【治療9日目】背水の陣に臨む【白血病】

 いよいよ選択の時が来たように感じる。

死んで当然、生き残れば奇跡

 これが自分の人生最大の選択になる。


↓↓↓↓前回の記事はこちら↓↓↓↓



▶前々処置の効果測定結果

 現在、移植の前段で可能な限り白血病細胞を減らすための処置、通称『前々処置』を行っている。具体的な服用中の薬品名等は前回の記事に記載した理由で伏せる。まずはこの処置の効果測定の結果とそれに伴う今後のスケジュール感を共有する。 

▷前々処置の効果測定結果

効果なし だが、前々処置を1週間延長し経過観察する

 効果測定の方法は、日々の採血と骨髄穿刺による目視での確認になる。先日wt1腫瘍マーカーの検査も出しているがその結果が出るのは1週間以上時間が必要となるため、それに先駆けての判断となる。

▷前々処置延長の理由

 本来は前々処置の効果がなければ前処置に移行する予定であったが、いくつかの理由で前々処置を延長することとなった。

①前々処置で服用した抗がん剤は本来の服用量よりも少ない
②前々処置で服用した抗がん剤は比較的新しく、副作用が小さい
③別の抗がん剤を服用する選択肢もある

 これまでと言っていることが若干異なる。そもそも③をやっている寿命の余裕がないのではないかということで先生にも確認したが、10月上旬の検査結果から、良くも悪くも白血病細胞の侵攻は小康状態となっている。8月から10月までの間の悪化具合と比べると大きな変化は見受けられないと言えるような状態だ。それにより、わずかではあるが前々処置に充てることのできる時間的な余裕が生まれているようだ。

 そこで上記3つの理由があり、以下の選択肢が浮上した。

▶現時点での選択肢

(1)前々処置で服用した抗がん剤を本来の服用量に引き上げ効果測定
(2)別の抗がん剤を用いて効果測定
(3)そのまま前処置に移行
(4)治療を終え、終末期医療へ移行

 現時点では移植を行う予定の自分としては、移植の成功率をできるだけあげたうえで前処置へ移行したい。なので(3)は選択肢から除外される。
(4)はこの選択肢と比較する内容ではないので現時点では考慮しない。
(1)、(2)の選択肢の中で、自分は(1)を選択したい旨を先生に伝えた。理由は以下の通り。

▷(1)を選択する理由

 選択肢(1)で服用する抗がん剤を(1)、選択肢(2)で服用する抗がん剤を(2)としたとき、両者には以下の違いがあるそうだ。

副作用の大きさ:(1)<(2)
自身の病気への効果(症例):(1)>(2)
自身の病気への効果(実情):(1)≈(2)

 というような感じで違いが発生する。(1)が比較的新しい薬であり、副作用も小さく、自分の身体に見受けられる白血病細胞に対して有効であるという症例データが多いそうだ。
 一方(2)は比較的古典的な薬であり、白血病細胞に対して押しなべて有効ではあるものの、しっかりと副作用が現れるようだ。ただし、今の自分のような症例に効果的だという症例あまり見かけないそうだ。

 そして現実問題として、このどちらを服用したとしても、自分に有効なものなのかは(試してみないと)わからないというのが先生の現時点での判断だそうだ。

 効果が出る可能性がわからない以上、自分は、『最悪の事態が発生した時によりどちらが悪影響を及ぼすのか?』を基準に考えた。

 最悪の事態とは、前々処置で用いた抗がん剤が一切効果を見せず、白血病が進行してしまっている状態で前処置へ移行する必要が発生する状態だ。

 その時に、副作用の大きさがより大きい(2)の方が、身体により大きなリスクを抱えた状態での前処置の開始になる。そもそも移植に耐えられるのかわからない自分の身体にこれ以上の負荷を抱えさせるのは避けたい。
 その点を考慮すると(1)の方が合理的だと思う。そして恥ずかしい話だが、これ以上きつい副作用を受け入れるだけのこころの余裕がないのも現実問題だ。

 移植およびその前後は文字通り生まれ変わりのため死ぬ思いをする。これは経験者にしか絶対に理解できない感覚だ。それが眼前に立ちふさがっている以上、それまでのつらい思いはできるだけなくしたい。

 もちろん、積極的な理由もある。自分に似た症例に対して有効であることが期待できる(1)の抗がん剤、この1週間の服用量はいわば『お試し期間』、これを本来の服用量にしたときにどの程度身体に効果が出るのかというのも気になる。(効果、副作用がどの程度になるのかは不明だが)

▷最終判断は先生に委ねる

 とはいえ、(2)の抗がん剤を選択するという選択肢を先生が示した以上、こちらにも一定の利があるのだろう。
 すでに自分の頭ではどちらがいいのか、何を選択すればよいのか判断できるほどの余裕はない。
 なので、自分が選択したい旨は伝えたうえで、最終判断は先生に任せる。
何とも人任せであるが、すでに自分の状態、進行状況や将来のことでいっぱいいっぱいであるので、自分よりも自分の身体に詳しい人に判断をゆだねようと思う。

▶今後のスケジュール

 そんなこんなで今後は以下のスケジュール感で動く可能性が高い。というのも不測の事態が起こればまた変更がかかる可能性が十分にあるため、現時点でのスケジュールというイメージだ。

・10月末~:前々処置②(1週間程度)
・11月上旬:効果測定
・11月上旬:前処置
・11月中旬:臍帯血移植
・11月中旬以降:経過観察
・2023年内:生着?

 あくまで理想的に進んだ場合である。先生としては、体調の問題がクリアできれば、(2)の抗がん剤も試したうえで、できる限り白血病細胞を減らしたうえで前処置に移行したいとのこと。それ以外にも不測の事態や、身体が治療に耐えられず死亡してしまう可能性も十分にある。それでもやはり、今年の年末年始が自分の人生の大きな峠と言える。

▶雑記

 先日、自分が入院する病院に、移植時に提供してもらう臍帯血が運ばれてきたそうだ。臍帯血や造血幹細胞を運搬する場合には、1度極低温に凍結し、専用の容器で覆ったうえで運搬されるようだ。そのため運搬業者も専門の方達らしく、慎重に慎重を重ねたうえで届けられる。人の命を救うかもしれない代物だから、それくらいは当然なのかもしれない。

 前回の親族の造血幹細胞を採取した際に、保存期間は約2年とうかがった。おそらく臍帯血も近しい年数の保存が可能なのではないかと思う。ただし、そこまで悠長に構えるほどの自身に時間と体力の余裕がないのはわかっている。それに自分が持て余したりしたら、その間にこの臍帯血で救えたかもしれない命を自分が殺してしまう可能性すらある。

いよいよ選択の時間が来た

 そう感じる。すでに首にCVポートを入れ、移植に向けた前々処置を行っているあたり、そういうことである。ただ、あとひと押し、自分の背を支えてくれるものが欲しいと思っていた。

▶妻、娘との面会

 妻、娘と面会できた。時間は約15分、当然マスクはしていたが、直接触れ合うことができた。本来は未成年の面会は制限されているが、先生が病院側へ掛け合ってくれて、特例として許可をいただいた。
 それほど今回の治療の難易度が高いことを示しているのだろう。指に刺さった棘を抜くくらいならこんな大事にはならない。

 約2か月振りに直接目にした娘は大きくなっていた。伸長や体重はそこまで極端に変動したわけではないと思うが、2か月前と明らかに佇まいが違っていた。季節が変わり、服装が変わったからかもしれないし、親ばかと言われればそれまでだが、確かに成長していた。

 会って最初に、抱っこした。まだしっかりと抱っこができることにひと安心しつつ、確かに大きくなった娘の成長に感動した。
 膝に抱え、同じ方向を見ながらお父さんの病気について改めて説明した。
顔を見て説明できる自信がなかった。すでに電話や動画で何度か説明をしていたおかげか「病気に負けたら会えなくなっちゃうんだよね?」「もうお話もできなくなるんだよね?」という事実を確認され、困惑しながらも肯定した。「そしたら私も死んじゃうから大丈夫。」とギョッとすることをいうのは、やはりまだ死んでしまうということを正しく理解できていないのかなとも感じてしまった。

 説明をした後は、娘のお話のターン、今日買ってもらったおもちゃや、この間の運動会でもらった金メダル、入院中の自分が寂しくないように折ってくれた折り紙の猫をプレゼントしてくれたりと年相応に遊んでいる様子を見て安心もできた。娘は賢い。その分周りを気にする部分もあるので、年相応のふるまいを見れる時が1番安心できる。園に持っている水筒が新しくなっていた。自分が入院した直後位に買い替えたらしい。多少重いようだが、本人がそれを気に入っていて重用しているようだ。そんなことも知らない情けない父親に腹が立つ。

 改めて時間は平等に流れる。あっという間に先生と約束した時間になった。今の自分は外部の人と会うだけで感染症等のリスクを背負うことになる。ふたりが帰られるように準備をした。
 時間を作っていただいた看護師さんたちにお礼を言いに行って、エレベーターまでふたりを見送る。エレベーターがどっちから上がってくるかなんて話をしてたらあっという間に迎えが来た。
 最後に娘をぎゅっとした。園に行くのをぐずったりする時とかもよくやっていたなと少し的外れなことを考えながらエレベーターに乗ったふたりをドアが閉まるまで見ていた。娘も妻もこちらを見返していた。

 ドアが閉じた瞬間から、後悔にも近い感覚が自分を包んでいた。
 自分はこの時間の中で、ちゃんと父親として話すべきことを話せたのだろうか?伝えるべきことは伝えきれただろうか?もっとうまく話す術があったのではないのか?考え出すときりがない。

 娘は帰りの車内で「もう1回会いたい」と泣きながら寝たそうだ。賢くても4歳半、時間感覚まだあいまいでどのくらいの時間一緒にいれたのかもわかっていないだろうし、もしかするとまたすぐに会えると思っていたのかもしれない。
 もっと話したいこともあったようだ。
 続きは生き残って、家に帰ってからゆっくり話をしようと思う。

移植に挑戦する

 今日の面会が最後のひと押しになってくれるのかはわからない。正直今すぐに帰って娘と話したいという気持ちは面会前よりも強くなっている。それでも自分を確かに支えてくれている存在の最たるものだ。

 生き残って、話の続きは家でゆっくり聞く。
 ここからはそのためにやれることをやっていこうと思う。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!