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第9回『長崎から北海道までのヒッチハイク旅行で学んだこと』

うぃす!

大阪男塾の塾長です。

今回は、10代で挑戦したヒッチハイクの旅について書くっすね。

当時は『電波少年』の全盛期で、猿岩石のヒッチハイク旅行が毎週のようにテレビで流れていました。

おもろそうだったので、高校中退後、中学時代からの友達のE君に「ヒッチハイクしよう」と声を掛けたら「行こう」ということで、ヒッチハイク男ふたり旅が決定。

E君は中学校時代の連れなんですけど、実に無気力な奴でして、暇を持てあましてたのかもしれないですね。

季節は冬。行先は北海道。

北海道をゴールにした理由は、「冬の北海道で本場の塩ラーメンを食べたい」でした。

「3泊4日のヒッチハイクをする」って決めてから、親や友達にそのことを言ったんすけど、まあ反対が多かったす。

「そんなの無理」「できるわけがない」という声ばかり。

そう言われると逆に「やったろかい!」と奮起するのが僕っすよ。

母親は「何かあったら、どうするの!?」って、心配してましたけど「心配ない。大丈夫やから」と説き伏せて、出発!

僕とE君は、長崎にある高速の入口まで、まず行くことに。

紙にでっかく「本州まで乗せてください!」書いて、それを見せて乗せてくれる人を探しました。

いざ交渉してみると、ドライバーの人が快く「おう、乗ってけよ」ってなって、交渉成立

ドライバー業務は、ひとりで長時間運転していると睡魔に襲われるらしく、隣に話し相手がいると眠気が吹っ飛ぶんで、向こうとしても好都合だったらしいっすね。

もちろん無料で乗せてもらうわけですから、こちらも何かお返しをしなければなりません

無気力なE君はスタートの時点で疲れていたのか、後部座席でひたすらグースカ寝てました。

「しょっぱなから寝るなや!」と正直、むかつきましたが、そういう無気力な奴を旅に誘ったのは僕の責任。

「しゃあないか…」とすぐ切り替えて、助手席に乗った僕は、ドライバーの人をひたすら楽しませることに徹しました。

何人かヒッチハイクしてわかったのは、相手に質問を投げかけること、たくさん話してもらえるということでした。

質問をしながら、どんどんその人のことを深堀していくんすね。

人は誰でも、自分の話を聴いてほしいんすよ。

助手席で「学生時代はどんなことしてました?」「何が一番楽しかったですか?」って、質問を振ると、相手は楽しくなってどんどん話してくれるんすね。

僕らを乗せてくれた人で、印象に残っていた人が2人いるっす。

1人目は、ある大手製薬会社の支社の社長さん。

このおじさんに「今回のヒッチハイク旅、周りからめっちゃ止められたんすよ」って相談したんすね。

すると「それが普通の反応や」とぴしゃり。続けて「でも普通に捉われない方がいい」と教えてくれました。

「ヒッチハイクしたい」と言ったとき、母親が猛反対したと書いたっすけど、言わばこれも親がとる普通の行動なんすね。

普通って、みんなを縛って動けなくさせる呪いみたいなところがあるっす。
「普通はそんなことせんやろ」みたいに否定してくる奴は、固定概念に捉われた普通奴隷とも言えそうっす。

このおじさんは「とにかく行動しろ」とも言っていました。

ヒッチハイクをしていること自体、行動なんで、そこを買ってくれたのかもしれないんすけど「世の中は、行動したもの勝ち」というのも教えてくれたっすね。

しかも別れ際に「これ持ってけ」と1万円渡してくれたんすよ。

「惚れてまうやろ~」ですよ。

こんな格好いい大人がいるんだなというのを、早速実感したっすね。

ふたりめは、坂本ちゃんそっくりのドライバー。

当時は『電波少年』がブームだったって書きましたけど、『進ぬ!電波少年』の企画で『電波少年的東大一直線』というのがあったんすね。

お笑い芸人の坂本ちゃんが東大卒の「家庭教師・ケイコ先生」についてもらって、東大合格を目指すっていう企画が人気だったんすよ。

余談っすけど、ケイコ先生は電波少年に出演した後、浪曲師に転身して、春野恵子さんとして活躍されてますね。

坂本ちゃんは、坊主に黒ぶちメガネの面長オネエなんすけど、このドライバー、見れば見るほど坂本ちゃんにしか見えないんす。

でもしゃべり方は、「おお、お前ら乗ってけよ」って感じで、めっちゃ男らしくて、そこはギャップがありました。

ドライバーの交流として、無線で連絡を取り合うって文化があるんすよ。

この坂本ちゃんも、無線にハマってたみたいで、仲間と通信してたんすけど、無線で話し始めた瞬間、急にクネクネして「ヤダ! もう、〇〇ちゃんたら、何言ってんのよ~」って、一瞬でオネエになったんすね。

お笑いでいうフリ・オチが完璧。

生でそれを見せられた僕は抱腹絶倒っすよ。

無線が終わると、またきりっとした顔に戻り、「おいお前ら、これでコーヒーでも買ってこい」とダンディにお金を渡してくるんす。

「その切り替え、何やねん?」って感じでした。

僕らは、ほとんど所持金なしでヒッチハイクに挑んだんですが、こんな感じでお金やら食事やら色々世話してもらえたっすね。

男性ドライバー、女性ドライバーの両方に乗せてもらったんすけど、奢ってくれる食べ物に男女の違いがありました。

不思議と「男はカレー、女はうどん」って決まってるんすね。

学びだらけのヒッチハイク旅行だったんすけど、道中、僕とE君の間で意見が分かれたことが。

本州に入ると、中国道と山陽道の分岐があるんすよ。

2つの道路の特徴をまとめると

・中国道→停まるところが少なく一気に進める
・山陽道→小刻みに停車する箇所があるので、楽しい反面誘惑も多い

という感じっす。

E君に「どっちがええと思う?」と、意見を求めたら、彼は間髪入れず「山陽道」と答えたんすよ。

「なんで?」って聞くと「楽しいことが多いやん」って素直な一言が。

僕は「常にゴールを逆算して動いている」と、このnoteにもよく書いてるっすけど、それはヒッチハイク旅行も同じ。

3泊4日というスケジュールを立てた以上、それを守るのが僕の目標。

なのでE君に「今は遊んでる場合やない。先に進む方が大事や」と説得すると、「わかった」と死にかけのボラのような目でつぶやいてました。

そんなこんなで僕らはスケジュール通り、函館に到着しヒッチハイク旅行は終了。

E君は北海道の地で、雪に足をとられすってん転んで手の甲を骨折し、ただでさえ低いテンションが「まだ下がるんかい!」ってくらい、ただ下がりし「僕、もう帰るわ…」と、すごすご帰っていきました。

最後まで無気力だったっすね。

僕は冬の函館で本場の塩ラーメンをすするという目標を達成できたんで誇らしかったっすね。

今、僕がやっている仕事ってお客さんの話に耳を傾け、質問を投げながら本質を掴むことが多いんすけど、間違いなく旅の中で経験したドライバーとの会話が活きてますね。

あと、旅を通じて「優しい人って、こんなにたくさんおるんや」と実感。

頼ると助けてくれる人が多いってわかったので、「これから困ったときは我慢せず、素直に誰かを頼ろう」って思えたっすね。

そして、何かもらった分はしっかりお返しする。恩義の大事さも学べた旅行でした。

最後まで読んでもらって、あざしたぁ!!

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