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【つぶやき】春はまだ遠いのか。

一昨日、昨日と最高気温が18度だったり2月と思えないような気温と空気感でびっくりした。玄関を開けたと瞬間にいつもだったらすぐに全身を突き刺す寒さがなく、体そのギャップに驚いていた。
日差しの下に出ると、「春みたいだなあ」と一言つぶやいたぐらい。

基本的は春は好きだし、寒いより暖かい方が好き。
暖かい日差しに当たっていると何だかぼーっとしてきて幸福感を感じられる。
わたしはこの日差しの下で感じる幸福感のことを『光合成』と読んでいるw。

ここまで春について肯定的なことを書いてきたが、実は100%春が大好きですとはわたしは言えない。
春は眩しすぎる。色々な意味で。
本来春は出会いの季節、新しいことの始まり、期待と不安、まるで若さの象徴のような存在に感じる。かつてのわたしもその春という雰囲気の中にいた。そういう実感が記憶の中にある。今思い返すとその当時の記憶は過去ということで記憶に修正が入っているのかとにかく眩しい記憶としてわたしの中にある。

そんな記憶を持ちながら、28歳のわたしがもうすぐ28回目の春を迎える。
わたしの人生に27回おとずれている春。記憶の中にある範囲内で春はどれもドキドキワクワク遊園地のような感じだった。
でも大人になるたびに記憶の中にある春がもう2度と訪れないことを何度も体感する。
それこそ働き出して今年で8年目。この8年で「ああ、新しい春だ。ワクワクするな」なんて感じたことは正直一度もない。
歳を重ねるたびに春がやってくると若かった時の眩しい記憶が蘇ってくる。
その度に「ああ、あの時は楽しかったなあ。もうあの感覚はもう味わえないんだろうな」と感じる。それがすごく寂しく感じる。
だから昨日と一昨日は暖かさの幸せを感じても心の中に少しだけ寂しさを感じていた。

だからわたしは春を待つタイミングが好きだ。3月下旬で桜が咲き始めるかな。ぐらいが好き。春以外にもわたしは夏休みよりも夏休み前のあと1種間で休みだ!見たいなあのウキウキ期間が好きだし、旅行も旅行中よりも計画している時や出発の2日前ぐらいがわたしの楽しみのピークだ。始まってしまうと終わりを意識し過ぎてしまう。
日本人の特徴に春に咲く満開の桜を見て「いつか散りゆく桜を考えてそれを寂しさと風流だと」と感じる。ということがあると聞いた。
わたしの春に対する思いとは少しずれているのかもしれなけれど、何となくそれに近い気もする。

今回もまとまりがなくて何が言いたいのかまとまらなかったけど、急に春の陽気を感じて少し嬉しさと寂しさを感じたよってことが言いたかったのでしょう(わたしのことのなのにわかってないんかいw)

もう少し春を待つ気分を味わいたいなと思ったのでした。

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