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リチェッタの秘密

ヴェネツィアの家でマンマ・ロージィと過ごした日々。
他愛もないおしゃべりをしながら市場へ買い物に行き、狭い台所に立ち、
円い小さなテーブルで食事をする。ただそれだけであたたかい気持ちに
包まれる、何ものにも代えがたい至福の時でした。

何であれすべて必ず終わりがあると分かっているからこそ、
その一瞬一瞬が大切でした。


マンマの味を守りたいという情熱

後年パパ・ヴィットリオを失ってから、ひとり暮らしになったマンマは、
おそらくいつもは簡素な食事ですませているようでしたが、私たちの滞在中は、はりきって凝った料理に腕をふるってくれました。
それはまずは(食べさせ甲斐のある)私たちのためであり、そしてふだん
ひとり分では作る気になれない料理を、自分も一緒に食べたいと思ったからかもしれません。驚くべきことに、マンマは私たちの好物はもちろん、
今まで私たちにどんな料理を食べさせ教えてきたか、すべて記憶して
いました。そしてまだ未出の料理があるのに気づくと、
それは大変、さっそく作らなくちゃと言い出すのです。私の方から、
もう一度おさらいしたい料理があると提案することもありました。
互いにマンマのリチェッタ(レシピ)を伝えたい、守りたいという
気持ちは年を経るにつれて、どんどん強くなっていったのです。

〈ヴェネツィアのマンマの小さな台所〉
ポモドリーニのパスタ、ウサギの煮込み、えんどう豆のつけ合わせ。

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#マンマの料理は日々の味

私には決めていることがあります。それは、ヴェネツィアのマンマから
学んだ通りのやり方を忠実に守ること。
限られた時間で対価に見合った効果を必要とするレストランの料理とは
違い、家庭の料理は毎日食べ続けられる味でなくてはなりません。
家庭の味は、その家々に伝わる流儀や決め事、好みなどによって培われた
とてもパーソナルなものであり、これが絶対というものではありません。
ただ、私が出会ったマンマの料理は限りなくやさしく、どれもしみじみと
したおいしさ。どんな贅を尽くした美食もかなわない、究極の味と思える
ものでした。
そこには、マンマならではのリチェッタの秘密がたくさんあったのです。
マンマ・ロージィがそのまたマンマから受け継いだ、非常にパーソナルな
リチェッタをできる限りそのままに残したい
と、使命のようなものを
感じています。

〈出会った頃の70歳そこそこのマンマ・ロージィ。〉
〈リアルトの魚市場にて買い物〉
〈時には辞書と首っ引きで。ヴェネツィア語でなんていう?〉
〈小海老のマリネの味つけを習う〉
〈果物を買うのは行きつけの屋台の店で〉

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口ぐせはパツィエンツァ=忍耐!

マンマの料理は基本的にたいへんシンプルなのですが、そのかわり手抜きは一切ありません。
マンマの口癖は「パツィエンツァ!忍耐 」(Pazienza)。
ルコラの葉のかたい茎をすべて取り除く、干し鱈の身を念入りにほぐす、
スミイカや茹でたシャコを丁寧に部位に分けて捌く、フンギポルチーニを
塩水につけて虫を取り除く、などなど。
材料をよくよく吟味し、根気よく丁寧に下ごしらえし、時間をかけてきちっと手順をふんでいきます。
料理とはなにげないディティールの積み重ねであり、それが最終的な味に
大きく影響する
ということも、みなマンマ・ロージィから教わりました。
材料を加える順番、火加減、かきまぜかた、そして最も気をつけなければならないのは、塩を入れるタイミング。
このような頃合いをみはからった呼吸というか、全体の流れのなかの一瞬は、レシピ本を読んだだけではわからないものです。
ヴェネツィアの家の小さな台所で、どんな些細なことも見逃すまい聞き逃すまいと、マンマの傍にくっついて、メモをとりながら教わったことばかり
です。
聴覚の世界に「絶対音感」があるように、味にも「絶対味覚」といえるものがあると思います。ある一点でぴしっと決まる味の規準、といったらいい
でしょうか。そこを見事に射ぬくには、デリケートな作業の上にひと振り
されるタクトのような力が必要です。

〈小鰯のパスタを用意する〉
〈ヴェネツィア名物、アーティチョークの芯“フォンディ”〉

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たとえば塩加減や鍋の温度

たとえばそれは塩について。マンマは野菜を茹でる時には塩を加えません。
肉や野菜、豆、どんな煮込みでも、鍋に塩を入れるのは一番最後です
リゾット、ズッパ(スープ)もしかりです。
野菜であれ、肉であれ、食材にはもともとミネラル分としてナトリウムが
含まれています。うまくその素材の味をひきだしてやれば、それだけで
ほのかな塩味を感じます。なので、塩はそれを補うために加減をみながら
最後に加えるのです。逆に途中で塩味をしっかりつけてしまうと、そこで
素材の味は頭打ちになります。濃い塩味で煮詰まったものは、後から水で
薄めても元には戻りません。
魚介類の場合はもともとの塩分が強いので、さらに注意が必要です。
追加する塩は少しずつ慎重に。そして、素材自体が塩の旨味を持つ貝類
には塩を使いません。

たとえばそれは鍋の温度。材料を入れるのは、必ず火にかける前の冷たい
状態の鍋です。
トマトソースを作るときにも、全ての材料、トマトやニン
ニク、オリーブオイルを冷たい鍋に先に入れてから火にかけます。
ソテーといっても、熱した油で「強火で炒める」ことはしません。
熱した油に水分のある材料を投入すると、水と油はジャッとはねて一気に
分離してしまいます。一度分離した水と油は決して混ざり合うことはなく、
とろりとしたソースにはなりません。
あくまで、じわじわと熱が伝わり、適温になったところで水と油分は
混ざり合い、「乳化」することによって材料に絡むソースになるのです。
野菜は茹でるか、あるいはトリフォラートという「蒸し煮」「オイル煮」にしますが、炒めて焦げ色をつける調理法はありません。
いつでも「絶対に焦がさないように」が鉄則です。焦がしたニンニクというのもマンマの台所では見たことはありません。

マンマから娘に受け継がれる味

ただし、このような理屈は後から私が分析した結果です。
実際にマンマに「どうしてこうするの?」と訊いてみても、たいがい
「昔からそうしているから、それが一番」という答えが返ってきます。
つまり、マンマのリチェッタは代々口伝ともいうべき方法で母から娘へ
連綿と受け継がれ、理由など必要としない不動のものとして確立されているようでした。そこには大切な味の秘密が凝縮されているのです。

〈究極の一皿、トマトソースのスパゲティ〉
〈ヴェネツィア名物、ワインの肴にもなる前菜チケッティ。
ムール貝のレモン蒸しと小海老のニンニク風味〉

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マンマの味を再現するために

東京にいてマンマのリチェッタの料理を作る場合、魚や野菜など食材の種類がヴェネツィアとは異なるのは仕方ないのですが、できるだけ近い味に再現できるものを探します。それでも適切な食材が手に入らない時には
無理せず、その料理を作るのを諦めます。

たとえば、ブザラ風(alla busara)という魚介を使ったトマトソースに
使う海老は、生の状態で赤く甘みの強い水分の多いものが適しています。ヴェネツィアでは赤い小海老ガンベレッティやスカンピ海老を使いますが、
東京では、手に入りやすい解凍もののアルゼンチン産赤海老を使います。

食べ方もヴェネツィア流を守ります。たとえば、茹でた小海老の殻や足など
日本人的には丸ごと食べてしまいたいものですが、ヴェネツィアでは、
あのしゃりしゃりした食感を嫌い、決して口に入れません。
マリネした小さなひしこ鰯の小骨などもしかり。
「どうして?丸ごと食べたほうがおいしいのに」と、日本人たちは皆口を
揃え、そして丸ごと食べてしまいます。
実は私自身もはじめはそう思って食べていました。
でも、今はきちっと殻や小骨を外して食べています。何故か?そうしないとこの料理の本当の味ではないとわかったからです。たしかに身だけを口に
入れてみると、別の食べものといっていいくらい、やわらかな海老の甘みと
旨みが繊細に味わえるのです。

伝統的な料理のリチェッタや成り立ちには、暗黙のうちに受け継がれてきた正当な意味があり、それを知ることが大事です。
マンマの料理をそのままに、自己流のアレンジを加えずに伝えること。
それは今や私にしかできないことであり、マンマとその文化に対する感謝と敬意だと思っています。


デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。