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認知症の母の遠隔介護:介護方針の違いがすぐに露見。介護保険を使う私、使わない弟

私には弟が一人いる。

介護保険被保険者証が届いたその1週間後、2022年が明けた。
母の反応がわからないので持ち寄ったおせちは、例年よりずっと簡易的な内容だった。でも母は前年までのお正月の様子を忘れている。だから「あら美味しそう」ととても嬉しそうだった。忘れてしまうのも悪くないのかもしれない。
それぞれがちぐはぐに感じても、淡々と時間は流れていく。

食事がおわると自然に母の今後をどうするか相談が始まった。

弟は母の認知症をとても重く受け止めているようで、母ができないことは何から何まで助けようと意気込んでいた。迷っているだけでも困っているだけでも、誰かが側にいるべきだと考えているようだった。
弟は義理の両親をすでに亡くしていて、少なからず協力した(つもり)の弟は「今度は俺の母の番だ」と妻に協力するよう語気を強めていた。
介護のためなら自分だけが母の家に移り住んでもいいとまで言った。(結局そんな気配は今まで一度もなかったが…)

それを聞いてとても驚いた。
私の考えは全く違った。

母にはまだまだできることがたくさんあった。
部屋はとてもキレイで整頓され掃除も行き届いている。洗濯も自分でできるしおしゃれも欠かさない。会話も、反応が早くて明るいので、会う人は誰も母が認知症だとは思わないだろう。毎日するべきことをカレンダーに書き込み、1日1日を定規で❌をつけてスケジュールを守ろうとしている。できなくなったことを自覚して、どうにかしようと工夫している。できないことがあるだけで、まだまだ母はなんでもできた。
母の「落ちた能力だけ」を補えば、まだまだ一人で暮らせるはずだと考えた。

カレンダーに❌を書くようになっていた。以前はなかった習慣


母は離婚後、よく働き家を買い、早期リタイアして気ままに生きてきた。そんな自分にとても自信を持っている人だ。干渉されたり自由を奪われたりすることを嫌う。自分がどんどん無能になって常に誰かに助けてもらうなんて絶対に嫌だろう。

その母が、薬を飲むことお金を管理することができなくなり、もうこれ以上、認知症が進めば介護は避けられないと自覚して、子供達の負担をできるだけ減らすにはどうしたらいいかと考え、ギリギリの段階で介護保険を申請したのだと私は思う。その申請したこと自体を忘れているくらいだから母は本当にギリギリだったのだろう。

介護保険被保険者証。申請も一人でやるのは大変だったろう


家族での介護を意気込む弟に、私は介護保険制度を利用するのは母の意思だと話した。
でも弟は介護保険を使う気はないしよく知らないから姉の私がやればいいと言った。

結局、私一人で介護保険利用を始めることになった。

2022年1月から2023年10月の1年と11ヶ月。
有料老人ホームに入居するまで介護保険利用は続くことになる。

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