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ジレンマを抱えて活動する仲間たち

今日の朝、NHKで核廃絶のための運動に取り組む大学生を取り上げたドキュメンタリーを放映していた。彼の二人の祖父は、長崎、広島でそれぞれ被爆している。 活動をする中で、核廃絶が本当にできるのか?それは理想ではないのか?と信が揺らぐ。それでも6年間、活動を続けている根っこがどこにあるのか?自問自答し続けている。大切だと思う。本音と建前、嘘も方便などという言葉があるが、世間の風に靡いても生きられているのは偶然かも知れない。実際の危機は、いつも目の前にある、という識者もいる。

さて、今日は、社会福祉士の倫理綱領の再学習。日本に人権思想が登場したのは敗戦後の日本国憲法によって。それから、およそ80年、そのうちの四分の三ほど被って生きてきた。人権思想が語られる時代になっていなければこの職業についてはなかっただろうと思うと、感慨深い。

ふと「この子らを世の光に」と喝破した糸賀一雄が今の時代を見てどう思うのだろう、と頭に浮かぶ。彼の思想の根本は重い障害のある人を世界の中心に置く考え方。う〜んと唸っておく。マジョリティの思想に届いているかと言えば心もとない。

普段は、肯定する人でも、危機に陥いった際に生存本能を押しのけてまで、他者を優先させることができる人がどれだけいるだろう、とも思う。ひとたび、飢餓、戦争、疫病、大災害などが起これば、人権思想は簡単に後退してしまうのではないか、というのが実感である。綺麗にデコレーションされた人権主義を語ることができても実態はどうなのか、その人が居る場所によってグラデーションの幅は広すぎる。だからこそ、語り続けたり、態度で示し続けたりたりすることが大切なのだとも思う。

大なり小なりの個人的な危機にある人の相談を受けることを生業として生きてきた。今日の研修では、その職業につきもののジレンマを抱えて苦労している人たちと話し合うことができ、密かに勇気づけられた。いつの時代も同じように悩む人がいる、あの大学生の彼も含めて。


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