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ウチのオカン

暖かくなってきました。
今月末には近畿地方にも桜🌸は咲くでしょう。

花粉が多いらしく、義理母が痰がよくでるそうです。高齢87歳。痰がちゃんと自分ではきだせるか心配です。

私の両親は私が大学卒業後、2年後に亡くなりました。先に母が、亡くなり後を追うように父も亡くなりました。
ててなし子になってしまいました。

今の夫とは再婚ですが、夫の両親はとても喜んでくれました。
婚姻届の保証人にも喜んでなってくれました。
今もオカズもらったり、とても大切にしてくれます。
結婚してしばらくは働いていなくて、オカンをクリニックに車で送迎をしていました。
半年後くらいに、「娘です」とあちこちに紹介してくれるようになりました。
一年後には、私には子供がいないので両親の墓を墓仕舞いしようと思っていると言う話をしました。

「あんたは、ウチの墓に入ったらええ。」
とそう言ってくれました。
今は要支援2が取れて、クリニックへはバス送迎があるので、私も働くようになりました。
週末やたまに、早く帰れた日はオカンとこに遊びに行きます。
働き者だったオカンは、私が昨日は残業やってんと言うと、喜びます。
オカン目線ではよくできる人しか残業させてもらわれへんーだそうです😅
いや、そんな事はないんやろけどね。
まー若いうちは働かなあかんと言う人なので、励ましてくれるのは嬉しいです。

私は今の夫と再婚してオヤジ&オカンも手に入れました。
沖縄のおばあはすごいです。
愛が半端ないです。
気遣いのすごくできる人です。
今、尊敬出来る人と聞かれたら、「オカン」です。
夫よりオカンに。色々相談します。
沖縄出身のオカンは戦争で🪖小学校もろくにいけなかったそうです。
その後アメリカ🇺🇸の植民地で、中学はいけずアメリカ軍のハウスメイドをしていたそうです。
日本人は奴隷だったのです。
その中でもいい家に当たったようで、とても大切にされていたようです。
アメリカのママに色々と教えてもらったそうです。
英語も喋れるし、なんとも驚くのはファイナンシャルリテラシーの高さです。
オカンは小学校もろくにいけていません。
しかし、アメリカのママが全て教えたのです。

下手に大学出てる人より、オカンの方が全然凄いです。
時間があれば、オカンの所へ遊びに行きます。
同じ話やけど、オカンのハウスメイド時代の話はとても興味深いものがあります。
まだ、沖縄が植民地の頃にパスポートを持ってアメリカ人として大阪へ出てきたそうです。
沖縄県民、日本へ来た軍団第一便です。
オカンはファーストペンギンでした。

大抵は沖縄県民は大阪では大正区に住んでいる事が多いですが、オカン&オヤジの住んでいるところは梅田まで徒歩15分の一等地です。
オカンは大阪は出てくる時に、結構な退職金をusドルでもらったらしいです。
ドルが360円の時代です。
ファーストペンギンのオカンは何だか知らないけど、チャンスを掴んだのです。

85歳まで、沖縄県民なのに、テイクアウト専門のお好み焼き屋をしていました。
たこ焼きは6個 100円で売っていたそうです。
大阪の広報にアップで出るほど、有名な店でした。

理由的にはもう、85歳やしー的な所でお店を閉めたのですが、いい時に閉めた物です。
今は小麦粉も卵も高いです。
たこ焼き6個100円で売れないでしょう。

オカンは何だろーイチローや大谷君みたいに「持ってる人」なのです。
オカンすげー‼️

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