宣言


「私はこういう性格の持ち主です。」


こう宣言をする人がいる。
自分に似た性格を持っている人が、そういった宣言をすることが、とても不快に感じることがある。

私は私の秘匿性を私の中だけで保持したい。
しかし、同じ性格を持っている人が大きく宣言することによって、私自身もその秘匿性を解放しなければならないと言われている感じがする。私は誰にも知られたくない。自分自身も私を深く知らないでいたい。そうやって自分を守りたい。そう思っているのに、否応なくそれを要求するようになる。

私はそれを拒否して生きていたい。私は私であり、社会から隔絶された個人でありたい。
誰も私を深掘りしないでほしい。

一方で、誰かにこういう考えを共有したくなるというのは、矛盾だろうか。

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