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【言葉】ごめんなさい

サムネに使わせてもらったごめん寝子かわよー♡

この記事の中で、子供に求める能力の一つとして、“挨拶・お礼・ごめんなさいができること”と書いた。

今日は、“ごめんなさい”に類する言葉について書く。

自身は“ありがとう”は毎日決算セールかってくらい大安売りで使用するが、実は“ごめんなさい”はあまり使わないし、求めない。
断じて『謝ったら負け』とか『謝ったら死んでしまう』などとは考えてない。

意図せず手がぶつかって叩いてしまったシチュエーションが起きたら秒で謝罪するし、ユーザーの要望に沿えなかった時なども“ご要望に沿えず申し訳ありません”は日常的に使っている。

対等な人間関係を破壊する力

自身が“ごめんなさい”を避ける理由の1つは、人間関係を縦に並べる力があるから。

声掛けが「すみません」から開始する知り合いが何人か居る。彼等的には「ねぇ」とか「ちょっといいですか?」くらいの気持ちかもしれない。しかし言われる方は、まるで自分が相手を苛虐したようで気持ちが良くないのだ。何やら相手に卑屈なものを感じ取ってしまう。

そして、自身がお客様相談センターに勤めていたとき、怒っているクレーマーの人に安直に謝罪などをしようものなら、“さっき非を認めたじゃないか!”と鬼の首を取ったように責め立ててくるのだ。所謂カスハラであるが、そのクレーマーはお客様相談センターのスタッフを下に見ているからこれが生じるのだと考えている。

『謝ったら死んでしまう病』の人は、この力関係をよく理解しているから、相手にはこの言葉を要求する一方で自分は頑なに言わないのだと想像している。

そして激しい処罰感情を持つ人の渇望を満たす言葉である。この感情を持っている人は別に正義ではない。言われると気持ちいい(正義感が満たされた気になる)という呪いにかかっているのだと想像している。

多用により効力が弱まる

子供の頃に誰かが多用すると“ごめんなさいの価値が下がるからたまにしか言わない”と話していたのを聞いた記憶がある。

これは、理解できなくもない。
使用頻度が高すぎるとその言葉持つ力(効用)が弱く感じられるという事象。
自身の使う“ありがとう”はそれはもう羽のように軽いと思っている。だが、言われて怒る人は稀だろうから、それはそれで良いのだ。

加えて多用は“とりあえず謝っとけ感”が強く感じられるという点がある。

謝罪=問題解決ではない

先述の謝るのを多用する人は数打って許してもらえたらラッキーぐらいに思っているかもしれない。
世の炎上案件でも取り敢えず謝って鎮火しておこうという意図が透けて見える時がある。
でもそれは問題解決にはならない。
“ごめんなさい”は反省したように見せて問題を先送りにする言葉だと感じるときがある。
そんな“ごめんなさい”であれば言わないほうがマシであると自身は考えている。

謝罪より改善の方が重要

というような事で、“ごめんなさい”の方向性は結構ネガティブなので、自身は必要だと判断した以外には謝罪を口にしないし、相手にも求めない。“ありがとう”に置き換えられるものは、極力置き換えて発言し、非があれば指摘に対しどう改善していくかを語るように努めている。
お客様対応などに限って言えば、何に対して謝っているか明示した上での謝罪だ。

さて、子が宿題などやるべきことをやらずに居ると夫は烈火の如く怒る時がある。止めなければならないほどに怒るときがある。

散々ぐずってからの父の激怒に娘は号泣しながら“ごめんなさい”と言うときがある。
優しくないが私はこの“ごめんなさい”を許容しない。(許さないという意味ではない)
謝る必要はないから行動に移してくれ、と話すのだ。
娘にとっては謝って終わりにならない辛い状況…勉強嫌いになるわけだ。(これはホント良くないので今対策中…別記事に書く)

まとめ

謝らなければならないのは、故意にせよ過失にせよ、相手に回復不可能な何かしらの損害を与えたり(※)、気分を害する行為をしてしまった時(※2)だろうか。
※:想い出の品を壊してしまった、だとか。
※2:過剰反応もあるので難しい。

ニュートラルな関係を続けたければ、謝罪は必要最低限にして、もっと前向きな言葉で話し合うのが良きと思う。

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