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『失われた未来を求めて』、『闇の精神史』(木澤佐登志)感想

陰のユートピアとはどういうものでしょうか?それは暗く、湿っていて、ぼんやりとした、弱く、従順な、受身の、個人参加の、循環性の、周期的な、平和で、愛情こまやかな、退却し、縮小した、冷たいものです。

『闇の精神史』9項
ル・グウィンからの引用

表題の本を読みました。木澤佐登志さんの本は結構読んでいます(持っています)。

2019年ぐらいから話題になった人です

概ねどの本も、

「リベラルvs反動」という構図(現代資本主義の構図)の外部への遁走の手がかりを、現代では忘れ去られた過去の思想(ロシア宇宙主義、サイバースペース運動、60年代カウンターカルチャ)の断片の中に見出す

要約

という問題意識は一貫しているような気がします。

「あるはずだった未来の不在」と「ユートピア(ここではないどこか)の希求」を、社会改良的でもなく革命的でもない形で、オーソドックスな人文学として表現してくれるところに需要があるのだと思いますし、僕もそこに惹かれています。


1.『失われた未来を求めて』

特に1章4節の「カウンターカルチャーの亡霊-祓われた六〇年代」が興味深かった。

世界の変革を目指した60年代カウンターカルチャは何を実現し、どこで挫折したのか。それは結局のところ、資本主義リアリズム(「差異を称揚する消費文化」)の序章に過ぎないのか、それとも別の可能性を有していたのか。


やはり僕の問題関心とマークフィッシャーの問題関心は、「現代社会における抑鬱(ニヒリズム)とそこからの脱却」という点において共通していることが確認された。

60年代カウンターカルチャーが、資本主義リアリズムに対抗しうる潜勢力を有していたことを信じるフィッシャー(「消費文化との切断性」=「反脱魔術化」の側面の強調)の議論を受け継ぐ上で、ヒッピーカルチャーの祖であるソローの存在は無視できないと思う。



ジョセフ・ヒース&アンドルー・ポター『反逆の神話』は、むしろカウンターカルチャーと後の消費文化の連続性に注目するものである。アメリカのカウンターカルチャーがフランクフルト学派の批判理論(特にマルクーゼ)と親和性があるというのは面白い。

フランクフルト学派はフロイトやニーチェ、マルクスといった異質な(しかし「革命的である」という点で共通している)思想を組み合わせて独自の思想を展開したらしい。マルクーゼは、「一切の快楽原則を排斥し抑圧しようとする現行資本主義体制に対する「否定」の力こそが自由、すなわち快楽原則の解放に繋がる」(p.78)と考え、科学的社会主義が祓い去ったユートピア主義の潜勢力(亡霊)を復活させようとする。

フロイトの抑圧概念を階級分析に用いることでマルクーゼは、オールドレフトの「搾取の政治」とは区別される「抑圧の政治」という概念を創出し、政治の心理学的側面(文化的側面)を強調することになった(p.79)。必要なのは、具体的な制度の変革ではなくて、個々人の意識(心理)の変革であり文化の変革である。

カウンターカルチャの祖だけあって、若干「考え方が変われば世界が変わる」というニューソート(光明思想)っぽい考え方でアメリカ人が好きそうではある。


2.『闇の精神史』

最近発売

ロシア宇宙主義、アフロフューチャリズム、サイバースペースが主題に挙げられていた。今ある世界に対するalternativeの探求の参照点としての「宇宙/space」がテーマのようだ。

社会に対する「世界/セカイ」もalternativeの参照点として召喚されることはあったと思うけど、宇宙はより科学的で、唯物論的なニュアンスがある。
(それに対して「世界/セカイ」は文学的で思弁的だ)

特に「ロシア宇宙主義」が印象に残った。

(1)前書き

イーロンマスクに代表される長期主義(long termism)にとっての「未来」は、しょせん「持続可能な現在の延長」としての未来である(延命としての未来)。

そうした巨大資本による「未来」に対抗し、真の意味での「ユートピアとしての未来」を夢想するためには、「後ずさりして、向きを変えて、もとに戻る」(ル・グィン)必要がある(陰のユートピア)

陰のユートピアとはどういうものでしょうか?それは暗く、湿っていて、ぼんやりとした、弱く、従順な、受身の、個人参加の、循環性の、周期的な、平和で、愛情こまやかな、退却し、縮小した、冷たいものです。

9項

本書の立場(31項)
alternative(外部)など存在しない("There is no alternative")」という声にはどのように応えるのか(資本主義リアリズム)
(1)メイヤースの「神はまだ存在しない」をパラフレーズして、「外部はまだ存在しないが、未来において存在する」と応える。
(2)「歴史の終わり」において未来は過去の中に幻視するしかないものだから、上記の言明は「外部はまだ存在していないが、未来として回帰しうる」と言える。
⇒つまり、ユートピアの破片は忘却された過去の蓄積の中から探すしかない

(2)ロシア宇宙主義とユーラシア主義

重要な登場人物
ロシア宇宙主義
①アレクサンドル・ボグダーノフ(20C)
:SF作家『赤い星』、共産主義哲学者、活動家(レーニンと対立しボリシェビキを脱退)
②ニコライ・フョードロフ(19C)
:ロシア宇宙主義の祖。3つの命脈(50項)
1進化論の勃興
2ネットワーク網(電信)の発達
3宇宙に対する関心の高まり
③ルクシャ
:NeuroNetの共同事業者
※バーンスタイン
:『不死の未来the future of immortarity』でロシア宇宙主義やトランスヒューマニズムの実態について紹介

ユーラシア主義
④ニコライ・トルベツコイ(20C)
:ユーラシア主義の創始者のひとり
⑤アレクサンドロ・デゥーギン
:現代におけるユーラシア主義の代表的論客
⑥レフ・グミリョフ
20C後半、ユーラシア主義とロシア宇宙主義の融合を行う


興味深かった箇所

①ボグダーノフの「新しい人間」(35項)
『赤い星』で、火星を舞台に共産主義的ユートピア(労働時間の短縮、階級差の消滅、相互扶助的関係)の帰結を描いたボグダーノフ
⇒経済や社会体制の変化だけではなく、「新しい人間」というヴィジョンを提案する
「個人と集団の対立を消滅させ、個人と集団のあいだに完璧なハーモニーを打ち立てることでしか、近代的個人主義を元凶とする「人間の分裂」を解決することはできない。」
(精神的・肉体的に自然を超克した「超人」を志向する、一元論)
⇒ボリシェビキの「建神主義

②フョードロフのロシア宇宙主義(56-59項)
「人間はまだ進化の観点において途上であり、不完全である。神から与えられた『死者復活のプロジェクト』を完遂するためには精神的・肉体的な進化が必要である」
「『死者復活のプロジェクト』は「世界に原初の不死の状態を回復する」のが目的。そのためには、生殖=既存の人間の再生産に費やされている余剰エネルギーを、創造と再生の方向へと転換しないといけない」
「家系図を上にたどっていき、死者を復活させることで、アダムとイブにまで到達する。終末論(死者の大量復活・地球資源の枯渇)を生き抜くためには、宇宙というフロンティアに出ることが必然

③現代におけるロシア宇宙主義の回帰
シリコンバレーの資本家によるトランスヒューマニズムとの類似と相違。
→不死の欲望(マインド・マッピングや人体冷蔵保存)は共通する。ただしロシアの場合は現行の資本主義に批判的。またサーボーグ化というよりは、物質自体の進化を夢想する。
→共産主義は十分にユートピアでなかったことが失敗の原因とフョードロフ主義者は考える。

共産主義は時間の問題、言い換えれば死の問題を解決することができなかった。…『不死主義と惑星間主義』というスローガンを掲げるロシア宇宙主義者たちにとっては、私有財産と専制政治の廃止は、自然の専制と空間と時間の専制という、より大きな問題を克服するためのスタートに他ならないのである

71項

共産主義の延長としての、トランスヒューマニズム

※NeuroNet(精神圏)=WEB4.0について
すべての人々がニューロ・インターフェイスを介してつながる脳内インターネット。ヒトのインターネット。人間の精神状態や主観的経験さえも伝達可能になる。
→NeuroNet共同事業者ルクシャ
「NeuroNetの実現によって起こるであろう軋轢は、最後の審判のプロセスとして不可避である。その救済を経て集合的なニルヴァーナの状態に至る」


④ユーラシア主義
もう一つの"space宇宙/空間"に関する思想。ロシアの歴史的・地理的なあり方から、ロシア的精神を導き称揚する。

歴史的:東ローマ帝国滅亡以後、(ギリシア)正教の系譜を唯一保持し続けている「東のローマ」としてのロシア。後発国であるからこそ、どん詰まりの欧州に対して逆に「未来ある」ロシア。
地理的:異なる複数の歴史時間の(共時的な)共存。モスクワでは過去になったものが、シベリアでは現在であることがある。

ロシア精神:西欧的な理性的・利己的な個人主義に対照される、「神の恩寵の統一体である教会を中心とした一種の社会的有機体であり、愛によって結合された「総和」の精神」(87)


(3)結論

あまり聞いたことのない話で興味深かったです。勉強になりました。




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