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「光る君へ」第1回 「約束の月」 母の生きづらさが、まひろの作家の原点か

はじめに
 皆さんは「文章を書くこと」が好きでしょうか。義務教育の頃、読書感想文、生活作文に苦しんだ、あるいは放棄したという方もいらっしゃるでしょう。寧ろ、書くことが好きな人というのは少数派に思われます。
 一方で「文章を書くこと」に意味を見出す人もいるでしょう。例えば、毎日、日記をつけている人は、日々の出来事と思いを書き留めることによって、自分の記憶を封じ込め、あるいはもやもやしていた自分の気持ちを整理することができます。

 因みに、かく言う私も「文章を書くこと」は嫌いです(笑)研究の資料調査、それをもとにあれこれ考えているうちは楽しいですが、必要に迫られ、それを文章に起こすとなると体力的にも時間的にも相当に苦労します。また、さして文章が上手くありませんから、書いては自己嫌悪に陥ることもたびたびあります。
 ただし、書き出して客観的に見られるようになって、初めて自分が書こうとしていたこと、考えていたことの実像がはっきりするのも事実です。

 つまり、「文章を書くこと」とは、自分自身と向き合うことでもあるのですね。嫌いな理由も、技術的なものと自身と向き合うことの辛さの二つがあるのでしょう。そして、この点が学校現場における作文教育の難しさでもあります。
 このように自分自身と向き合うことになる「文章を書くこと」は比較的ハードルの高いことです。にもかかわらず、紫式部は和歌を詠み、日記を書くばかりか、それまで日本にはなかった大長編の物語文学「源氏物語」まで生み出すことになります。おそらくは、彼女は文章を書かずにはおれない、書かなければ精神的に死んでしまうような切羽詰まった心情があるのではないでしょうか。その胸に抱えた様々な思いは、物語を書く中で昇華されたように思われます。

 となると、その原動力はどこにあるのか。それが気になりますよね。まひろ(紫式部)の少女時代が描かれる「光る君へ」第1回は、後に「源氏物語」を書くに至る彼女の原点、つまり、まひろオリジンが詰まっているように思われます。そこで今回は、彼女が言葉を紡ぐようになる原体験とは何かについて考えてみましょう。


1.三郎以外に本音を言えない詮子
 今回は、藤原北家に属する二つの対照的な家族を中心に描かれました。一つは、北家の末端の貴族であるまひろの父、藤原為時の一家。そして、もう一つは、大納言、藤原兼家の一家です。
 まずは兼家の家について、見てみましょう。彼らトップクラスの平安貴族のありようを端的に示したのが、東三条殿での藤原兼家とその家族たちとの会食のシーンです。兼家と正妻、その息子たちと長男道隆家族が揃っていますが、その話題は二つです。一つは、娘詮子の入内が決まったことについて。

もう一つは、道隆の元で生まれた姫を兼家に引き合わせることです。この姫こそは、後の中宮定子ですが、兼家は赤子の彼女を抱きながら「いつか入内させねばのう」と笑みを浮かべ、道隆もそのために大切に育てると応えています。結局、孫娘についても、男たちの話は、詮子の入内と話題は同じなのです。要は、摂関家において、娘とは生まれた時から、天皇の后として皇子を産むための政治的な駒であることを、この会話は端的に示しています。

 977年年末当時、関白だった兄の兼通と仲の悪かった兼家は、兼通の死後も政治的に不遇な環境にあったため、当時の関白、藤原頼忠に強く対抗意識を持っています。ですから、彼が復権を目指し、娘の入内を足掛かりにしようとするのは、権力争いの真っただ中での当然の心理とも言えるでしょう。
 しかし、直接的に矢面に立つわけでもなく、性格的にも温厚な長男道隆をして、詮子の入内が頼忠の娘、遵子より遅れることについて、入内の序列よりもいかに皇子を早く産むかが大切であると兼家を慰めています。道隆に悪気はありません。ただ、摂関家の姫の宿命を当たり前のものと考えているだけです。

 長男が着実に兼家の後継者として外戚関係を作る姫を設けたことに対抗意識を燃やす次男、道兼もまた早く結婚して姫を設けたいと主張しています(皆からはスルーされますが)から、この家の男たちは、まだ蚊帳の外にある少年、三郎(後の道長)を除いて、全員が女性を政治的な駒とすることに、何の疑問を抱いていないことがわかります。


 ですから、詮子は政治的に振る舞わず、「怒ることが好きではない」心優しい三郎にだけ、「お顔立ちが好きでなかったら皇子を生むのは辛いと思うのよねぇ」と本音を漏らすのです。言いようは冗談めかしていますが、入内が決まって以来夜も眠れないとまで言うのですから、字面どおりの好きでもない男の元へ嫁ぐことへの生理的嫌悪感だけではないことが窺えます。

 彼女は、皇子を産むか産まないかで、一家の繁栄の全てが決まってしまうという与えられた役割の重さに押しつぶされそうになっているのです。ベテラン女優である吉田羊さんが演じているのでピンと来ていない方もいるかもしれませんが、この時点で彼女は15、6歳の少女です。ただでさえ、出産は女性の精神と身体に大きな負担をかける命がけのものです。その上、男どもの野心までが彼女の双肩にかかっている。いかに過酷なプレッシャーであるかは、推して知るべしですね。
 とはいえ、この運命から逃れることはできません。彼女の不安を知ってか知らずか、三郎がおどけて笑わせようとしてくれることは、深刻に受け止められるよりも救われるのかもしれませんね。

 
 このように、詮子たち、姫君たちの意思や思いとは無関係に、ひたすら家を守り、繫栄させることだけが最優先されるのが貴族社会の常識なのです。貴族らは、彼女たちが皇子を産まなければ、天皇の外戚になることもできず、政治的基盤は盤石にはなりません。日本史でもざっくり習う摂関政治とは、女性たちに依拠しなければ政治基盤が成り立たないにもかかわらず、その女性たちの意思をないがしろにしているという非常に脆弱な男性優位のシステムであることを、この一連のシークエンスは説明しているのです。

 その後、978年8月、遵子に送れること4ヵ月、彼女は入内します。幸い、彼女にとって円融帝は相性がよく寵愛を受けることになりますが、その過ぎたる寵愛は、晴明宅への落雷と火災という変事と重ねられ、凶事として口さがない女御たちの噂に上ります。
 このくだりは「源氏物語」の「桐壺」の冒頭部分、「すぐれてときめきたまふありけり」(「際立って帝のご寵愛を受けいらっしゃる方がいました」)のオマージュですね。女性ばかりの社会が嫉妬と羨望に溢れ、かえって生きづらいことは、女子校、女子大に通っていた方も実感があるかもしれませんし、あるいは、フジテレビの「大奥」シリーズや韓国や中国の時代劇の宮廷ものをご存知の方ならばよく知るところでしょう。

 特に先にも言ったとおり、寵愛を受け皇子を産むことは、実家の権力ともつながることになります。ですから、ホモソーシャルな男社会の権力闘争が宮中の女性社会にも投影されている部分があることも心に留めておきたいところです。
 ですから、このことに対して、兼家が「慶事の雨風は吉兆じゃ、詮子の入内は吉じゃ」との噂を流すよう道隆に命じるのです。宮中の女性たちの争いもまた、男たちの権力争いの延長線上にあることを示しています。詮子が「源氏物語」の桐壺と同じ末路をたどらずに済んだのは、この有力な後ろ盾があったからです。

 この際、父の命に戸惑うお人好しの道隆に、「世の流れは己で作るのだ」「頭を使え、肝を据えよ」と叱咤する兼家には、骨の髄まで権謀術策に染まっていると同時に、娘の入内だけに頼ることなく、積極的に政局を動かしていこうとする有能さの側面も出ていますね(逆に道隆は人が好いだけの無能ですが)。

 因みに彼は、息子たちについても同様に政治的な駒として考えています。ある夜、正妻である時姫が、次男道兼の粗野と冷酷の憂いを訴えますが、彼は、「嫡男道隆を汚れなき者にしておくために泥をかぶるものがおらねばならぬ」とうそぶき、道兼に汚れ役を担わせようとしていることを匂わせています。三郎に対しても「やる気がないが、ものごとのあらましが見えておる」と的確な人物評で、兼家という人物がただ物ではないことが窺えます。

 このように権力争いの中枢にいる九条流の兼家の家では、全てが一家の繁栄を支える駒として、家長の命に従います。そこに個人の自由はありません。その中でも特に姫君たちは、最も重要な駒でありながら、最も自由がなく、その意思を示すことすら許されません。生活は裕福であっても、奴隷のような立場にあると言えるでしょう。


2.良妻賢母の裏にあるちやはの悩み
 それでは、権力闘争から完全に外れている無役の弱小貴族の女性たちはどうでしょうか。父為時が5年も任官から離れているため、まひろの家は、雨が降れば雨漏りするほどの屋敷に住まなければならないほど困窮しています。屋敷の使用人たちにも十分な手当も出せず、彼らも理由をつけては止めていくような状況です。
 まひろは、母ちやはが、衣を食べ物に換えていること、大好きな琵琶を弾くことがなくなったことを指摘し、経済状況を心配します。父が読む漢籍を床掃除しながら諳んじるほどに賢いまひろは、母が生活だけでなく、精神的にも余裕がないことに気づいているのですね。

 そんな娘の心配に、ちやはは、年が明け除目(諸官を任命)が行われれば、今度こそ博識な学者である為時が任官され、生活が楽になるからそれまでの辛抱だと諭し、安心させようと「大丈夫、大丈夫」を繰り返します。娘の不安を除き、使用人に心を配り、神仏に欠かさず花を添え祈り、家計を支える…まさに平安の良妻賢母といった体の女性です。
 しかし、仏に祈った後、少しうつむく彼女の憂いを秘めた表情は見逃せません。娘に諭したものの実際は相当に余裕がないのでしょう。「大丈夫、大丈夫」は、自分に言い聞かせる言葉でもあるのでしょうが、その本心はこの生活に疲れ果てているのです。

 そんな彼女の後ろで朗々と響くのは、為時の漢籍を読む声です。生活苦にかかわらず、彼のほうは漢籍の数々を手放すでもなく、ひたすら学問に打ち込むばかり。その朗々とした声には、生活苦の憂いは感じられない呑気なものです。彼女の憂いの対比になっている為時の様からは、この家の苦しい家計をちやはが一手に引き受け、彼には学問に専念させていることが窺えます。

 当時の婚姻は、妻問婚という婿入りです。ちやは嫡妻ですから、為時と一緒に居住していますが、財産については、妻の財産は妻方の氏族が、夫の財産は夫方の氏族が管理していました。ですから、彼女自身が一身に背負うのは当時としては仕方がない面はあるのです。とはいえ、ちやはの口ぶりからすれば、為時は任官されているときは彼女に経済面で支えてもいたのでしょう。その日を夢見て、彼女は頑張っているのでしょう。夕餉も兼家宅とは比べるべくもなく貧しいものですが、一通り揃えられた膳、涙ぐましい努力をしているのでしょう。

 5年もの任官無しという現状が、時の不運によるものであれば仕方のないところです。しかし、「なまじ学問が優れていると誇り高くて厄介」と宣孝が評するように、出世に縁故を頼ることを躊躇するようなプライドばかり高い堅物であることに原因があります。更には自身の推薦文で自分の窮状を嘆くのはともかく、他人の能力の無さを指摘することでそれを任じた帝を非難する始末。世情に疎く、人様の心の機微が全く理解できないのですね。

 そのことは、物語の後半、兼家が下心をもって東宮、師貞親王の副侍読に任じたことも気づかずに、ただただ感謝していることにも表れています。
平たく言えば、彼の学問とは単なる知識であって、生きる知恵としては全く活かされない空疎なものなのです。彼の講義を東宮がまともに聞いていないのは、東宮自身のやんちゃさも多いありますが、彼の学問に中身がないからでもあります。
 結局、為時は、内助の功に頼り切り、自己中心的な性格で結果を出せない甲斐性なしなのです。

 また彼の利己性は、貧しさにもかかわらず(実家が多少豊かであろう)側妻のところに行くところにも表れています。
 まひろは「母上は毎日願掛けして、父上のために祈っているのに。なぜ父上は家を空けて平気なの?」と、ちやはの愛情の深さをないがしろにする為時が理解できません。ちやはは、「私の里が豊かであれば、こんな苦労はしないで済んだのです」と貧しさの原因は、あくまで自分のせいであり「夜のお出かけに文句を言ってはいけないわ」と諭します。

 まひろは愛情深い母よりも側妻のが良いのかと更に核心を突いた質問を投げかけます。ちやはは、為時は自分のことも好きなはずだと、ぐずるまひろを抱きしめ安心させようとします。妻問婚は夫が通わなくなったとき、あるいは妻が夫を拒絶したときに床離れという離婚になります。ですから、貧しくなっても通ってきてくれる以上は、愛情があるはずだと、ちやはは娘と自分に言い聞かせるのです。

 しかし、まひろを寝かしつけ、灯を落とす瞬間、ちやはは、やはり憂いを帯びた表情になります。まひろにはああいったものの、いつ彼が離れていくかは知れたものではありません。本心は貧しさへの苦しさ、何百回と夫の任官を祈願するほどの狂おしい愛情を秘めるがゆえの不安と不満が、彼女の中にくすぶっているのです。
 とにかく食いつなぎ、待つしかない身の女性の悲哀がそこにはありますね。いかに当時の倣いであり、それは仕方のないことであると諦めていたとしても、心の底からそのことに納得しているとは限りません。和歌や文学で、自身を通わない夫をなじるものが多数見られるのは、その証拠と言えます。

 ただ、哀しいことにちやはは、為時に余計な心配をさせないため、決して、そうした不満を漏らしません。初出仕の日、衣のかび臭さを気にする為時に「母のせいではない」と怒るまひろを窘め、「此度、お役目をいただけたのは母上が願掛けを…」と続ける彼女を黙らせます。内助の功をひけらかすことは、はしたないと思っているのでしょうし、何より彼に引け目に感じて欲しくないのでしょう。
 為時は、ちやはの行為に一瞬、はっとするのですが、結局は、彼女を労うこともなく「此度のことは右大臣兼家さまのおかげなのだ」と告げます。これは、彼が、妻や家族以上に、男性的なホモソーシャルを優先し、それによって自身のプライドを保っていることを象徴しています。せめて、「母上のおかげでもある」の一言が添えられていたら、随分違うのですが、それが出来る男ではないのです。


 結局、彼女は任官のお礼参りの帰り、道兼によって惨殺されることになります。この場面は、本作のオリジナルの展開だっただけに、誰にも予想ができず衝撃的なものになりましたね。道兼は、この場面の前に母、時姫より身分の低いものへの仕打ちを強く窘められています。本来、愛されたい一心の彼にとって、母からの叱責は複雑な思いと苛立ちがあります。そこへ、ちやはという母が娘をかばい、これまた彼を𠮟りつけ、引かせたのです。

 母なる女性の言葉に二度も怯えた事実…これを指摘したのが、従者の「道兼様を黙らせるとは肝の座ったおなごでございます」という一言です。彼は、異常なほどのプライドの高さと母なるものから突き放された寂しさから凶行に走ったのかもしれません。
 どちらにせよ、ちやはは良妻賢母であることを貫きとおした結果、時の権力者の息子という男性社会の一角を担う人物の犠牲となったことが端的に示される結果となりました。

 そして、その極めつけをするのが、夫の為時です。彼は、その死にショックを受けますが、それ以上に衝撃を受けたのは、妻を殺したミチカネが兼家の邸宅で見かけた乱暴者の道兼だと確信したことです。ですから、彼は家を守るため、「ちやはは急な病で死んだことといたす」と、まひろたちに即断即決で明言します。
 これは、当時の貴族社会で生きていくための世渡りとして当然の判断でしょう。しかし、彼は彼女の死に一片の悲しみも見せることはありませんでした。任官時に感謝の意を一言も言わなかったときと同じです。
 まして、彼は縁故で任官されることを躊躇するような堅物です。にもかかわらず、この期に及んで保身に走り、権力者に阿るというのは、家以上に自身を守りたいという利己的なあり方が見え隠れしているように思われます。
 博識で一見穏やかな家庭人に見える為時の裏側にも、兼家と同じものが眠っているのですね。

 彼女の夫への尽くし切った愛情は、報われることなく、その死の真相すら男たちの都合で隠蔽されていくのです。つまり、ちやはは、平安の倣いに従う良妻賢母だったがゆえに、その理不尽の全てを受けてしまったと言えるでしょう。
 そして、母の理不尽な死こそが、彼女が女性の生き方そのものへの苦悩と葛藤の原点となっていくと思われます。そういう意味では、道兼がちやはを殺した場面、まひろを庇った結果というありそうな展開にしなかったのは、意図的ですね。万が一、そういう形の死であった場合、まひろは自分が母を殺してしまったと罪を背負う話になってしまいます。

 しかし、「男に逆らったから殺された」であれば、母に襲い掛かった理不尽への疑念や怒りや悲しみが、純粋な形でまひろの人格の核を作っていくように思われますね。
 そう考えていくと、この第1回の裏主役は、ちやはということになるでしょう。


3.嘘をつくことでつながるまひろと三郎
 まひろが作家になっていく原点として押さえておかなければならないことがもう一つあります。それは三郎との出会いです。三郎との出会いは、籠の鳥を逃がしてしまったことに始まりますが、これは多くの方が指摘するように、「源氏物語」の「北山の垣間見」における若紫の言葉、「雀の子を犬君が逃がしつる、伏籠のうちに籠めたりつるものを」のオマージュですね。

 どうやら、「源氏物語」は、まひろの体験、見聞きしたことが、その材料になっていくという形にされるのかもしれません。「源氏物語」には、女性が抱えた様々な悩み、政治批判、男なるものへの葛藤、そうしたものが畳み込まれていますが、それは全て彼女の味わったものを昇華したものなのでしょう。

 さて、この出会いで印象的なのは、逃げた鳥に関する会話です。逃した鳥について三郎は「鳥は鳥籠で買うのが間違いだ。自在に飛んでこそ鳥だ」と明快に応えますが、まひろは「でも一度飼われた鳥は外では生きられないのよ」と応じます。
 これは、母からの受け売りですが、脚本が、わざわざ、ちやはにこの言葉を言わせたのは、籠の中の鳥とはまさにちやはのような平安貴族の女性たちの生き方そのものだからでしょう。政権の中枢にいる九条家の詮子であっても、無役の為時の妻であっても、生き方を選ぶことはできません。自分を縛る「家」から飛び出たとしても、それ以外の生きる術を持たないのです。だから、詮子にせよ、ちやはにせよ、どこかに諦めを漂わせているのです。

 しかし、三郎は「それでも逃げたのは、逃げたかったのだろう」と応じます。自由に生きること、それが生き物の本然だと三郎は言うのです。勿論、彼は自覚的に自分が不自由だとか考えて、この言葉を言っているのでありません。そう感じただけです。これが、兼家の言うところの「ものごとのあらましが見えておる」ということなのでしょう。

 彼は、ものごとをありのまま受け止め、楽しむ傾向があります。だから、藤原氏を批判する散楽を、「それだから面白い」と楽しめるのです。散楽の題材が、源高明らを排斥した安和の変だったのも意味深な気がします。道長は、この高明の末娘、明子とも婚姻関係を結んでいますからね。自分の家に囚われない闊達さが彼の魅力なのかもしれませんね。だからこそ、自由を尊ぶ言葉が出てくるのも自然な気がします。
 最も、それゆえに今後は彼自身の苦悩も深まるでしょうけど。

 結局、この三郎の言葉に、その鳥の運命に対してか、鳥が戻ってこないことに対してか、まひろは泣き出してしまします。しかし、この場面の「籠に飼われた者は出たら死ぬしかないけれど、それでも自由に生きたくて飛び出す」という人間の本然を語った三郎の言葉は、終盤の母の無残で無念な死と相まって、また自身が生きていく中でまひろの中で生きていくかもしれないような気がします。


 さて、この後、泣いた彼女を楽しませようと足で字を書きますが、まひろは漢文をせがみます。勉強嫌いの彼は、まひろの期待に応えられず、思わず「貴族の子ではないから、名前が書ければいいい」と誤魔化します。この辺りは、男の子らしい見栄によるものです。
 一方、その三郎の何故、漢文が書けるのかの問いに対して、まひろが自分は帝のご落胤であると大嘘をつき始めるのは興味深いですね。身分の低い女御が生んだ子どもというのは、まさに光源氏のことですから、この大嘘が、作家、紫式部の片鱗としての演出であるのは間違いないでしょう。視聴者の方々もそう思われたのではないでしょうか。幼くして、架空の物語をこさえたのですから。

 それにしても、何故、彼女は架空の物語を話し始めたのでしょうか。この場面、別に父が博識な学者で聞いて覚えたと本当のことを言っても問題ないでしょう。にもかかわらず、彼女は自分は帝の血を引く娘であると言い出すのです。
 理由はいくつか考えられます。一つは、自分を泣かせた男の子が身分が低いと聞きからかいたくなったかもしれません。
 あるいは、学者でありながら無役であることを知られたくなかったのかもしれません。その場合、身は貧しくともその中身までは貧しくないという思い、学問の出来る父と愛情深き母への敬意。それが自身を卑下することを拒んだということになるでしょう。
 または、職がなく貧にあえぐ現実の苦しさを、少年との会話でわずかばかりに慰めようと無意識にそうしたのかもしれません。


 いずれにせよ、彼女はその嘘を愉しみ、そして、その嘘を真に受けたのか、わかって乗ったのか、融通無碍な三郎は彼女の話に合わせます。こうして、二人はお互いの身分を偽りながらも、まったく違う性質の互いに興味を持ち、そして自分の思いを素直に話していきます。日常から離れたからこそ、まひろは三郎との会話に興じられるのです。
 現実からの逃避か、現実への様々な思いを吐き出す方便か、頭のよい彼女は無意識のうちに、思いを昇華すること、悩みを慰めること、楽しませることといった架空の物語を想像し作り出す力というものを感じ取っているのかもしれません。そして、それが人の心をつなぐということも、体感していく。嘘と言う物語が、二人をつなぐ道具立てとなっているのでしょう。

 つまり、まひろと三郎の出会いとは、身分や因習にとらわれない自由さ、物語を共有する楽しさ、それを感じ取る原体験だったのかもしれませんね。



おわりに
 第1回は、思った以上にハードで暗いものになりましたね。身分の問題、女性の生きづらさ、その背景にある男たちの権力争い…そうした平安貴族たちの闇にフォーカスし、女性たちがいかにして生きていくのか、その苦悩と葛藤を描く、そうした方向性が示されたと思います。
 そして、その苦悩と葛藤の深さゆえに、まひろはそれを書かずにはいられなくなっていくのでしょう。彼女自身の思いだけではなく、彼女の生き方の原点になったであろう母ちやはの人生も、これから先、彼女が出会う多くの女性や弱き者たちの人生も、昇華するために彼女は物語を紡ぐのではないでしょうか。

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