自分の人生や日々の日記による随筆などは、唯一性を出すために好都合だ。

逆に、その著者が言う必然性のない記事はウケない。
どれだけためになろうが、そこを見に来ているのではないからだ。

明日以降の反省に活かしたい。

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