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【母の介護について】…少しずつ⑮

2008年、脳梗塞の発症後、自宅介護になってから、母の病院,リハビリデイサービスやその他、出かける時は、同じ福祉タクシーの方をお願いしていました。

その運転手さんが、「こんなに良くなっていく人は.今まで見たことがない」と,感心されるほど,母は、楽しみながら着々とリハビリを進めていましたし、父が作る料理は、いつも「美味しい!」と、嬉しそうに食べていましたので…気力も、体力もしっかりとついて行く毎日を過ごしていました。


2016年の2月頃からでしたか…、麻痺側の脚の血流が悪いようなのか?普通にしていても,なんとなく脚の色が悪いと思われる事もありました。

ちょうど,その頃、NOSS(日本・おどり・スポーツ・サイエンス)で父がお世話になっていた、大府市の国立長寿医療センターの先生にお話をしたところ、少し,見方を変えてみるのも必要かもしれないので、メンタル的な事も含め、一度入院をして、治療をしてみますか?とご提案いただきました。

そこは、年代の上の方々が通われ、入院もされ、リハビリもしっかりしていただけると言う事ですから、父は、母の意思を尊重しながらも、入院を決めました。
ちょうど、3月末に入院を決め、私も母と一緒に,福祉タクシーにて、病院へ送って行きました。

様子を見ながら,お薬を考えていただき、リハビリをしていただくと言う予定でしたが、
入院後まもなく,母が腰掛けて食事をしていた時に,看護師さんが、麻痺側の足先の色が非常に悪い事に気づき、すぐに、担当医の先生が診て下さり、
血流の問題で、人口血管を入れると言う緊急手術をすることになりました。

その日ちょうど、名取式の日でしか?当然病院へは、毎日行くのですが、その日は、電話での確認(同意)で、手術の準備をします….とのことでした。
とにかく,お願いすることになりました。

手術を担当をしてくださった先生は,確かお休みの日で、自宅から、病院へ向かって下さり,手術を成功させて下さいました。

80歳になって、初めての手術。
それをしない、選択肢は、無かったと思うのですが。
母は、頑張りました。そして、
その病院での,ゆったりとした、しかしながら、休み無しのリハビリも、始まる事になり、父は、名古屋にいる限り…私は当然毎日、病院に通うことになりました。

私は、ほぼ毎日付き添いましたが、介護の必要は、ほとんど無く、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の先生方のリハビリの様子を、説明を聞きながら見ていました。
入院先ですから、脈拍や、血圧は必ず分かるようになっていましたので、脈拍などを始終気にしながら,丁寧なリハビリをしてくださっていました。

父はもちろん、私も、この頃は,イベントなど色々な仕事を入れていましたが、母は、そんな私たちの仕事に影響を与えず、入院生活を送っていました。
父と私は、行けば必ず消灯まで病室で一緒に過ごし、帰りには2人でどこかに寄り、食事をして帰宅すると言う生活でした。

西川陽子

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