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ポンコツだから太陽になれた ーリライト版ー

「『ようかん対応』の方で~す。お願いしま~す」


「はいは~い」


医療事務時代の10数年を、絶賛「ポンコツおじさん職員」として過ごした私。


そんな私でしたが、その中でただ一つ誇れることがありました。


私の勤めていたのは大きな総合病院で、たくさんの診療科がありました。


当然患者さんも多いので、トラブルの発生率も上がります。


トラブル発生時の対応は、基本的には医療ソーシャルワーカー(MSW)が担っています。


ある日総合受付にいると、会計の方から「ふざけんじゃねえぞ」という大きな怒鳴り声が聞こえてきました。


しばらくすると、医事課の課長が総合受付の裏から私を手招きしました。


「ようかん君。ちょっと来て」


医事課の中に入り課長の話を聞いてみると、前回の診療代に計算漏れがあって、今回追加料金を請求したところ激怒されてしまったそう。


MSWと医事課の両課長が説明・説得しても納得してもらえずとても怒っているので、『選手交代』してくれないか?との依頼でした。


『堅物』の両課長とは違い、若い女性パート職員と膝カックン合戦をしてじゃれ合うなど「人当たり」だけには定評のあった私に、彼らは白羽の矢を立てたようでした。


私は即承諾し、◯✕さんのもとに向かい1時間強お話を伺いました。


最初は大激怒だった◯✕さんでしたが、私に話されているうちに段々と落ち着き、最後には追加料金を支払ってくれました。


◯✕さんは帰り際、


「あんたは話しやすいな。俺は学はないけど、俺をバカにしてる奴はすぐわかるんだよ。あんたは違うな。また、よろしくな」と言ってくれました。


この時の実績?が買われて、その後こういったケースには私が『聞き役』として派遣されることが多くなりました。 


MSWは女性が多く、激怒している男性の話を聞くのはなかなか危ない部分もあり、MSWの課長にとっても私の存在は心強いようでした。


そんな流れで、トラブルを頻繁に起こす『問題人物』が数名ピックアップされ、その方達の対応に苦慮した場合は私が対応するという『ようかん対応』が生まれました。


当該患者さんは、医事システムのメモに『ようかん対応』と記載され、『出動』の際は私に冒頭のような連絡がありました。


私の出動時間はおおむね1時間。お話を傾聴していると、皆さんはそのくらいで大体「怒りの矛先を納めて」くれました。


ある時『ようかん対応』から帰ってきた後に、後輩から冗談混じりにこんな風に聞かれたことがありました。


「ようかんさん。いつも普通に『ようかん対応』に行ってますけど、激怒している人と1時間も話すのって怖くて面倒なんじゃないんですか?」


これに対し私は、


「いや。僕は患者さんが『怒ってる』っていう事象には全然興味がなくて、怖くもない。むしろ『何が彼をそうさせているんだろう』っていう背景の方に興味があって、1時間も特に面倒じゃないんだよね」


と答えました。


後輩は、いつもと違って真面目に答える私にいささか面食らっていましたが、さらに私は続けました。


「偉そうに話を聞いてるけど、『ようかん対応』の皆さんと俺って特に違わないと思ってるのよ。半歩違えば俺だって『聞いてる側』じゃなくて『聞いてもらってる側』になってたかもしれないじゃない?」


後輩は何となく納得してくれたようでした。


実際『問題人物』と言われる方々の対応にあたってみて、彼らには共通点があることに気付きました。


それは、「信じて欲しい人に信じてもらえなかった過去」があることでした。


そういった経験から彼らは『人間不信』に陥って、結果「怒りやすい」人間が出来上がった仕組みです。 


それだけ「信じて欲しい人に信じてもらえないこと」は、人にとってとても辛いことなんだとわかりました。


これを知れたことは、私の財産だと思っています。


さて、すっかり仲良くなった前述の◯✕さん。


その後もちょくちょくトラブルを起こし、私が『ようかん対応』に行った時に「実は2人目の子供が出来たんですよ」と伝えたところ、さっきまでの怒りはどこへ行ったやらで、


「おめでとう。子供は『宝』だぞ。俺は逃げられちゃったけど、奥さんを大事にしろよ」と、自分のことのように喜んでくれたのでした。


翌朝。


総合受付の椅子に腰掛けながらこちらに手を振る◯✕さんの姿がありました。手には売店で買ったであろう大量のお菓子と、大きなスイカを持っていました。


私は彼に近付き「◯✕さん。今日は予約日じゃないでしょ。どうしたのよ?」と尋ねました。


すると◯✕さんは「嬉しくてお祝いしようと思ってよ。これ持ってけや」と、お菓子とスイカを私に渡しました。


「あんちゃんは真ん丸な顔していっつも笑ってくれて、俺にとっちゃ『太陽』みたいなもんだからな」


◯✕さんはそう言い残すと、病院前に停めてあったオープンカーで大音量で演歌をかけながら帰っていきました。


その約半年後、彼は持病で亡くなりました。


その時の子供のような笑顔と、何度教えても名前を正確に覚えてくれなかったことが印象に残っています。


私には『ポンコツ』だからこそ見える世界があり、◯✕さんの太陽にもなり得たのかもしれません。


「人の心を動かすのは『北風』ではなく、『太陽』である」


◯✕さんのことを思い出す度、私は強くそう思うのです。

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