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ヴェネツィア物語

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ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意、ヴェネツィアをめぐる物語。
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#都市型スローライフヴェネツィア的生活

ヴェネツィア物語

これから長々と私のヴェネツィア物語をお話しします私たち夫婦は、縁あってヴェネツィアとそこに暮らす人々に出会いました。 これまで長い間通い続け、そのコミュニティーに身を置き、自然環境と シンクロした昔ながらの暮らしに触れてきました。 #都市型スローライフヴェネツィア的生活ヴェネツィア、とりわけヴェネツィアのマンマに出会って、確実に人生が 変わったと思っています。 生活の質、ほんとうの豊かさ、自分らしく生きるということーー。 多くの人にヴェネツィアで暮らす人々の生活を知ってもら

ヴェネツィア的節電

3.11直後、節電モードになった東京は一時ヨーロッパの町のような灯りの量になり、町としての風情を取り戻したように見えました。 本来陰影礼賛の文化を持つ国なのだから、抑制のある美について感じるものがあるはずだと、少しほっとしたものです。 25年前にヴェネツィアとそこに住む人々の自然とシンクロして生きる暮らしに出会って、生活の質、本当の豊かさとは何かに気づかされました。 以来、ヴェネツィアに通い、東京においてもヴェネツィア的生活と称して 小さいエネルギーで暮らす都市型スローライ

ナターレのダンスパーティー

少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、 自分らしさが保てないような気がしていた。 大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、 私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。 そのヴェネツィアも、この数年でおそろしいスピードで様変わりしている。 愛するマンマのいたあの頃のヴェネツィアを懐かしく思い出す。 2007年の冬、久しぶりに過ごしたヴェネツィアのナターレは いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。 クリスマスの大切な思い出シリーズ、

SALE E PEPE 塩と胡椒

少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、 自分らしさが保てないような気がしていた。 大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、 私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。 2007年の冬、久しぶりに過ごした北イタリアのナターレは いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。 クリスマスの大切な思い出シリーズ、その2は、 北イタリア、フリウリで過ごしたクリスマスの大切な思い出。 スロヴェニア国境に近い山奥のトラットリアでの、 多国籍混成総

スロヴェニアの森にて

少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、 自分らしさが保てないような気がしていた。 大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、 私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。 2007年の冬、久しぶりに過ごした北イタリアのナターレは いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。 クリスマスの大切な思い出シリーズ、その3は、 国境を越えてスロヴェニアの銀世界でスプマンテとパネトーネの ピクニックをした、素晴らしい1日。 スロヴェニアの森にて

スノードームの世界

少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、 自分らしさが保てないような気がしていた。 大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、 私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。 2007年の冬、久しぶりに過ごした北イタリアのナターレは いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。 クリスマスの大切な思い出シリーズ、その4は、 北イタリアのフリウリの山村で過ごしたクリスマスイヴ。 「私たちの住むこの世界はは思ったよりずっと小さく閉じていて、 確

コウノトリの住む村に

北イタリアのコウノトリが住む村の農場で、アグリツーリズモ体験。 自然の中にすっぽりと包まれて、お腹も心もこれ以上満たされることはないほど一杯になる。 5月のとある日、我々の車は北イタリアはフリウリ州のウーディネ郊外の 田舎道を走っていた。 我々というのは、例によってアントネッラとダニエルのカップル、キアラとエマニエル夫婦と子供たち、そして私たち夫婦といういつものメンバー。 目指すのは、FAGAGNA(ファガーニャ)にあるファットリア、そのまま 訳せば「農場」だけれど、つまり

イタリアナターレ狂騒曲、モミの木の下に

イタリアのナターレ(クリスマス)の準備やプレゼント作戦の顛末、 聖夜に繰り広げられる狂騒曲をお話ししましょう。 時は通貨がユーロに切り替わる2001年12月のことでした。 ヴェネツィアで過ごす初めてのナターレ 2001年12月 先月亡くなったパパ・ヴィットリオのお墓参りと、ひとり暮らしになって しまったマンマのお見舞いが目的という今回は、ヴェネツィアで初めて 過ごすナターレでした。家族みんなが集まるナターレの時期に行ってみたかったものの、こんな理由でヴェネツィアに向かう

ヴェネツィアの声

昔、ヴェネツィアでDAT録音した鳥の声、水音、市場の 賑わい、朝の中庭の響きなどの環境音。 それを聞きたいと思っても、肝心のDATデッキが壊れてしまって 以来、ずっと放置していました。 2018年の展覧会を機に、DATをデジタルデータ化することにしました。 失われた記憶を辿るべく、ヴェネツィアの声の再生。 ヴェネツィアのマンマがどこからか指令を出したような気がしています。 ヴェネツィアの声 2005年11月この間片づけものをしていたら、昔ヴェネツィアで録音したDATテープが

晩秋のヴェネツィア 2016年

2016年の晩秋、ヴェネツィアに行きました。 その旅はひとことで言えば、法事のようなものでした。 マンマとの思い出のいっぱい詰まった家を整理し、チミテロにお墓参り をし、家族や親しい友人たちとマンマの思い出を語り尽くしました。 いつものようにうきうきとする楽しい旅ではなかったけれど、 行ってよかったと心から思う。 私の人生もまたひとつターニングポイントを迎えていると感じています。 マンマが私に手渡してくれたものを大切に、 次へと伝えていかなければならないと思っています。 マ

アペリティーヴォのすすめ

ヴェネツィア名物の食前酒APERITIVO=アペリティーヴォといえば、 白ワインベースのカクテル、SPRITZ=スプリッツ。 明るい赤色のお酒は日々の暮らしの楽しいアクセントです。 ヴェネツィア暮らしのアクセント 食事の前の軽い一杯、アペリティーヴォはヴェネツィア人にとってなくてはならないものとして町歩き=パッセジャータとセットになっています。 ヴェネツィア暮らしの昼食は午後1時くらい、夕食は夜9時くらい。 マンマと一緒に夕食前はもちろん、お昼の前もアペリティーヴォ。 市場

人生はパッセジャータ

もっともヴェネツィア的なひとときといえば、 それはまちがいなく午後のパッセジャータの時間。 passeggiata というのは「歩き」という意味ですが、 いわゆる散歩というのとは、ちょっとニュアンスを異にする 日常的な町歩きのことをいいます。 ヴェネツィア暮らしはパッセジャータに始まりパッセジャータに 終わる。なにしろここでは自動車が一切入って来ないので、 公共交通の水上バス以外はひたすら歩くしかないのです。 どこへでも歩いていくヴェネツィア イタリア人の多くは「毎日が同じ

ヴェネツィア未来の記憶

ヴェネツィアとそこで暮らす人々に出会って以来「本当の豊かさとは何か」を問い続けています。2000年に「ヴェネツィア的生活」という本を 出したのをきっかけに始めたホームページ。 そこには、我が愛するマンマロージィと過ごした時間が リアルタイムで刻印されています。 ヴェネツィアについて語りたいことは今もずっと変わっていません。 マンマが私に手渡してくれたもの、それをまた次の誰かに伝えていきたい。2009年に経験した「未来のシュミレーションをしているような既視感」。 今思えば、それ

ヴォンゴレかカパロッソイか

実家への里帰りよろしくヴェネツィアに通うこと25年あまり。 私にとって何より大事なのは、マンマ・ロージィと過ごす時間、 そして世にも幸せな味のマンマの料理を学ぶことでした。 本当の豊かさとは何か?マンマが私に手渡してくれたものを、 その味とともに、次の誰かに伝えていきたいと思っています。 アサリのスパゲッティを食べないヴェネツィアっ子アサリのスパゲッティは、おそらく日本人が一番よく知っている イタリアン、パスタ料理のひとつではないでしょうか。 そしてSpaghetti al