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第二 『真実』は,いつ,どうして,『事実🟰非真実』にすり替えられたのか?(パレスチナ問題)1論点整理(イスラエル国について)⑹ イスラエルの地に帰らぬユダヤ人


 ユダヤ人は,何故イスラエルの地に還らないのか?

 これは大体の人が,その実態は知っているけれども,その理由を発信している人を見たことがないという案件である。

 その理由の多くは,
 (ユダヤ人の定義が不安定)ということに因するのだと思われる。

 イスラエルの地には,そもそもオスマン帝国時代,クドゥス自治区と呼ばれる非イスラム教徒に開放された自治コミュニティの設置が認められていて,ユダヤ人は,ここに(イシューブ)と称する自治政府を設置し,当時は(シリア人)と呼ばれる現地人を使役して事業を営んでいる。
※ この人たちは,ミスラヒムという定義に合致するユダヤ人。

 アラブ人も居住しているのだが,アラブ人とはアラビア語を話すイスラム教徒であり,シリア人とはトゥルク系言語のシリア語を話すキリスト教徒またはユダヤ教徒である。

 クドゥス自治区🟰現在のイスラエル・パレスチナの地には,非イスラム教徒に開放された自治区であったことから,圧倒的にシリア人の方が多かった。

 主家であるオスマン帝国は,国教にイスラム教を選択していることから,もちろん官僚クラスはアラビア語も話すわけだが,実際にはトルコ人であるため,平民レベルでの使用言語はトルコ語であって,トルコ語とシリア語とは,トゥルク系言語として方言レベルの違いしかない。

 ※東京弁のオスマン領・大阪弁のクドゥス自治区🟰イスラエル・パレスチナといったところだろうか?

 パレスチナは,イスラエル・パレスチナの地に,長年住んでいて侵略されたと訴えるわけだが,その訴えは不当・虚偽に基づく原状回復請求である。

 もちろん,アラブ人はゼロではない。

 しかし,イスラエルは,シリア人を中心とした旧住民同様,アラブ人に出ていけといった統治を行っていない。

 イスラエル国籍を取得したアラブ人は大勢いるし,旧シリア人で今イスラエル国籍を取得している者は,侵略者として移住してきたわけではなく,ずっと長年そこに居住している人々,そしてイスラエル国籍人とは,ユダヤ人として移住してきた者より,圧倒的に多いのは,オスマン帝国時代からそこに住んでいて,今はイスラエル国籍を取得した人々だ。

 ヨルダン川西岸には,アブドゥラ1世のヨルダン軍進駐の時に,ここへ移住したアラブ人が多数在ったことは事実だろう。

 しかし彼らは,イスラエルに追い出されてヨルダン川西岸に移住したのではなく,勃発した中東戦争で,アブドゥラ1世を慕って自ら移住したのであり,これを追放されたと定義するには無理がある。

 中東戦争勃発時に,シリア人がほとんど暮らさず,軍事的にエジプト領と呼んで差し支えのない(ガザ)に至っては,最初から今に至るまで,エルサレム方面から追放されてガザに移住したという者など,おそらく存在し得ないだろう。

 本題 どうして,それほどまでにユダヤ人(偽ユダヤ人)はイスラエルに移住して来ないのか?

 これには,同じ(偽ユダヤ人)であっても,クドゥス自治区にイシューブを構成していた元々のオスマン帝国で医業・銀行業を生業としてきたユダヤ人ミスラヒムと,国際シオニスト会議が,反ユダヤ主義の対策として移住させようとした欧州系ユダヤ人アシュケナジーでは,その文化・風紀が正反対と言えるからである。

 ヒトラーが,反ユダヤ政策を取った際に,ドイツ国民より圧倒的な支持を得た理由は,欧州のユダヤ人とは,医業・銀行業の他に,歓楽街の経営,すなわち賭博事業やら売買春の斡旋事業など,違法とされる事業のほとんどに手を出し,その目こぼしをキリスト教各国の公務員買収行為で成立させており,こういった浄化を訴えるヒトラーがドイツ国民より支持を受けたためである。

 競馬をやってる人はよく知っているだろうが,イスラム教は賭博・売春は自国内経営できない。

 まあヨーロッパのキリスト教各国も同じだろうから,結局のところ,公務員の汚職体質の有無の問題であるわけだが,国際シオニスト会議が(約束の地)に帰還させようとしたユダヤ人とは,大部分がイスラム圏での違法営業者なので,受け入れる先行イシューブの先輩ユダヤ人の方でも,そういう不正事業者は受け入れられなかったからである。

 当たり前だが,農業はキリスト教圏で違法ではない。

 キリスト教圏での違法事業を異教徒・非キリスト教徒であればと見逃し,その状態をキリスト教義に違反していようとも,ユダヤ教がどうなっているのか分からないから取り締まれないと定義されている彼らは,農民としては素人である。

 すでに紹介した(バルフォア宣言)を再読いただきたい。

 ユダヤ人の帰郷計画とは,農業従事者としてそれを計画されていて,欧州の排斥行為を受けているユダヤ人たちは,賭博事業やら売買春斡旋やらから足を洗って,農業ド素人なのに農民として,一から健全な生活をやり直すことが,ユダヤ人の帰郷計画なわけである。

 ヘルツルは,ユダヤ人(この場合の多くはスファラディと呼ばれる非白人でヘブライ語のタルムードを経典にする反ユダヤ主義該当者)が,各国から排斥される理由とは,アメリカ独立戦争・フランス革命という流れの中で,民主的な方向に人類が歩み始めたことで生じた不正事業の告発・自浄作用であって,ユダヤ人も,欧州の各地で行っている開催賭博やら買収斡旋をやめねばならぬと考えていたことが伺える。

 すでに述べたが,結果から言えば,
 ユダヤ人スファラディまたはアシュケナジーが,キリスト教圏で違法営業を行っている理由は,キリスト教側が社会にあった方が便利だが,キリスト教の解釈上禁止になっている産業について,ユダヤ教徒にやらせて,それを公務員が目こぼしすることで成立した(すきま産業問題)に端を発して,

 国家・国軍が成立し,貴族に賃金労働者として使役される傭兵が失業していくという歴史の流れの中で,●国家警察構成者となった貴族たちは,
●失業させた傭兵をユダヤ人として(すきま産業)に当たらせ,キリスト教上の不正見逃しによる違法利益の斡旋利得を得ていることが,世界的な民主革命のターゲット🟰革命が正当化される国家の不正になっていく過程において,
●警察🟰元貴族の不正は問わず,元傭兵労働者の失業対策でユダヤ人となっている貧乏人だけに罪を転嫁して,その偽ユダヤ人を追放,出て行かねば殺害することで解決・革命を回避しようと,自国の洗脳・極右化を計画,
●ところが,所詮,そんな欧州ユダヤ人が,違法とは言え,イスラム圏において医業か銀行業しかやっておらず,賭博や売買春を認められぬ現地イスラム圏先行住民であるユダヤ人ミスラヒムと融合できるわけがない。

 それが,欧州から約束の地に帰還(正しくは➖初めて進出)するユダヤ人アシュケナジー及びスファラディを生み出せなかった原因である。と,筆者は結論付けている。

日本では,ほぼ同時期の似たような話として(征韓論)が挙げられるだろう。

 ヨーロッパの貴族に当たるのは藩主であり,ユダヤ人化する日本において宙に浮いた存在が(賃金労働者)という立場を失って(素人資本)と化した侍たちである。
 日本国内で先行資本である商工業者と競合する経営能力のない彼らは,遊廓などの警備屋やら,祭りの煽動屋であるとか,ヨーロッパでのユダヤ人よろしく,国家警察の取り締まりを目溢しされる特権商売にしか生きる道を見出せない。

 睦仁天皇の士族嫌いは有名で,このような士族の暴力団化を許さず,取り締まりを求めるわけだが,それは侍しかやったことのない者にとって,死ねというのも同じことだ。
 そこで,朝鮮を開国させて,開発資本として士族たちの生きる道を模索する,三条実美・西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・副島種臣・江藤新平の6名によって,鎖国を続ける朝鮮を軍事開国させるという,重商主義まる出しの保守政策であった。

 諸兄ご存知の通り,睦仁天皇の鶴の一声で,征韓論は棄却され,日本は西南戦争という内戦に突入する。

 ヨーロッパ諸国には睦仁天皇が不在であり,自国内で出血しようとも処理・完結するという断固たる政治姿勢を確立できなかった。
 逆に,ヨーロッパにおける征韓論🟰反ユダヤ主義を可能にする,シオン賢者の議定書があったので,その出血を,他国(パレスチナ)へ厄介払いしようとしたという違いしかない。

 間違ってもらいたくないのは,
 この偽ユダヤ人たちは,キリスト教を正義としてその不正義に当たるから独占市場を経営できるという地位に就けるので,ユダヤ人としてキリスト教と共に発展していた(利権としての)ユダヤ人社会は存在していて,それには当たらない(ユダヤ人としてさらに新種)であるということ。

 そして反ユダヤ主義の勃興を待つことなく,ユダヤ人はエルサレムを中心とした地方🟰聖書の上で悪魔と定義されるペリシテ人の地🟰パレスチナに,国家でも建国して全員移住したらどうかという議題自体は,プロテスタントが発動して以降ちょくちょく歴史資料の中に散見され,イギリスでは,シャフツベリー伯爵アントニー:アシュリー:クーパー卿によって『ユダヤ人の現状と展望』という論文として『すべてのユダヤ人はパレスチナへ移住すべき』と主張されているが,これは1839年のことである。

 彼らは,スファラディというカテゴリに属し,反キリスト教であることで,生計を約束された商業上ユダヤ人として生き得ることを選択した(キリスト教文化への同化派)と言われる人々であるが,それはそれで,本当のユダヤ人に成ろうとした人々でもある。

 そこで彼らは,生後3歳まで礼拝を欠かさぬ母と生計を共にした者をユダヤ人と認めるという解釈を引用して,(血統は関係なく存立できるユダヤ人の定義)を確立するのだが,
 おそらく口伝時代に日本に達したユダヤ人がもたらさねば(日本人は目を閉じ母を想い,その感じ得る悲喜によって正邪の認識を成す)との神道道徳は立地していないだろう。

2者は同じ価値観である。

 筆者自身は,日本人が血統としてユダヤ人の血を継いでいるとは思わないし,一部にそういう個体が有ったとして,それは日本人にすでに包摂・分別の必要無しとの認識であるが,思想・文化として大きくユダヤ教に影響されているとは確信していて,(ユダヤ/偽ユダヤの境界線)は,この理念の有無に基づき整理すべきとの考えを有している。

 実際どこから偽ユダヤと定理するかは,現在それによっては損益を産みようがないので,今はさておき。

 イメージは,
 偽ユダヤ教であるタルムードを,ユダヤ人虜囚から聞き取り,ヘブライ語ではなくアッカド語で刻んだという,その領域が編入されたバビロニアの版図。

この(バビロニア版タルムード)を聖典として立地したユダヤ教国家が(ハザール)だ,日本のユダヤ陰謀論において,極悪ユダヤ資本の全ての起点とされる国家・民族だが,それは大間違いである。

(バビロニア版タルムード)は,現在はユダヤ教原典とは認められず,それを元に(ヘブライ後に再翻訳※教義の配置はそのまま)したものが聖典として使用されている。

 現在,東スラブ人とユダヤ人アシュケナジーの間に明確な分岐は無く,元来,デュオニュソスというギリシャ神話上の酒の神で荒淫の神でもある地神を信奉する,この黒海からカスピ海にかけての北部一帯にあたる草原地方(旧ハザール領)とは,部族無視の雑種交配が盛んで,血統による分岐が付けられない。

 結局,雑種交配種のうち,タルムードユダヤ教を戴けばアシュケナジー/ギリシャ正教を戴けば,(隷)というロシアでの専制事業に従事できるため(隷)slaveを意味するスラブ人とに分類できるという程度で,人々もその時の都合で正教になったりユダヤ教徒になったりと,両者を明確に切り分けるものは無かった。

 これを明確に切り分けたのはスターリンで,

 現在に至るまで,イスラエルに移住した最大の人口に当たるのは,戦後,アシュケナジー(白黄混血)としてソビエトより強制移住させられた人々であり,ユダヤ人と行政判断された理由とは,スターリンが解散させたコミンテルンに協力的であるとの理由から,国外追放が決まった者をユダヤ教徒と勝手に決めつけることで,イスラエルに押し付けたということである。

 実際,ジョージア人のスターリンと政敵関係にあったウクライナ出身ソビエト政府構成者・ほぼ殺害された大半はユダヤ人(偽ユダヤ人)であり,かつ,そのウクライナ系ユダヤ人こそが,ヒトラーによってアウシュビッツで(何らかの人体実験により落命したユダヤ)に当たる人々だ。

 スターリンは,自分のユダヤ人刑死政策を正当化するため,シオン賢者の議定書を一般の動員兵まで教本として持たせており,おそらくソビエト兵は,毎日の礼拝のように,こんな極悪なユダヤ人を殺害するソビエトは悪くないとの教化を受けていたのだろう。

 ノモンハン事件で,ソビエト兵全員が携帯しているシオン賢者の議定書について知った日本軍が,シオン賢者の議定書とはいったい何物かを研鑽,宗教的思惑がその研究に影響を与えぬようにと,イスラム教徒であった陸軍中将・四王天延孝が指名され,その報告により,19世紀に複数回ヨーロッパで出版された書物と類似した偽書・ソビエトによる偽計との結論とされたのだ。



次回は,本論の全体をまとめ,最終的に,パレスチナ問題の本質は何であるかの足がかりとしたい。

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