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500mlのせい

500mlのチューハイを飲んだ。おいしいご飯をたべて気分が良くなっていた。葡萄の味が美味しくて調子にのった。考えてみれば、昔から好きな果物は葡萄であったし、ワインも好んで飲む傾向がある。葡萄とはなにか縁があるのかもしれない。
気持ちよかった瞬間も束の間。気持ち悪さが胸の奥からこみ上げてきた。一人で呑むと時間配分をしてくれる人がいないためペースが狂ったようだった。
お酒に飲まれている間、色々な感情が波のように押し寄せてきた。一年半前に捨てた純粋な愛。忘れることのできない思い出。最近気になる君のこと。新たな人間関係。上の階の人うるさいな。家族は元気かな。
そのうち睡眠へと引っ張られた。夢の中で私は浮いていて、記憶と記憶の間を浮遊するように移動していた。流行にとらわれない時代遅れな私が見た映画の内容もそこにはあった。男女のドロドロな愛。私もいつかはこうなるのだろうか。純粋な愛を捨てたあの日、人を愛することに慎重になった。幼いころはインプリンティング、今となっては天邪鬼。また単純に人を好きになる日が来るのだろうか。
映画のなかで1つ共感できるのは、アルコールは執筆の必要条件だということ。普段は出てこない感情が「今こそペンを持て、リットンもペンは剣よりも強しといったであろう」と語りかけてくる。私が文章を書いたところで、誰かを救うわけでもない。これは一種の自己治癒行動である。(尊敬する作家先生のお言葉より)
論文を書いて「まるで小説のようだね」と酷評されたあの日、私はいつか小説を書くことを決意した。今日はその序章に過ぎない。小説でもないエッセイを、なんの変哲もない人間の心打ちをここに晒すのも、なにもかも500mlのせい。


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