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クリスマスの歌を横浜に眠る1800名余の英国の若者に

みなさんは横浜の外人墓地と聞いて
どこを思い浮かべますか?

きっと山手の丘の上、
横浜港を望む外人墓地ですよね?

あの墓地には明治初期に来日した
エンジニアや宣教師の人たちが
多く眠っています。

実は、横浜にはもうひとつ、
外人墓地があるんです。

こちらは広々、整然としています。
墓石はなぜかすべて同じデザイン。

ここに眠るのは1800名を超える
英連邦の若者たちです。

この墓地の名を
横浜英連邦戦死者墓地といいます。

場所は保土ヶ谷の狩場、
静かな深い森の中です。

なんだかちょっと不思議でしょう?

第二次大戦でイギリスと日本は
敵同士でした。

どうして旧敵のお墓が日本に?

イギリスと日本が
日本で地上戦を
したわけじゃないし…

まあ、もっと昔は薩摩とイギリスが
戦争したなんて言う「?」な
こともあったようですが。


ここに眠る人たちは
第二次大戦中に
南方で日本軍の捕虜になった
英連邦の若い兵士たちです

彼らは日本の移送船に
すし詰めにされて
日本に連行され
日本各地で
強制労働につかされました。

みなさんの地元にも
そんな収容所、工場が
あったのでは…?

私の地元でいえば、
大船、鶴見が思い浮かびます。

戦時中、日本は働き手に
事欠いていました。

肝心の働き盛りの人々は
出征してしまっていたからです。

女学生も工場で働いた時代です

若いイギリス人の男性を
働かせない手はありません。

そのうえ
「生きて虜囚の辱めを受けず」と
奉じていた収容所や工場の管理職は
イギリス人捕虜を
人間扱いしませんでした。

そして多くの若者が
病気で
怪我で
喧嘩で
正気を失って
命を落としました。

また、
釜石の工場では
終戦直前にアメリカの軍艦が
イギリス人捕虜たちが働いていた
工場に艦砲射撃を加え
多くの捕虜が犠牲になりました。

こうして日本国内で
亡くなった方たちが1800名を
超えるのです。

この静かな墓地には
イギリスの王族や首相が来日すると
まず足を運びます。

エリザベス2世も2回、
チャールズ3世も、ダイアナ元妃も
追悼に訪れました。

ここで夏にイギリスに縁の深い恩師たちが
捕虜たちの追悼礼拝を始めて
27年になります。

私は通訳、マネージャーとして
礼拝のお手伝いをしながら、
ふと思ったのです。


この墓地のクリスマスはどんなだろうと。


ここに葬られた若者たちの魂は、
千の風になって、もうここには
いないかもしれない。

でも、もし誰かひとりでもいるなら
帰れなかった故郷で愛唱される
クリスマスの歌を届けてみたいと思ったのです。


そして、静かで深い森の中で
この1年を振り返ってみたいと
思いました。

というわけで、
2020年12月から
クリスマスの歌を歌いながら
墓地をめぐるキャロリングを
続けています。


急なお知らせですみませんが
今年は12月17日の土曜日15時から16時半です。
お時間のある方はぜひどうぞ。
参加費はもちろん無料です。


コロナでお困りの方たちのための
募金を歓迎します。

詳しくは下のリンクをご覧ください。
お申込みの方に楽譜をPDFで
お送りします。

【横浜英連邦戦死者墓地2022年キャロリング】
https://fb.me/e/3OhvNRZvb

急に冷え込んできましたね。
あたたかくして、どうぞお元気で。






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