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「光る君へ」第9回 「遠くの国」 直秀の死を招いた道長の中途半端さとは

はじめに

 予告編では巧くその去就が伏せられていただけに、直秀の呆気ない死は衝撃的に演出されました。検非違使に殺される様子は直接的には描かれず、彼らの死という結果だけが、鳥辺野の地に横たわるという展開も効果的でした。まひろと道長の思いと同化してしまった視聴者も多かったのではないでしょうか?

 その一方で彼の死に「ああ、やっぱり…」と静かに哀しく受け止めた方々もいらっしゃったでしょう。というのも、勘のよい方々の中には、直秀が盗人とわかった時点であるモデルらしき人物を思い浮かべていたと察せられるからです。


 直秀のモデルの一つは、おそらく『今昔物語集』などに出てくる大盗賊、袴垂でしょう。『宇治捨遺物語』「袴垂、保昌に合ふ事」を高校の古典で学んだ、聞いた覚えがあるという人も多いかと思います。かく言う私も30年以上前に学び、そして国語科教員として高校生に教えたことがあります。
 この袴垂という人物と同一視されることがあるのが、モデルのもう一つ、藤原保輔です。彼は、晩年、和泉式部の後半生のパートナーとなった藤原保昌(祇園の保昌山のモデル)の弟…つまり下級貴族です。直秀が道長の弟として貴族的な姿をしたときは「袴垂=藤原保輔」説を採用かと合点した方もいたのではないでしょうか?

 その保輔、貴族でありながら傷害を引き起こし、盗賊行為を繰り返し捕縛されることになります。その際、腹をかっさばき、それが元で獄中死、日本最初の切腹とされる逸話を残しています。
 直秀は暴力的ではありませんが、保輔の強情な性格は、反骨精神の強さとして反映されているように思われます。だから、視聴者の一部は、彼の死を予感していたのです。因みに散楽の座頭の名が輔保なのも、「保輔」からでしょうから、散楽集団そのものが袴垂保輔ということかもしれませんね。


 しかし、それでも彼が死ぬことなく追放で終わると一縷の望みを抱いたことでしょう。その願いが脆くも崩れるどころか、その死を後押ししたのが道長の善意というより悲劇的なものにされました。どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか?
 一方、こうした道長たちの動向の横に置かれたのが、権謀術策を露わにして完全復活した兼家の存在です。一見、無関係な二つの動向が並べられているのは何故でしょうか?
 そこで今回は道長と兼家を比較しながら、道長の問題点と今後、必要なことについて考えてみましょう。


1.直秀が道長を挑発する理由

 前回は、道長が捕縛された直秀を見て怒りとも失望とも口惜しさともとれる複雑な表情をしたところで幕引きとなりましたが、それは一瞬のことでした。これは道長が元来、穏やかな性格であることもあるでしょうが、それ以上に彼が迂闊に本心を見せることをしない抑制的な人間であるからでしょう。それは、彼の周りを囲む我の強い親族と同僚たちとなるべく衝突しない処世術であり、また多くの下々に下賜づかれる右大臣家の人間に相応しい振る舞いでもあります。道長の置かれた環境が、彼を抑制的な人間にしているのです。

 例えば、まひろは今回、意識的に道長に敬語を使おうとして微妙に崩れた敬語になっていますが、それは彼女自身がきちんとした敬語を使う環境が不慣れだからです。土御門サロンでようやく多少身についたというところでしょう。したがって、逆に言えば、家格に相応しい言動ができるからこそ、彼は貴公子なのです。ですから、今回の捕縛シーンでも、右大臣家に仕える武士たちに対する主家として冷静で穏やかな振る舞いに徹しているのです。感情的になることは、彼らに侮られますからね。


 しかし、こうした道長の振る舞いが面白くないのは直秀です。助けてくれと懇願する仲間を制止すると、這いつくばりながらも盗賊の矜持を見せます。貴族は鼻持ちならない敵であると信じる彼は、自分は恥じるところがないからです。そして、こうして盗賊と貴族という厳然たる立場の差が露わになった今、泰然自若に振る舞う右大臣家の若君が彼を罵るべきなのです。それこそが美しき飾りながら、その実は下々を見下す貴族の醜い本性のはずだからです。ですから、ここで道長が怒り狂えば、直秀はそれを嘲笑うことで自尊心だけは保たれたでしょう。が、道長は一瞬、激情にかられた表情を見せたものの、それを収めてしまいます。

 ただ、道長が他の貴族とは違うことを知る直秀は、その対応が道長らしいこともわかるようにも思われます。となると、直秀の道長への苛立ちには、道長から貴族の本性を引き出せないこと以外に、正直な感情を見せようとしないことへの思いもあるのではないでしょうか。これまでのやり取りで、反目する面があるもののどこかで認め合うものがあった二人です。対等の関係にあったと言えるでしょう。
 ですから、ここにきて腹を割らない道長の態度は、身分の貴賤ではなく、直秀個人を見下すことになってしまうです。勿論、道長に直秀を見下す気持ちは毛頭ありませんが。彼の道長への思いは、単純な貴族への憎しみと認めるがゆえの情との二つによって、複雑なものになっているように察せられます。


 だからこそ直秀は、右大臣家を警護する武士たちに「若君がそんなに大事か」「貴族に見下されてきただろう」「悔しくないのか」と煽るのです。目的は武士たちを揶揄することではありません。殴られるのがオチなのはわかりきっています。標的は「若君」道長です。道長を刺激し、下々の前で彼の本音を露わにしようと躍起になっているのです。つかまったゆえの捨て鉢な感情だけではないのです。
 案の定、揶揄された粗野な武士たちは激高しますが、道長はその手に乗りません。「手荒な真似はするな!」とすぐにたしなめ、「この者らは人を傷つけてはおらん。命を取るまでもないだろ」と務めて冷静に答えると検非違使に引き渡すよう命じます。


 右大臣家と警護の武士らにとって、東三条殿に賊が入ったこと自体、不名誉なことです(数日後には貴族の姫君らが話題にするほど噂は早いですし)。「我らにお任せを」と言った武士たちが、手酷く痛めつける、あるいは殺すといった私刑をくだすことは目に見えています。道長は、そうした私刑から直秀を守るために、司法をほぼ担うようになっていた公的な機関、検非違使に引き渡したのです。賊を捕らえた武士らの体裁を守り、なおかつ直秀らの命を救う妥協案なのです。

 しかし、直秀は、この温情に「凛々しいことだな!若君!」という悪態を投げつけます。この悪態は、どこまでも貴族然とした姿を崩すこともなく、盗人としての真っ当な扱いをする道長への悔しい思いが込められています。「凛々しい若君」という道長を評した言葉は、「お高くとまって見下すな」、「カッコつけて自分で盗賊を処断できないのか」、「その余裕も自分の実力ではなく右大臣家の人間だからだ」といった身分にかこつけた皮肉の刃になっていますね。


2.兼家の真似事をする決意

 後に道長は、東三条殿に入った盗人に下した裁可の理由を「許したいと思わなかったわけではない。されど東三条殿には多くの武者がおる。彼らの前で盗賊を見逃せば示しがつかない」と、まひろに述べています。また武士たちが決して従順な存在ではなく油断ならないからこそ、適正に公正に物事を扱い、秩序を保つ必要があるというわけです。穏やかな気質の道長ですが、一方で右大臣家に生まれた彼は、人が争いを好み、自分の利益を最優先にするものであることを幼い頃からよく見てきています。
 そうした人間の性悪を抑制するための法や秩序、あるいは褒賞を重んじることの大切さを自然と身につけているのですね。学問のみで世情に疎い家庭に育ったまひろにはないものです。つまり、好むと好まざるにかかわらず、道長は支配者の思考を既に持っているのです。


 ただし、彼の本音は「許したいと思わなかったわけではない」にあります。この一件で道長は、無二の友になるかもしれない直秀を助けられず、法にのっとり検非違使に送るしかありませんでした。裁可は妥当でも感情は納得できません。直秀らを簡単に放免できなかったことへの忸怩たる思いのほうが強いのです。また、この先も直秀を救う真っ当な方法も思いつきません…彼は一人、寝込む父を前に悩みます。これは父の看病もありますが、同時に彼に父を頼る思いの表れでもあります。前回の「生き延びてその答えを教えてください」と声を兼家に声をかけたように、右大臣家の三男である彼の精神的支柱は、反発する思いはあっても兼家なのです。


 兼家の前で思いあぐねる道長は、ふと自分の横に伸びる己の影を見つめます。この影は、「足元を見よ。俺達の影は同じ方向に向いておる。我が家の闇じゃ」と兼家がうそぶいた右大臣家の業です。右大臣家という上流貴族の家格とは名ばかり。権謀術策を使い、権力を横柄に行使することで、周りを貶め傷つけ、貴族の頂点に立とうとする野心家一族の血統です。
 そこに直秀の捨て台詞「凛々しいことだな!若君!」という挑発の言葉が刺さります。この言葉の一定の正当性があります。何故なら、結局、彼の下した裁可は、右大臣家の秩序という我が家の都合を優先したものだからです。図星であるがゆえに、道長は、我が家の闇を象徴する自身の影を見つめながら、どこまでも右大臣家という身分に囚われている自分自身の無力を痛感したのではないでしょうか。


 しかし、その一方で我が家の闇を見つめたことで、道長は直秀らを助ける方法を思いつきます。正面から解決できないのであれば、賄賂を使い、裏から手を回せばよい…それは父、兼家が、あるいは兄弟たちが事あるごとにやってきた右大臣家のお家芸、我が家の闇です。直秀の言う通り自分は右大臣家の「凛々しい若君」なのだから、それを利用しようと決意したのでしょう。
 勿論、身分にこだわることなく皆と対等でいたい道長は、身分や権力を笠に着る言動を極力避けていました。手を汚すことを嫌う清廉さもあります。またそうした個人的な面のみならず、まひろとの自虐的なやり取りの中で、当の直秀がこうした助け方を好まないこともわかっていました。かえって恨みに思うかもしれません。それでも、彼を助けたい以上、背に腹は代えられません。そして、右大臣家の三男だからできることがあると思ってしまったのでしょう。

 こうなると直秀の悔しさから出た挑発の言葉は、ただただ彼を救いたいだけ道長の本心に右大臣家の業という余計な自覚と決意を促したことになります。つまり、直秀は無自覚に自分の墓穴を掘ったとも言えます。道長と直秀の埋められない身分差の溝が生み出した結果としては、哀し過ぎますね。


3.下情に通じていない右大臣家の息子の欠点

 道長は、検非違使の看督長(かどのおさ)に金品を渡すことで、直秀らの処遇を穏便にすませるよう働きかけることにします。兼家が、晴明など相手に散々やってきたことの見様見真似です。しかし、その結果は、彼自身が全く想像しなかった直秀ら散楽師全員が鳥辺野で無残に殺されるというものでした。何故、看督長は、道長の字面どおりの意思を汲まずに彼らを皆殺しにしたのか…それは、そのまま道長の根回しが失敗した理由とも直結しますから、その点について考えてみましょう。


 まず注目しておきたいのは、直秀の流刑に関する道長と同僚たちとの会話です。ここでは直秀らの流罪の決定と実施の日時が語られましたが、それに対して別の同僚が言った「七人も流罪にするのは手がかかりますなぁ。検非違使庁も何を考えているのか。盗人ならせいぜいむち打ちくらいでしょう」との台詞が重要ですね。

 つまり、道長が何もしなくても直秀たちは、律令制の「笞罪(鞭打ち)・杖罪(棒打ち)・徒罪(労役を含む懲役)・流罪(追放)・死罪」の中で最も軽い笞罪であったというのですね。にもかかわらず、手間暇のかかる二番目に思い流罪に処せられるというのです。また、上司からの許可もいらない笞罪に比べれば、流罪のほうが、手続きなど手間暇がかかります。ですから、同僚が妙な話だと笑うのは自然な反応と言えるでしょう。


 それに対して、「え?」といった雰囲気で一瞬、顔を曇らせた道長の表情のクローズアップが印象的ですね。おそらく彼は、事態を必要以上に深刻に考えすぎていたこと、かえって自分の根回しが事を面倒にしたかもしれないという可能性が頭をよぎったことでしょう。彼は、まひろとの会話からも彼らが流罪になることを確信していましたから。それゆえに彼の望む海の見える場所が流刑地であればと言ったのです。

 ただ、道長が、直秀らは流罪になると考えたのも仕方のないことです。実際、平安期の盗人には流刑になった者たちがいます。76貫(1800万円)以上相当を盗んで流罪になった者もいますが、中には760文(17520円)で流罪になった者もいます。なかなか悲惨なのは100文(2400円)相当の釜を一個盗み、懲役4年を食らった事例でしょうか…全く割に合いませんね(苦笑)ですから、法令を真っ当に運用すれば、こういうことがあり得るのでしょう。

 しかし、芥川龍之介「羅生門」ではありませんが、治安の悪い都ではこうした窃盗は日常茶飯事だったですから、一々取り締まり、煩雑な手続きを踏んで、刑罰を加えていれば、検非違使たちの身が持ちませんし、物理的に牢も足らなくなるでしょう。検非違使たちは、捜査、逮捕、裁判、執行の迅速化のため、律令という法規を無視し、庁例という慣習法を適用していたと言われます。つまり、現場には現場のルールがあり、それらの実例から独自の法体系を築いていたということです。検非違使の権限拡大につながりますが、それはまた別の話です。

 となると、記録にあるような流罪になった盗人もいる反面、記録にも残らないような軽犯罪として扱われた盗人が数多いたというのが、「光る君へ」の世界ということかもしれません。だから、その慣例では「盗人ならせいぜいむち打ちくらい」なのでしょう。


 そして、このことは、直秀たち散楽師たちにもわかっていたようです。散楽師たちは、取り調べがされない不安を吹き飛ばすため、牢内で女性の話をして盛り上がり、そして浪々と皆で歌って強がります。この強がりは不安が発端とはいえ、彼らが自分たちの盗みが大した罰にならないと「知って」いたがゆえの、ある種の余裕からくる言動です。
 つまり、下々には下々の馴れ合いとルールがある。道長の「余計なこと」が事態を複雑化し、彼らを死に至らしめるわけですね。おそらく最期の瞬間が訪れるまで彼らは自らの死を全く想定していなかったでしょう。だからこそ、この歌い合い、笑い合うシーンは残酷なものに映りますね。


 さて、道長の同僚は、こうした下情に通じていたようで、下々の慣例を心得ていたようですが、右大臣家の三男というお坊ちゃんである道長は、それを知らなかったのでしょう。むしろ、盗みに入ったのが右大臣家ということで、より重くなる可能性を感じてしまったのではないでしょうか(彼自身が右大臣家の人間でなければ考えないことですから因果のことですね)。さらに道長は、直秀が内裏に入った盗賊だという余罪も知っていますから、余計に自然と重罪へと頭が働いてしまったかもしれません。
 勿論、同僚にも看督長にもその余罪を伝えるミスはしていませんが、結果として彼は、こうした犯罪対応の実際に対する中途半端な知識と、自分の思い込みによって、まさしく彼が後に告白したように「余計なこと」をしたのです。


4.検非違使たちが直秀を殺した理由~考えられる二つの可能性と道長の未熟~

 それでは、道長の「余計なこと」がどんなものなのか。彼と検非違使の看督長とのやり取りを改めて確認してみましょう。

 看督長は、頼みごとにきた右大臣家の三男に対して、最初から勿体ぶった態度であるのは印象的です。早い放免を願った道長に余罪も調べる必要があると言い、渋る看督長に「頼む」と頭を下げたときも「いやいや、何せ盗賊でございますからね。腕の一つはへし折り二度と罪を犯させぬようにするのが私の仕事でございます」と自身が公明正大な役人であることを強調します。
 鞭打ちが相場であるならば、そんなことはやらないはずです。看督長は、自身の優位に自覚的で、むしろ身分の高い道長の足元を見て、ハッタリをかましているようにも見えます。仕方なくやるとを強調することで、賄賂を吹っ掛けているという見方ができます。

 道長は兼家のやりようを見ていますから、相手がこういう態度に出ることはある程度、織り込み済みでしょう。だから、すぐにそっと文字どおり袖の下を渡しました。目的のものを頂いた看督長は「承知いたしました」と請け負うと、巻き込まれて捕まったまひろと乙彦についてもその場で解き放つ配慮をします。道長は、用事は済んだとばかりにまひろを連れ、早々に立ち去ります。彼は看督長の対応を見て、よろしく計らうと信じたのです。直秀たちがすぐに解き放たれるとまひろに語る自信に満ちた言葉に、その確信が窺えるでしょう。


 それでは、そこまでしていながら看督長は結局、直秀たちを皆殺しにしたのは何故でしょうか。この理由にはいくつかの可能性がありますが、ここでは二つ採り上げておきましょう。

 考えられる可能性の一つ目は、右大臣家の三男をバカにしたか上流貴族への意趣返しということです。そもそも、右大臣家で捕まえた盗賊を七人も連れてこられること自体、忙しい検非違使庁にとって迷惑な話です。煮るなり焼くなり右大臣家の内々で済ませてほしいというのが本音でしょう。しかも、検非違使庁にとって、彼らの犯罪は鞭打ちだけの軽犯罪です。
 にもかかわらず、彼らに事案を持ち込んでくるのですから、何か事情があるのではないかと勘繰るのは自然な反応でしょう。彼が相手の弱みにつけ込むような態度を見せるのも、そのゲスな勘繰りから金品の匂いを察知するからです。まさか、盗賊の一人を友だと思っているからなどという純情とは思いも寄らないでしょう。


 さて、請け負ったものの、一々、右大臣家の事情に巻き込まれるのはたまったものではありません。この関係の証拠になるような者たちは始末したほうが後腐れはありませんし、また流罪には手間暇がかかります。ひたすら面倒なことを押し付けられただけで割に合わない。

 幸い、自分を信じ、早々に帰っていった道長を見る限り、もうここをわざわざ訪れることもない。となれば、裏切ったところでバレはしないのです。よしんばバレたとしても、そもそも賄賂を渡さねばならないような秘密でしょうから、表立って告発される、追及される可能性も低い。しかも右大臣家といっても、道長自身はまだ官位も低く、それだけの権威もないのですから、看督長を脅かすことはない…怖くありません。そして貰うものは貰いました。


 結局、彼が道長との約束を守らなければならない理由は、何一つないのです。冒頭、直秀が右大臣家の武士たちを「貴族に見下されてきただろう」「悔しくないのか」と煽りましたが、検非違使たちもそうした武士です。検非違使は、武士たちの出世の糸口となる職務でしたから。彼らは誰よりも殿上人になりたくて、そのために上流貴族たちにバカにされ、こき使われています。
 つまり、彼らは庶民たち同様に上流貴族を憎んでいるというのが、その本質なのです(それは家内の武士たちを信用していない道長もよくわかっていたはずなのですが…)。しかも、右大臣家のボンボンは金品さえ渡せば、自分たちがなんでもやると思っている…その高慢な態度も腹立たしいものに映ったことでしょう。であれば、追放したふりをして、さっさと始末してしまうくらいの意趣返しをしたほうが、普段から抱える上流貴族への鬱屈が少しばかり晴れるというものです。所詮は力のない三男坊でしかありませんから。
 以上が、考えられる看督長が直秀を殺した理由の一つ目です。


 そして、可能性の二つ目…おそらく、こちらの可能性が高いように思いますが、それは、看督長が、道長の頼みの言葉を深読みしすぎて、直秀たちを殺せという依頼であると勘違いしたというものです。つまり、看督長自身は、気を利かせて直秀たちを皆殺しにしたという可能性です。
 先にも述べた通り、看督長は、右大臣家が鞭打ちで済ませるような盗人を検非違使庁げ引き渡したこと自体、その裏に理由があると勘繰っています。そこへ三男坊が直々に頼みごとをするのですから、生中な事情ではあるまい、あるいは鞭打ち以上の罰を望んいるのだと一人合点してしまうのも無理はないでしょう。


 ここで二人の会話そのものを検討してみましょう。看督長が余罪について口にすると、道長は「他のことは知らぬが、東三条殿では何も盗っておらぬし、誰も傷つけていない。早めに解き放ってもらいたい」と言いました。道長としては言葉どおりの意味です。同時に、内裏の件など余罪を追及されないようにする配慮も見えます。しかし、言外の意味を取ろうとする看督長には、どう聞こえたでしょうか。

1:「ほかのことは知らぬ→東三条殿に入ったことだけが問題である」

2:「東三条殿では何も盗っておらぬし、誰も傷つけていない→東三条殿に 
  何が起きたかは追及するな」

3:「早めに解き放ってもらいたい→(秘密を知るこいつらを)早々に始末せよ」

 となったのではないでしょうか。おそらく、3が飛躍しすぎに感じられるかもしれませんが、道兼のちやは殺害の件や忯子が身罷った際に話題になった触穢の問題を思い出してください。貴族たちは極力、死というものから遠ざかるようにして、生活しています。それは言葉でも同様です。
 人呪わば穴二つの言葉どおり、悪口雑言はそのままいずれ自分に返ってきます。つまり、「殺せ」「死なせろ」といった言葉を軽々しく言うものではないのです。ですから、殺しの依頼というのは、直接的な言葉ではなく、隠語でなされるでしょう。看督長はそれを読み取ろうとしたのです。



 勿論、隠語でない可能性もありますから、看督長はわざわざ「何故、そのようなお情けを?」と問い返したのです。これは踏み込んだ質問というよりも、殺すということかどうかを確認する意味合いであったと考えられます。しかし、道長は看督長の言葉を、額面どおりにしか受け取りませんでした。 
 しかも、彼の理由は「盗人が友達だから」とおよそ信じてもらえないようのものですから、口にすることが憚られます。だから、彼は「頼む…」と頭を下げたのです。それは誠意以外のなにものでもないのですが、看督長からすれば「それほどに突っ込んではならない事情があるのか」としか受け取れません。殺しの依頼であると確信してしまいます。


 しかし、彼にしても違法な殺しはリスクがありますから「盗賊でございますからね。腕の一つはへし折り二度と罪を犯させぬようにするのが私の仕事でございます」と渋るのですね。「腕を折るなどして傷つけるだけではダメですか?」ということです。そこで、そっと金品を渡されれば、看督長には、有無を言わさせない殺害依頼という回答を突き付けられたとしか感じられないでしょう。
 当然、その際に添えられた「手荒なことはしないでくれ」という道長の懇願は、「穏便に始末せよ」という隠語へとすり替えられることになります。「苦しまずに殺してやれ」ぐらいは読み取ったかもしれません。

 まひろを解き放ったのも、「このおなごは盗人と一緒に殺してはいけない連中なのだろう」と察してのことでしょう。道長の彼女を庇う必死さは、盗人の死を願う思いと表裏のものとして看督長には見えたと考えられます。


 このように看督長が、勝手に道長の言葉の裏を取ったとすると、彼が最初から勿体ぶった態度であったのは「また上流貴族どもが厄介ごとを持ち込んできやがった」という憮然とした反感であったこととも推察できますね。
 また、その隠語を読み取ることに手慣れた対応からは、看督長にとってこうした秘密裡に殺してしまえという上流貴族からの依頼は初めてではないのだという恐ろしいことが見えてきますね。つまり、鳥辺野で打ち捨てられた散楽師らの無残な遺骸は、こうして貴族たちの身勝手な考えで殺された者が多くいることを象徴している場面でもあるのですね。


 第1回の道兼によるちやはの殺害から通ずる、我が家の家格の繁栄のためであれば、自分のためであれば、下々の命などはどれだけも軽んじても構わないという貴族の本質がここにあります。直秀の憎む本質です。そして、道長自身にはそんな見下す思いはないにもかかわらず…それでも、彼は憎むべき貴族の本質を最も体現する右大臣家の息子なのです。だからこそ、看督長は慎重に言葉を選び、彼の言葉を殺害依頼だと誤読したのです。
 これが、右大臣家ではなかったなら、然したる力のない下級貴族であったなら、ここまで深読みしなかったでしょう。道長が右大臣家の三男であったから、起きた悲劇だということになるでしょう。

 そして、これは一つ目の可能性でも、表面上の理由や看督長の思考の流れは違えども、その根っこにあるのは、上流貴族の身勝手にあるという点では同じであるということは重要です。違うのは、彼らの横暴に対して、下々の者たちが反感を持つか、阿るか、その反応の仕方だけです。だから、結果は結局、直秀たちの死という同じところへ帰結するのでしょう。


 言い換えるなら、右大臣家の闇とは、自分の本意にかかわらず、多くの者たちをその野心や欲望と共に突き動かしてしまう家格の業にあるのです。権力の中枢を担い、貴族の頂点を目指すことを宿命づけられた家格の業です。権謀術策は、自分を含むそうした渦巻く野心と欲望を、自分たちに都合よく動かす方策です。

 道長は、欲深く、野心のために人を人と思わぬ辣腕を振るい、ときに人を陥れる権謀術策を使う人間性が、右大臣家の闇であると思っていたように思われます。彼が下々の者に対して居丈高に振る舞い、権力を振りかざすことを嫌うことからも、そのことが窺えます。
 今回、いつもの密会の場でも、直秀の解き放ちは「右大臣家の三郎君が検非違使に命じたから?」というまひろの問いに、道長は「命じてはおらん、心づけをわたしただけ」と返しています。道長には他の貴族のようになってほしくないと願うまひろの思いに「俺は変わっていない」と安心させるという応答ですが、この会話にこそ、彼の事態に対する甘さが出ています。


 道長は、兼家の真似事による根回しの技術だけを利用し、権力を行使することなく、直秀を助けようとしたのですね。右大臣家のお家芸を父や兄のようにはならずに上手くやってみせよう…それが、彼が冒頭、自身の影を見つめたときに覚悟したことだったのです。しかし、家格の業とこうした技術は、単純に主従の関係にあるのではありません。深く深く根で結びついています。権謀術策を使用することは、右大臣家の家格を振りかざすことと不可分なのです。

 したがって、道長は、自分の思いとは関係なく、中途半端に裏から手を回そうと判断したそのときから、直秀の殺害依頼をする運命にあったと言えるでしょう。彼は右大臣家の闇を知ってはいても、その深さまでは理解していなかったと言えるでしょう。


 また、彼の策が生ぬるいものになった理由のもう一つに、自分の善意が他人にも通ずるとどこかで信じていた世間知の足りなさがあります。彼は親兄弟すら信じられるものではない。周りに信じられる者がいないと述べるものの、その一方でまひろは信じているし、直秀もその貴族が敵という信念の一貫性を信じられるとも言っています。道長には、人間性を見抜く力があり、だからこそ身分にこだわりません。それは美徳なのですが、同時にどこかで人を信じたいと願っている甘さでもあるのですね。

 その甘さが、看督長への対応に出てしまいました。彼自身は自分の思いを正直に告げたつもりになっていますが、実際はそうなっていません。看督長のように実利にのみ聡く、裏道にも通じた下級役人の本性を見抜かず、要求するものを渡せば相手が難なく動いてくれるものと単純に思っていました。
 だからこそ、「承知しました」の言葉だけで、その後は直接、確認することもなく済ませてしまいました。交渉では、念には念を押しておく必要があったにもかかわらず、彼らの仕事を信用してしまったのです。これは、世間知の低さ、経験の少なさによるものでしょう。


 これが、兼家であれば、縁の薄い下々の者に対して、誤解を生まないよう依頼ではなく、明確な命令をくだすでしょう。あくまで依頼は互いの信頼関係が築かれていてこそ機能するものだからです。逆に命令は拘束力を持ちますから、信用できない相手にもある程度、縛りとなります。自分に権威があれば尚更、効果的です。
 そして、信用できるかどうかわからない相手に、自分のしてほしいことを間違いなく実行してほしい場合は、はっきりとした形で言葉にするより他ありません。今回であれば、「あの散楽師たちの命を絶対に取るな」でよかったはずです。理由など、利用価値があるからとかなんとか後付けの方便は、頭の良い道長なら思いつくでしょう。

 さらに兼家であれば、心づけも安易に渡しませんね(笑)成功報酬にするでしょうし、事前に渡すのであれば失敗した場合のリスクを話して恫喝することを忘れないだろうと思われます。それは彼が冷酷、残酷だからではありません。物事に首を突っ込むのであれば、完璧な仕事で後腐れなくするか、起きた出来事に責任を取らなければならないことを兼家はよくわかっているからです。中途半端が最も事態を流動的にして、危うくしてしまうのですね。

 このように道長は中途半端に右大臣家の闇を引き受けたことで、ことごとく下手を打ち、直秀たちを無用の死に追い込んだのですね。そして、哀しいかな。道長がこの自身の罪と向き合うことになるのは、全てが手遅れとなったそのときです。それは、自分がはっきりと右大臣家の宿業から逃れ得ないことを目の当たりにした瞬間でもあります。



5.まひろと道長が哀しみを共有するとき~政治家、道長の原点(オリジン)へ~

 その道長が自分の罪と向き合うことになる鳥辺野の場面は入念な演出が施されていました。そもそも、鳥辺野は平安期の三大葬送地として知られ、「源氏物語」はじめ古典文学でも出てきますから、名前を聞いた時点でピンときた人も多かったでしょうね。

 まひろと道長が検非違使庁の門前に行く直前のカットでは空に赤い月が浮かび、普段とは違う不穏な雰囲気が醸し出されていました(赤い月は自然現象に過ぎませんが、今回は血を連想させるものとしているのでしょう)。
 そして、直秀らの危機に思い当たった道長とまひろが飛ばす馬の頭上には烏の群れが飛び、鳥辺野を行く散楽師たちをカメラは手前の烏のアップをナメる形で捉えるなど、直秀らに迫る危機とそれに対する不安が増していく演出がなされていました。これは、まひろたちと視聴者のシンクロさせる効果がありました。

 極めつけは、直秀たちが殺される場面を全く描かなかったことです。鳥辺野に無残に連なる骸を見たときに初めて、直秀の死を知ります。そのときの、眼前の光景が信じられない思い、あるいは何が起きたのか俄かにはわからない思考停止など、まひろたちの心を駆け抜けた様々な衝撃は、同じくそのシーンで死を受け取る視聴者と上手く重なる演出になっています。

 ですから、呆然とした道長が「愚かな…」と呟き、よろよろと直秀の前に跪き、その死を確認することも、彼の土をはらい身ぎれいにしようとすることも、なんとなく共感できたはずです。因みに「愚かな…」は、起きてしまった事態そのものに対する無念、検非違使たちの意向に気づこうともしなかった自分の至らなさの両方があると察せられます。
 穢れを厭うことが染みついている彼が、埋葬しようと遺骸に近づけたのは、直秀への申し訳なさだけでなく、何かしていないと自分の心が壊れてしまうという無意識の部分もあるのではないでしょうか。


 土を握りしめた直秀の手は、その無念を感じさせますね。道長が、その手をこじあけ、自身の扇子を握らせてやったのは、盗賊でも罪人でもなく、あくまで散楽師として送ろうという道長の友人への心遣いでしょう。整えてやると冥福を祈ります。この間、まひろはただただ突っ立っています。衝撃を受けているのは同じでしょうが、彼女の表情には「やはりこうなってしまったか」というような諦観も入り混じっているように思われます。直秀の死に対する道長とまひろの反応の違いは、身近な人間の理不尽な死が初めてか否かというところです。

 彼女は7年も前に道兼に母を殺されたことで、誰かの気まぐれで突然、理不尽な死が人を襲うことを体験しています。その傷は癒えることはありません。それは前回の琵琶で区切りをつけても同じです。だから、日々の生活でやりきれない思いをやり過ごしていても、心のどこかでどこかでこういう悲劇は起こるものだと知っているのです。


 道長は彼らを埋葬するために地面を掘り始めます。野ざらしはあんまりだからです。彼らを埋葬してやれるのは自分だけです。そして、それぐらいしか彼らにしてやれることはありません。彼らの死を悼むまひろもこれには加わり、二人は無言で散楽師七人を埋葬します。道具もなく手作業ですから、画面では土まみれなだけですが、実際は、爪ははがれ、指先は血まみれであったかもしれませんね。

 ともかく、最後の一人、直秀を埋葬するため、その顔を土で覆う瞬間、カメラは死んでいる直秀の主観の映像になります。当然、死んでいる彼が見ているはずはありません。しかし、もしかすると彼はその死の瞬間、二人を思ったのかもしれません。彼を捕まえた風変りな貴族の三男への奇妙な思い、彼の盗賊騒動で巻き込んでしまった貴族の少女への心配。だとすれば、こうして埋葬することで直秀を看取ったのが、彼が内心では心惹かれていた貴族の友人二人であるのは、直秀へせめてもの救いを与えようという演出的な心遣いかもしれません。
 肉体的には死んでいるけれど、直秀の魂は最後に彼らを見ながら逝く…きっと彼らの物憂げな表情を見て「そんな顔すんなよ…」と苦笑いしているかもしれませんね。


 埋葬を終え、改めて冥福を祈ると、道長は、土まみれになったまひろに気づき、「すまない…」とその着物の裾ぶ着いた土をはらい始めます。まひろは「必要ない」と無言で首を振るのですが、道長はますます丹念に丁寧に土をはらい続けるばかり。勿論、まひろをこのようなことに巻き込み、こんな結果になり失望させ。埋葬まで手伝わせてしまったことへの申し訳なさと思いやりもあります。
 ただ、それ以上に、何かしていないと抱えた衝撃とやり切れない思いのやり場がないという逃避行動の面が強くあるのでしょう。ですから、思わず漏れた「すまない」も彼女へ向けてだけのものではないのです。


 しかし、聡明な道長は自分を騙し続けることはできません。一寸、呆然となると「すまない!」と叫ぶと「皆を殺したのは…俺なんだ…」とまひろに告白します。彼は同僚の話を聞いたときから、なんとなく自分が余計なことをしたのではないかという疑念を抱いていました。それを押し隠し、直秀の無事を確認し、見送ることで杞憂であると思いたかったのでしょう…
 しかし、淡い期待は裏切られ、一番恐れていた惨い結果が突き付けられました。それは、彼自身の無能と罪そのものなのです。結局、何もできないばかりか、最悪の結果を招いたのです。寧ろ、何もしなければ、少なくとも彼らの命は助かったかもしれない。


 告白した彼の左半分が光に照らされ、右半分が影になっている顔のクローズアップというカットが印象的です。彼の善意が、そのまま罪になったという、右大臣家の若君の両義性を示しているのでしょう。先に確認したとおり、看督長の判断理由の本心がなんであれ、彼が右大臣家の若君でなかったのならその決断はなかったのですから

 道長の罪深さは、四つあるでしょう。一つは、下々の慣例に通じていないという無知。二つは、右大臣家という家格の他者への影響力の理解不足。三つは、何もできない自身の官位(右兵衛権佐)が低さへの自覚の無さ。そして、自身の善意が他人に通じると思い込んだ甘さです。これらは、以前のnote記事で指摘した、政に背を向け、右大臣家の人間であることから逃避する道長の処世術の積み重ねが招いたことと思われます。


 その結果、道長は、責任も取れないのに、中途半端に事態に介入して、混乱を招き、直秀たち七人の散楽師を死に至らしめたのです。あれほど「人を殺めるな」と兼家に忠告をされたのに、彼は直接的ではないとはいえ、人を殺してしまったのです。直秀一人であっても友人の命は重く、そこにさらに六人がプラスされれば、その罪の意識は計り知れないでしょう。
 それでも「余計なことをした…!」と自分の罪と向き合えるのは、彼が信じられるまひろの前だからでしょう。彼は膝を叩き、声にならない慟哭をあげ、「すまない…すまない…」と呟きながら崩れ折れ、地面に手をつきます。


 実はこの道長の懺悔が、第5回でまひろが「自分が母を殺した」と罪の意識を告白したことの対比になっています。あのときは、まひろの懺悔を道長が受け止めました。しかし、あのときのまひろと決定的に違うのは、まひろのそれは実際には道義的な責任は全くないのに対し、今回の道長の場合は明らかに彼の剥きだしの善意が、彼らの死を招いており、その道義的責任は逃れようもないということです。

 往々にして善意が最悪の結果を招くことはありますが、それは道長にとって何の慰めにもなりませんし、彼らへとまひろへの謝罪の言葉をどんなに繰り返しても、厳然とした死を前に罪の意識がなくなるものではありません。


 ですから、その謝罪は「すまない…すまない!」「すまなかった!すまなかった!」と狂気じみた激情へ変わっていきます。壊れそうになっていく道長に対して、まひろはかける言葉がありません。あまりにも事情を理解していませんし、自分のときとは差があります。まして、何かができるわけでなかった無力な自分に、一生懸命なんとかしようとした道長をとやかく言えるはずもないのです。彼女にできるのは、あのとき道長が「俺はまひろの言うことを信じる」と言ったように、自分もまた道長の善意を信じてやることだけです。

 駆けられる言葉がないからこそ、彼女はその声もなく泣き崩れる道長を背中から抱きすくめるのです。彼女は、道長が今感じている取り返しのつかない罪と哀しみを既に知っています。同じ闇を抱えるからこそ、まひろは道長を抱き寄せられるのでしょう。
 これは第5回で道長がまひろを抱きしめてやれなかったことの裏返しになっていますね。第5回は、まひろは道長の胸で泣くものの、彼は彼女を抱きしめることはしませんでした。これは、日なたを生きてきた彼には、彼女の慟哭を受け止めるだけの経験も闇も持ち合わせておらず、どうしてよいかわからなかったからなのですね。次兄と問い質すことしか思いつけなかったのでしょう。

   さて、ただひたすら、強く道長を抱きすくめる彼女の行為は「彼を信じる」という言葉以上のものがあると察せられます。そして、道長を真に思うからこそ、抱きすくめたとき、彼の震える背中からあふれ出す絶望、悔しさ、哀しみを体感できたのではないでしょうか。
 彼の身体を通じてあふれたその無念と辛さは、まひろ自身が直秀を失い感じていたものと同じです。道長の哀しみを体感したことで、諦観によってせき止められていた彼女の哀しみも一気にあふれ出します。さらに、道長を思いながら抱きすくめるしかできない自身の無力がそこに加わったとき…まひろは道長の背中で泣き出すのです。

 そして、そんなまひろの嗚咽を背中で感じ取ったとき、初めて道長は声をあげて号泣し、自らの感情を吐き出していくことになります。まひろと道長、二人の思いが重なり合いと響き合っていくこのプロセス、吉高由里子さんと柄本佑くんの芝居、そして演出は、今回の白眉と言えるシーンでしょう。
 ようやく、二人は自分たちが大切な友人であり、自分たちの貴族社会の閉塞感の逃避先でもあった人(第8回note記事参照)を永遠に失ったこと哀しみを自覚したのですね。


 かつて、直秀は二人を引き合わせるキューピッドを務めたことがありましたが、彼の死は、二人の思いを響かせ合い、その哀しみを共有させたことで魂を結びつけてしまったようです。これほど悲しく、哀れでありながら、濃密な抱擁はなかなかありませんね。凡百の恋愛ドラマのハグの及ぶところではないでしょう。

 帰路、泣き疲れた二人…まひろは馬上で、道長は馬を引きながら放心しており、顔を見合わすことはありません。しかし、あの哀しみの共有は、二人の道を決めていくことになると思われます。このような哀しみを二度と繰り返さないにはどうするかということです。



 道長がこの後、何を考えたのかは、今回は出てきませんでした。しかし、まひろがその答えをほんのりと表して、今回の幕を引いているのが注目ポイントです。
 ラストは、あの惨事から少し経ったある日、大学に行く弟、惟規も送り出す場面です。相変わらず、学才あふれる父、姉と違いイマイチな彼です。為時が、励ましの言葉として送った「一念通天 率先垂範 温故知新 独学孤陋」はどれも四字熟語として現代の国語辞典にも掲載されているもの。耳で聞いただけで、全部、意味がわかった視聴者もいたはずですが、それが一つしかわからなかった惟規です。
 「情けない…」という為時の言葉も、今回ばかりは頷かざるを得ません。少なくとも大学で国語教育を教えて家う身としては(笑)


 そんな息子を心配しながらも、為時ははまひろに「お前が男であったらと今も思うた」茶目っ気たっぷりに言います。「今も」と言うあたりが本当に残念という思いがあるのですね。
 それに対して、まひろは初めて「私もこの頃そう思いますよ」と答えます。「この頃」というのは、直秀の死だけを指すのではないでしょう。勿論、それはとてつもなく大きいはずですが、彼らと散楽を作ったことも、打毬で聞いた男たちの会話を聞いたことも、道長との出会いも、楽しかったことも辛かったことも、彼女がこの世の中の理不尽を見る視座となっていった。それら全てを含めての「この頃」です。

 そして、彼女は「男であったなら勉学にすこぶる励んで内裏にあがり…世を正します…」ときっぱり言い切ります。「世を正します」の言葉の前に一拍、間があるのがよいですね。彼女の真意がそこにあると視聴者にも伝わりますね。
 娘の貴族男子顔負けの優等生な答えに、「ほおお」と目を丸くする為時に「言い過ぎました」と微笑し、その場を笑いでおさめるまひろですが、その思いは真実です。しかし、平安という時代では、彼女が直接、内裏にあがり、世を正す政をすることは許されません。
 それができるのは、同じ哀しみを背負い、志を同じくする右大臣家の人間、道長だけです。つまり、このまひろの最後の言葉は、道長自身の気持ちをも表しているのではないでしょうか。



6.何もかもが徹底的である兼家の手腕と覚悟

 道長は、これまで右大臣家の人間として政にかかわることを極力避け、同僚や周りとも角を立てないように生きてきました。これは、以前のnote記事で指摘したように、道長の処世術であると同時に、自分の穏やかな心を守っていく、自衛のための逃避でした。しかし、それは、道長を、世情に対する無知、官位を求めないがゆえの無力、家格に見合う覚悟を中途半端にしか持たない態度と全てにおいて中途半端な人間にしてしまう面も持っていたことが、今回の取り返しのつかない惨事によって明らかになりました。

 道長は下々の者を軽んじ、まひろの母を殺して平然としている道兼を軽蔑していましたが、皮肉なことに今回、道長は次兄と同じく、人殺しの罪を身に秘めてこれからを生きていくことになってしまいました。勿論、これは道長とまひろだけの秘密です。それでも、心優しい彼は、この大きな代償を生涯、心に秘めていくと思われます。


 二度とこのようなことを繰り返さない…これが政治家、藤原道長の原点になるのではないでしょうか。まひろが母の死によって、何故そうなったかを世を見つめ、それをもとに物語を紡いでいく原点とするように。二人は似た者同士でもあるのですね。

 今回、道長は、下々の者に対する慈しみと善意がかえって彼らを殺してしまうという現実を知りました。道兼のような蔑みはもっての他ですが、下々をどう思っているかということが、必ずしも正しき政の絶対条件ではないのです。その志や慈しみを形にするため、何もかもを犠牲にしていける覚悟、そして具体的な手段を取れるような状況づくりです。この状況づくりには、方法を考える頭脳、事を成せるように人脈をつくること、政を動かす地位を得ることなど諸々が入っていることがあると言えるでしょう。


 道長が下級貴族であるのであれば、その道のりはかなり難しいですが、幸い彼は右大臣家の人間。第1回で詮子がいったように放っておいても地位は得られる可能性が高い。右大臣家という家格に生まれ、性情を穏やかな陽の気質を持ち、人に好かれ、姫君の噂になるほどには凛々しく、物事のあらましをつかみ、人柄を見抜く才覚がある道長。持つものを全て持っている人間は、それに相応しい役割を果たさなければならない…それが平安期の貴族社会なのでしょう。

 そして、その役割を果たす先にしか道長が思うような穏やかな世界はないのです。人任せにして、逃げているだけでは、不幸だけが生まれます。


 そのためにすべきことはなにか…それは父、兼家が体現しています。彼は権力志向の強い人物ですが、その一方で政治的手腕は高い人物であり、卑しいだけの人物ではありません。本作では立場上、ヒールの側面は強いのですが、決して悪人として描かれているわけでありません。他の貴族や皇族も、日和見、強引で卑怯なな手口、自尊心が高いなど、権力闘争だけを考えている大差はありません。

 例外は、実資だけでしょう。勤勉ですし、安易におなごを勧めようさせる義懐に「帝のお心が癒さなければ」と敬意と慮りを見せています。まったくもって「わしが公卿であればどんな帝でも正しくお導きいたすのに…わしが公卿であれば!」と彼が言う面はあります。ただ、彼はこういう人ですので、参謀や実務では役に立ちますが、人脈をつくって上手くやっていくタイプでないのが玉に瑕でしょう。後、うんさりする妻の空気が読めず。愚痴りすぎて「日記日記」と言われるところも…(笑)


 話を兼家に戻しましょう。貴族らの顔ぶれを見る限り、道長がマシというだけあって、兼家は我が家の繁栄に固執しすぎる面を除けば、優秀な人物であり、また頭脳も恐ろしく切れます。また、目的のためであれば、自分の病ですら、その担保に入れることすら厭いません。明確な目的のために、必要な手段を確実に取ることができ、また、そのために必要な人材を必要なときに得られるというのは、頂点に立つ人間には必須な才です。


 その才を遺憾なく発揮したのが、四兄弟を前に花山帝退位の権謀術策を披露した場面です。前回のnote記事では、最初から仮病と考察しましたが、流石にそこまで悪辣ではなかったようですが、
 心の共犯者でもある晴明の進言を受け、敵を騙すにはまず味方からとばかりに道兼を除く子どもらに対してすら仮病を貫きました。やっぱり二人きりのときにしっかり密談をしていましたね(笑)

 彼は自身が病に倒れてしまったことで弱気になり、「わしはどうなる?このまま東宮懐仁さまのご即位を見届けられず終わるのか?」と聞きます。我が子すら愛情を使って道具にしている兼家は、我が子を信用せず、利害関係を割り切り合えている晴明にだけ、その弱気を吐くというのがいいですね。彼らは「この国の未来」のためという目的意識は一致しており、そのために兼家は「頂点を目指す」こと、晴明は「陰陽寮の立場を確保する」ことに専念しているのです。誰よりも互いを必要としている関係であることは、これまでのやり取りで明らかです。


 さて、弱気なビジネスパートナーを奮起させる晴明は、花山帝を退位させる策がないという兼家の心労の原因を取り除く策を授けます。前回のnote記事で話しましたが、陰陽師の本領は人の心を操り、その命運と世を治めることにあります。兼家に策を献ずるのも、彼なりの処方箋と言えます。ですから、単に策について自ら話し出すようなことは避け、「私の秘策…お買いになりますか?」と問いかけます。

 これは、処方箋などというものは、本人がそれを信じ、その気になってこそ効果があるからです。しかも秘策というからには、リスクがある。その覚悟を持っていなければなりません。ですから、判断を兼家に委ね、その覚悟を今一度問うているのですね。また、「私の秘策…」と一拍置くのが晴明の巧いところです。とっておきの策と勿体ぶることで、晴明という人間の必要性を暗に示し、一方で兼家を心から安心させる効果も期待しての発言なのです。案の定、兼家はニンマリと満足そうに「買おう!」と明言します…そのぱあああっと明るくなった顔には病の色は既に見えません。

 晴明が、兼家にとって医者以上に医者になれるのは、普段からの緊張と馴れ合いのやり取りと晴明の実績の積み重ねがあればこそ。ある種の信頼が築かれている二人の謀議は、何とも楽しそうです…やはり二人の謀議は男女の睦言を超えていると思えます(笑)


 さて、晴明の策の要諦は次のようなものです。前半は兼家の実際の病を利用して忯子の怨霊の存在を信用させることです。頃合いを見計らい、兼家が回復することで、今度は内裏に成仏できない忯子の御霊が内裏に取り憑いたとするのが計画の後半です。死してなお忯子を想い哀しみ続ける花山帝をその成仏のために出家させるのです。

 この策の前半は、兼家の不在によって、義懐の専横、あるいは味方だった貴族の離反など政敵の蠢動を呼び込む、自分の家がバラバラになるといったリスクを伴います。兼家は自身の政治生命をかけるのです。
 一方、前半の忯子の怨霊を信用させる部分と後半の出家の提案では、晴明が政敵らを前に言葉巧みに彼らの心を操らねばなりません。忯子の怨霊など全くの嘘なのですから、バレたら勿論、彼らを誘導できない場合も、晴明の陰陽師としての命脈も断たれます。つまり、要所要所で、兼家と晴明は己の存在をかけて、策を実行するのですね。


 このような兼家だからこそ、「これより力の全てをかけて帝を玉座より引き下ろし奉る!皆、心してついて来い!」という不敬極まりない宣言も圧倒的なカリスマとして機能し、バラバラになりかけていた右大臣家を一気にまとめあげることも可能なのですね。
 嫡男道隆は「父上の見事さに打ち震えた。命をかけて父上をお支え申そう」と忠誠を誓います。彼もまた父と同じく、この家にかける覚悟を決めたのです。それは、嫡男としても必要なことですから、兼家の言葉は効果的でした。

 既にこの計画の片棒を担いでいる道兼は、自分だけが兄弟を出し抜いていることに満足気です。「兄上と道長がのん、びり」している間に「私は体を張って、父上の命を果たそうとしていたのです」という言葉には、嫌味と自信が宿っていますね。「のんびり」という言葉の真ん中を切って「のん、びり」と力を込める言い方は、揶揄以外にありませんね(笑)
 道兼は嫡男道隆や末っ子道長のように無条件で愛されるわけではありません。ですから、こうした兄弟に対する優越感だけが彼の満たされない心を埋めるものであるということです。

 ただし、自分の全霊をかけるという点では、道兼もまた父と同じく振り切っています。前回、推察したとおり、彼が花山帝の懐に潜り込んだのは芝居で、父からの虐待と銘打った体中の傷はやはり自作自演だったわけですが、そうとわかっていても狂気を感じざるを得ませんね。決して得ることのできない父への愛情に恋かがれるその心がなせる業です。

 ただ、彼はそうした奇策だけに頼っているわけではありません。帝の信用を得るために、その心を捉えることを忘れていません。義懐は花山帝の信頼が厚かったはずですが、あっという間に様子が変わり、義懐は焦りを感じています。実資との言い争いも、元はその焦りによるものです。二人が言い争う中、ちらっと映った道兼が薄く笑っていることは見逃せないところ。花山帝と義懐の間に亀裂を入れたのが彼だからです。

 花山帝が、義懐から皇子を儲けるため他の女性との関係を求められる苦痛を漏らしたとき、道兼は「何と惨いことを。人の心はそのように都合よく移ろうものではないのに」と涙ながらに花山帝の気持ちを自分だけは「痛いほどわかっております」と述べます。本来、ここは花山帝と義懐、双方の気持ちを慮り、間を取るのが忠臣の態度として妥当です。しかし、道兼は暗に義懐を帝の御心を理解しない不忠ものと断じることで、亀裂を入れているのです。
 嘘の涙まで流しながら感情に訴える「離間の策」を講じられる道兼には、意外なほど間者としての才があったと言えるでしょう。こう考えてみると、兼家は道兼の心を利用し尽くすという点では酷薄という他ありませんが、人材を見る目はあり、適材適所に扱っていると言えるでしょう。


 ところで、兼家に反抗の意思を明確にしていた詮子に対しても、兼家はきちんと対処し、先手を打ったことも巧妙でした。彼は、どこかで彼女を抑え込む機会を窺っていたと思われます。まんまとその手に乗ってしまったのは、詮子のほうです。

 彼女は兼家の死は間近と早合点し「父上にもしものことがありましても、東宮懐仁さまの後ろ楯はございますので、どうぞご安心くださいませ。お心おきなく旅立たれませ」と本性を表します。兼家はその瞬間を見逃さず「そうはいかぬぞ」と目覚め、絶妙なタイミングでその反抗を封じてしまえるのです。心底、驚かされ、恐怖におののいた彼女は、完全に毒気が抜けて放心状態です…だから、前回、手札を見せすぎと書いたのに(笑)


 そして、その放心に安心することはありません。兼家の呼びかけに一人反応しない詮子を見て、「詮子!源なぞ何の力もない。わしについて来なければ、懐仁さまご即位はないと思え!」とトドメを刺すことを忘れないあたりが入念です。この言葉は半分正しくて、半分間違いでしょう。まず、左大臣雅信のこれまでの描かれ方からすれば、野心も強くはなく、また兼家のように自身すら薪にくべて権謀術策を成すような覚悟はありません。ですから、その兼家の気概に詮子は納得ずくで引き下がるかありません。

 ただ、源家の血統を兼家を詮子同様、利用としたのは兼家も同じです。詮子の目の付け所は決して間違っているわけでもないのです。ですから、最大限彼女を脅かして、牽制しておく必要もあったと考えられます。詮子が目論んだように、懐仁を擁する彼女こそが政治的な要なのですから。このように身内だろうと油断なく、釘を刺せるのも当主の必要な能力です。

 このように、手抜かりだらけだった道長とは違い、兼家には中途半端さは一切なく、目的のために邁進しています。綱渡りな面はあっても、的確に花山帝を追い込めるのは当然で、目的達成は目前になっています。道長が足りていない全てを兼家は持ち合わせているのです。



おわりに

 実際のところ、帝を、存在しない怨霊を使って騙すというのは、かなりの離れ業です。そのような危うい権謀術策に首を突っ込むからには、中途半端はいけません。失敗すれば責任を取るだけ、だから、後悔しないよう打つべき手を徹底的に打つのです。勿論、虎穴に入らずんば虎子を得ずとはいうものの、闇雲に突っ込むのは愚か者です。ですから、そのギリギリのところを見極めることも重要です。

 それができるのは、一つには、彼ら二人の長年の経験があります。この経験には信頼関係が含まれます。これは心を許し合うというソウルメイト的なものではありません。例えば、晴明は兼家の頂点に立つという強欲を信じ、兼家は晴明の才覚を信じているのです。そのことは、二人の言葉から窺えます。こうした一見、奇妙な信頼関係も、この奇策の要諦なのです。言い換えるなら、主の覚悟を信じられるからこそ、臣下もその力量を発揮できるのです。これは、昨年の「どうする家康」でも見られた主従関係ですね。


 そして、見極めに必要なものの三つ目と四つ目は、情報と下準備です。今回、晴明が的確に花山帝の心を操り、出家に追い込めているのは、晴明の才覚もありますが、もう一つ、花山帝の心理状態をよく知っているからです。占い師が相手の事前情報をよく知っているのと同じですね(笑)そして、その情報を送ってくれているのは、間者の道兼です。彼はさらに、その信頼を利用し、花山帝の心を忯子に心を痛める方向へ加速させる言動をし、花山帝を孤立させています。最早、彼には出家の一本道しかありません。準備万端です。

 つまり、兼家の権力の源は、覚悟と才覚と人脈と情報収集ということになります。これらは、道長が直秀救出に際して足りていないかったものです。


 道長は、兼家が家族結束を呼び掛けたとき、周りに合わせ一礼したものの、その後、三兄弟の会話での彼のカットはうつむき加減のものであり、本心では納得していない様子が窺えました。父の実力は認め、敬愛もあるがゆえに面と向かって逆らいはしないが、積極的に政には参加しないようにするだけです。この半端な態度で右大臣家の三男という立場を利用したことで、結局、彼は取り返しのつかない代償を払うことになってしまいました。

 先に述べたとおり、彼は最早、逃げることはできません。自分の大切なものを守り、自分の望む穏やかな世の中を作るには、兼家の手法を学び取っていく以外ないのです。権謀術策は方法でしかありません。道長は、結局、策を使う者の信念と覚悟が問われるのだと思い極めるのかもしれません。
 勿論、権力は人を曲げていきますから油断は禁物です。だから、権謀術策を究める一方で、自分が今回、受けた喪失と後悔と無念だけは忘れず、その穏やかな初心を保ち続けなければなりません。そのために必要な存在が、気持ちを共有したまひろになるのでしょう。

 逸話では、道長は花山帝出家の一件において、積極的に役割を果たします。この謀略へのかかわりが、直秀を失った絶望を経た道長の権力志向の始まりになるかもしれません。

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