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沢尻さんち

ある時期限定で仲が良かった友達というのはわりといる。いつも一緒の子の他に、放課後一緒に遊ぶだけの仲だったり。
沢尻さんはそんな友達だった。

うちの前の道をまっすぐ800メートルほど歩いた辺りの、道路から少し奥まったアパートに住んでいた。沢尻さんの家は私の家より学校から近く、帰りに寄らせてもらっていた。家や学校では寄り道はいけないと言われていたが、どう考えても一度帰ってまた出てくるよりは効率が良かったのだ。

沢尻さんはかぎっ子で、外の植木鉢の下に隠してある鍵を取って家に入っていた。昔はセキュリティが甘く、合鍵を作らず家族で鍵を共有しているところはこのやり方だった。
うちは母が家にいたので自分で鍵を開けて入ることがなく、沢尻さんの鍵の開け方をかっこいいと思っていた。
部屋に入れてもらうと当然誰もいない。確か沢尻さんは一人っ子だったはずだ。小さい時から留守番に慣れていた様子で、少し大人びていた。

いつもすることは決まっていて、漫画を読ませてもらう、ただそれだけだ。たくさんあった中で印象深いのが『悪魔の花嫁』。『王家の紋章』もあったかもしれない。
私は“りぼん”派だったので読んだことのない漫画がたくさんあって新鮮だった。コミックスの他、漫画雑誌は今はもうない“ひとみ”があった。沢尻さんは気前が良く、雑誌のカラー表紙のページを切り抜いて持ってっていいと言う。いろいろな作品のカラー表紙をもらったが、『ときめいて💜パコ』は特に可愛くて気に入っていた。(実はその本編は読んだことない)
“ひとみ”や“プリンセス”を購読していたのは、お母さんが読んでいたからだそうだ。『悪魔の花嫁』もお母さんがもともと持っていたコミックスを一緒に読んでいたということだ。だから、感性が大人っぽかったのかもしれない。私がどハマりしていた“りぼん”は、やや年齢層が低かったように思う。

私も沢尻さんも読むだけでなくイラストを描くのも好きで、クラスで絵の上手い二人だと言われていた。クラスメイトによく自由帳に描いてと頼まれたりもした。
沢尻さんは、小学校2年生の時に転入してきたと記憶している。おとなしい子だったが、休み時間自分の自由帳にイラストを描いているのを見つけられ、絵がうまいということがクラスに広まった。
恥ずかしいことに私は自分が絵が上手いと自負していたので(お子ちゃまだったので…)、彼女を意識した。最初はなんとなく好きじゃなかった。ライバル出現と思っていたのだ。でもいつの間にか仲良くなり、お互いの絵を交換したりしているうちに放課後遊ぶようになった。二人ともあまり外交的ではなかったので気が合ったのかもしれない。

沢尻さんで思い出すのは漫画だけではない。もっと記憶に刻まれるアイテムを私に教えてくれた。それは…“肝油”である。

昔は小学校で夏休み前などに希望者に向けて肝油を販売していたようだが、うちの親は全く興味を示さず買ったことがなかった。なので、初めて沢尻さんから「肝油食べる?」と言われたとき、「かんゆー?何それ」と聞き返した。
「肝油っち肝油よ。あめじゃないけど…」
「かんゆーっち、あめみたいなん?」
こいつはだめだと匙を投げたのか、食えばわかるさと言わんばかりに沢尻さんは台所の棚から黄色い缶を出し、一粒の肝油をくれた。
うす黄色い飴でビタミンっぽい味と甘さ、舐めていくとチューイングキャンディーになる。缶にデザインされた子どもの写真がインパクトあった。あの子どもは今もご存命だろうか…。私はお菓子でも薬でもないかんゆーに魅了された。
「一日一個までよ」
「えー。おいしいけんもっと食べたいよなあ」
「お菓子じゃないけん食べ過ぎると体に良くないって」
その後も沢尻さんの家に行くと漫画→肝油コースが定番になった。

沢尻さんも一人で留守番するよりは寂しくなかったのかもしれない。彼女なりにもてなしてくれたのだ。お母さんには内緒ということで肝油を2個食べたこともある。一緒にした悪いことは、せいぜいその程度だ。
肝油とはつまり今でいうサプリメントだ。栄養を補うもの。働いていて十分な食事が用意できない時もあるだろうお母さんの、子どもへの気遣いが肝油の購入だったのではないだろうか。一日一個の決まりを守る沢尻さんもいい子だ。

肝油に魅せられた私は家に帰ると母に買わないか聞いてみたが、「あ~昔からあるなあ。あんなんほしい~?」と、のらりくらりかわされた。

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