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続貂(ぞくちょう)|玄人風用語雑帳

続貂(ぞくちょう)【名】自分がぜひ取り組みたいと熱を入れている研究テーマが、よく調べてみると超絶有名な先人によって既に論じられていて、ああもうだめだ、これについて研究するなんて神に楯突く所業じゃん、テーマ変えなきゃ…、と青ざめるものの、とはいえ次の学会はこれで発表しようと考えていたので、再スタートも厳しいという時の、じゃあ敢えて神様の肩に乗っちゃえ!的な起死回生の発表題目や論文名(に付ける語)。
「『〇〇考』続貂」

「貂」とは、古代中国の高官が冠に飾るテンのしっぽのこと。出典は『晉書』趙王倫伝。

学問研究について、「巨人の肩の上に立つ」(Google Scholarトップページでも有名な警句)とはよく言い得たものですよね。
肩に乗らないと、踏み潰されちゃいますから。

創設期の筑波大学のほとり、さながらドイツの黒い森のような早春の原野で、先生のお供をしてタラの芽を採ったことがある。街の子の、初めての体験でもあり、見つける枝も、見つける枝も、先生のすでに収穫された後ばかり―、どっさり収穫された先生に比べて、私の袋の中は、寥々たるありさまであった。(中略)
刃物で刈り採ってしまうのでなければ、タラの芽は、二番芽、三番芽まで、われわれに収穫させてくれる―、その時、先生はそう教えてくださった。本書における私の考察が、そんな恵みにあずかり得るものになっているかどうか、そのことがしきりに思われてならない。

村田正博『萬葉の歌人とその表現』(清文堂出版2003)
「はしがき」より

いずれ偉大な国文学者紹介なども記事に起したいなあと思っていますが、本当にすごい「巨人」達が既にこの世の全ての問題を解決しちゃったんじゃないかと不安になってくるんですよね。でもそうではなくて、むしろその「収穫」の跡から新たな芽吹きがあることを、我々後進は忘れてはならない、と、はっとさせられる文章です。ありがとうございます、先生。
貂など云うもおろか、フェイクファーすら飾れそうにありません。本当に…

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