御本拝読「オチビサン」安野モヨコ

モヨコさんのオフ

 「ハッピー・マニア」「働きマン」「シュガシュガルーン」……安野モヨコ先生(以下、モヨコさん)の作品は、いつも明るく爆発的なエネルギーに満ちている。一方、「脂肪という名の服を着て」「さくらん」など、強烈な美や女の性を鮮やかに抉るような作品もたくさんある。
 美人画報や監督不行き届きも好きなのだが、この「オチビサン」以外はおよそ全て「オンの状態のモヨコさん」の手によるものと思われる。勢いというか、動的で、ビビットな世界観。元々モヨコさんの線画や色彩感覚が好きなのだが、私は、「オチビサン」の世界のモヨコさんの方がもっと好きだ
 きっと、著者名がなければ誰も分からないだろう。やんわり淡く優しい色合いに、ゆったり丸い輪郭線。版画の手法と水彩の入り混じった、独特の美しさ。劇的な展開や事件事故もなく、淡々と季節を眺めて暮らす、不思議な登場人物たち。絵本と漫画と詩集と画集、そのすべての要素が詰まった全10巻である。
 誰でも、家の外と中で見せる姿は違う。スーツを着たりメイクをしたり、外へ向けて感覚を開いて闘うのが、オン。部屋着ですっぴんで一人、感覚を自分自身の快不快や好悪にだけ向ける、オフ「オチビサン」は、モヨコさんのオフの手で描かれている

顕微鏡を覗いてる

 顕微鏡でモノを見る時は、息をひそめて静かな動きで黙っている。機材にそっと手を添え、二枚のレンズ越しの丸い粋の中の世界を、ただじっと見つめて観察する。本書は、そうやってミクロな世界を覗いている感覚に近い。
 鎌倉という地名は出てくるが、架空の「豆粒町」が舞台。主人公のオチビサンはヒトとも妖精ともとれそうな存在。そのオチビサンと同じ大きさの犬や猫、おじいちゃん、と不思議な登場人物たちは普通に私たちと同じように生活をしている。犬のナゼニやパンくいはオチビサンの親友だし、隠居然としたおじいと猫のジャックは温かく強い絆で結ばれている。
 時に不思議な魔法も起こるけれど、概ねは美しい日本の四季や植物の世界が本書のもう一つの主人公。
季節が移ろう様子、昔ながらの行事や風習、その中でゆっくりと生きているオチビサン達。1ページ読み切りの数コマの中に、叙景の妙がぎゅっと濃縮されている。
 本書には、モヨコさんの好きなもの、美しいと思うものが、きらきらと詰まっている
。ガンガン強い女を描いているのも間違いなくモヨコさんなのだが、繊細に淡々と儚いものを慈しむモヨコさんも同じ人の中で生きている。私たちがこの顕微鏡で覗いているのは、モヨコさんの奥底の優しさや寂しさなのかもしれない。

逃げ込む場所とは

 モヨコさんは本作連載中に体調を崩され、漫画の活動を休養されている。その間、本作だけは続けられたとのこと。その気持ち、よく分かる。2021年に一旦終了とされているが、最終巻の10巻のあとがきでは、違う形であっても、いつか復活することも示唆されている。
 働くこと、オンの状態であることを、ヒトは続けていられない。一日の単位で言えば、帰宅後や就寝時間。一週の単位なら週休二日など。どこかでオフの時間をとることで、オンを頑張ることができる。頑張るどころか、心身を壊してしまう。
 モヨコさんが苦しかった時に「オチビサン」だけは続けておられたのは、ここがオフで、安心して逃げ込める場所だったからではないだろうか。
 
かくいう私も、病気療養中に本書に出会い、ざわつく心をなだめられた。なんとか働いている今でも、疲れて何もできないなという時は本書をお守りのように読んでいる。オンを忘れる、というか、オンの要素が一切ないから安心していられるのだ。
 元気な漫画やセンセーショナルな漫画に、明日への活力やモチベーションをもらう人は多い。私は、本書のような漫画に、心の平穏や癒しをもらう。本書をゆっくり読めるオフのために、もうちょっとオンを頑張るか、という後ろ向きな前の向き方もある




 

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