祖父の遺産

 先月は棚卸や決算で、死ぬほど忙しかったです。やっと、ちょっと一息入れられる程度の仕事量に……。本は読んでたけど、なぜか忙しすぎてどれもピンとこないという。そんな中で無事に誕生日も迎え、また一つ歳をとりました。アラフォーになると別にめでたくもないな……。
 さて、年々、祖父(父方)に似てきます。私が。顔や体つきが。ふと鏡を見た時の疲れた感じとか風呂で体洗ってる時の脚や腕の感じとか。若い頃は全然意識してなかったけど、自分が歳をとってきて、自分の知る祖父とだんだん年齢が近くなってきたからかもしれない。
 一番似てるのはやはり顔立ち。正確に言えば、祖父によく似ている叔父とも似ていて、おそらく自分の父親よりも叔父と並んだ方が親子感あるかもしれない。骨格というか、目から鼻にかけてのラインや頬骨の高さ、顎から首にかけての感じとか。多分、皮膚を剥がして骨を並べたら相似形になる。
 けど、祖父と私が決定的に違うのは、目。瞳。眼球。祖父は黒目がちであたたかくて優しい目をしていて、いつも穏やかに光る海のようなすてきな眼差し。一方私は冷たい目をしておりますので。三白眼で瞼が薄く、「お前の周りだけ温度が3℃くらい下がってる」と言われたくらいのキンキンに冷えた眼差し。これが、人間的な出来の差かな……。
 優しくて穏やかで本を愛し、社交ダンスに興じ、下戸でヘビースモーカー。孫が全員女(最後に生まれた私の弟のみが男)だからか、レディーファーストなヒューマニスト。最期はがんで苦しみましたが、少なくとも、孫たちの前では穏やかで優しくい続けてくれました。そんな祖父ですが、予科練帰りの洒落者ダンディー紳士でして、私の理想の男性というのはおそらくずっとこの祖父なんだと思います。
 
 その祖父が遺したものについての話
 実は、うちは遺産相続でかなりどろどろがありまして。裁判沙汰とか骨肉の争いということではなくて、何十年にもわたって絡んだり積まれたり画策されたり仕組まれたりがあって。それについてもまだ自分でも許せていなかったり自分自身が結構な痛みや苦労を負っていたりするので、思う所はありますが、とりあえずうちの父が相続放棄をさせられて何一つ相続しなかったという結末です。祖父母の田んぼやら病院やら日々の買い物やらには父と私が最も貢献したのにね。
 で、父が相続してないということは、その娘の私も何も相続してません。田んぼは売り払われちゃったし、祖父の持ち物やお金は全部叔父叔母従姉妹のものだし。なーんにも、目に見える形では祖父は私の手元には遺りませんでした。それが10年ぐらい前の話で、その時はもう悔しいやらやるせないやらで、その時のごたごたや両親や親族の態度が私に地元を捨てさせる良いきっかけにはなりましたが。
 で、10年経ってみて。もう何年も実家にも旧祖父母宅にも行っていないし、色々あって弟家族とも距離を置いているし、今の私の周りに「実家」「遺伝子」を感じさせるものは皆無。なのに、鏡の中に時々、祖父がうっすらいる。それどころか、今の自分には生き方とか考え方にちゃんと祖父がいる気がする
 祖父がよく言っていたのは、「一番でなくてもいいから、自分にしかできないことをしなさい」。戦争帰りの田舎の人がこの発想を昭和でできてたってのも尊いことですが、それを孫がこうして中年になるまで覚えているってのもなかなかに珍しいかもしれない。もともと競争や勝負が好きではない人だったというのもあるけど、それよりも、個人の個性や長所をとても大切にしてくれていたというその人間性を思うとやはりすごいと思う。
 で、別に私がそれを信条にして生きてきたわけではまったくないけど、結果的にはそうなっている。非正規だし薄給だし独身だし一人暮らしだし将来に不安しかないけど、一から絵を描いたり文章を書いたり「自分にしかできないこと」っていうのはかなり大事にして生きてこられてる。実際に割く時間は多くなくても、精神的なウエイトの大きさは完全に趣味にあるし。
 結果的に、それが割と自分の助けや支えになっていて。先月たくさん嫌なことやショックなことがあって、人生で一番くらい怒っていた暗黒の時期だったけど、絵を描いたり文章を書いたりすることでどうにかこうにか立て直した感がある。誰かに与えてもらうエンタメや教えてもらう癒しも素敵だし大事だけど、私は誰かの手を借りずに自分にしかできないものを作ることが一番の光になっていた。私の人生も生活も全部自分の判断なんだけど、「みんながやってるから」では選んでこなかったな。
 今後家族を作る予定もないし、自分以外に大切にするべき存在も作る予定はないけど、なんとなく「おじいちゃんに恥ずかしくないようには」生きていく気がする。まあ、みんなそういうもんかもしれないけど。どっかで祖父が見てるから悪いことしないというか。
 先月、本当に怒っていた時。何度かあることを考えた。それを実行するかしないか考えた時、ちょっと「おじいちゃんはやらないだろうな」と思った。結果的にいろんなことを総合して判断してやらなかったのだけど、それで良かったと思う。
 祖父は、私の中に生き方とか考え方というものを遺している。しかも、べったりと幼少期からずっと一緒にいたわけでなく、ほんの数年、月に何度か会う程度の時間で。
 実は、私が大人になってからの所作や振る舞い方も、祖父に似てきたところがある。意識していたわけでもなく、多分無意識に自分がカッコいいと思っていることが、祖父のものだったようで。昔、知らない人から「○○(祖父)さんとこの子じゃろう。あんたよう似とぉる」と言われたことを、ふと街中で自分が歩く姿や座った姿を鏡で見かけると思い出す。
 私は祖父から、お金も土地も物も受け取っていない。だけど、私は誰よりもたくさん祖父から受け継いだかもしれない。祖父が遺したものは、私の骨や血や意識に流れている。祖父がそれを望んだかは分からないけど。
 大好きな祖父が遺したもののひとつである自分の体、心。それを、最近ようやく少し大事にしてやろうと思いかけている。


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