御本拝読「レイモン・サヴィニャック フランスポスターデザインの巨匠」

 図書館で読んで、何回も借りなおして、とうとう古書店やデザイン展を探し回って手に入れた本。手に入れるまでの道のりが長くて、それでもどうしても欲しくて頑張る。自分のものになって、ゆっくりうっとり何度も愛しく読み返す。何年かに一回、そういう本がある。それが本書。フランスのポスター画家、レイモン・サヴィニャックの作品集
 小説やエッセイの本、そして漫画やイラスト集だと、古くても割とすぐに手に入る。チェーンの古本屋さんはじめ、モノによっては普通の本屋さんでも版元から取り寄せることもできたりする。そもそもの流通量が多いし、その分手放す人も多いから。が、専門書や美術書は、もともと刷られた量も少なければ手放す人も少ない。やっと手に入った本書は古書だが、とてもきれいな状態で、大切にされていたことが分かって嬉しかった。
 レイモン・サヴィニャックの作品は、「ポスター」「フランス」のワードで検索にひっかかる本なら大抵載っている。有名な作品も多いし、作者の名前やプロフィールを知らなくてもおしゃれなインテリアとしてレプリカのポスターが売っていたりする。本も、この本以外に自伝とアートブックが一冊ずつ出ている。が、サヴィニャックの作品のみをぎゅっと詰め込んだのは、この一冊しかない。どのページにも、素晴らしい作品が詰まっている。私にとっての宝箱みたいな本だ。
 ポスターデザイン画家としてのサヴィニャックの略歴とともに、年代順に作品が並べられる。カサンドル工房にいた1930年代駆け出しの頃と、1990年代フリーの晩年の作品を比べても、軸がブレない。いや、作品の線や色使いなどは間違いなく洗練されて洒脱になっていっているのだが、根本の「洒落っ気」が変わらない。「商業芸術」としてのポスターであることを存分に生かして、皮肉もユーモアも思いやりも愛情も、一枚一枚に惜しみなく注がれている。
 あらためて、筆の凄みを感じる。それは「超絶!」と謳われる技巧やひしめき合う細かい筆の線や色のことではなく、「そこにしかない」「その人にしか描けない」という意味だ。真似て描いたところで、それは絶対にサヴィニャックには及ばない。AIが全作品を解析して似たモノを描いても、おそらくすぐに違うものだと分かるだろう。
 特に印象深いのは、終章トゥルーヴィルでの晩年のサヴィニャック作品である。華やかなパリではなく、フランスの端の田舎町(とても良いところ)でのびのびと住民に愛されながら作品を作り続けたサヴィニャック。世界大戦や商業ポスターの在り方の大きな変化を体験したサヴィニャックは、半ば表舞台から自ら背を向けたかたちで田舎へ隠遁する。無理に時代に合わせることも、それに抗うこともなく、「じゃあもういい」とばかりにふらりと退いてしまう。それは決して諦めや拗ねではなく、彼が自由を選んだだけのこと。その自由さが、作品のすべてに輝いている。
 サヴィニャックの作品は、常に「自由さ」と「冷静さ」でできている。商品をアピールするためである、という目的を見失わない冷静さがないと、多くの人にポスターとして賛同を得られない。その前に、企業に認めてもらえない。だからまず、冷静にモチーフや画材が選ばれている。その点で、今現在の商業ポスターよりも、ずっと冷静で落ち着いた作品になっている。
 その一方で、その許される範囲でのびのびと自由の翼がはばたいてる。むしろ、「商品」という制約があるからこそ、それを逆手にとって面白がろうという意思が見える。ポップで、アイロニックで、ハートフル。サヴィニャックの作品にしかない温度は、その自由のはばたきが生んでいるのだ。
 サヴィニャックは、変わらなかった。最初から最後まで、ポスターの上で、自由に飛び回り続けた。画家・デザイナーとしての技量の高さはもちろんのこと、その高潔ともいえる自由の精神がこの一冊に溢れていて、読むたびにきらきらしたものが胸に湧いてくる

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