御本拝読「私の小さなたからもの」石井好子

素敵なギャップ

 過日、偶然テレビで1995年の石井好子さんのショーを観た。もちろんご著書はほぼ全て読んだしCDも持っているけど、恥ずかしながらちゃんとしたショーの石井さんは初めて。もう、はっちゃめちゃにかっこよかった
 なんというか、「芸能の人」という言葉で圧倒される。その歌唱力、表現力、存在感。石井さんの経歴を見るに、本当に良きご家庭で然るべき音楽教育を受け、戦争や別れや修行の困難の多い日々で磨き続けた、本当の芸だった。
 別に今の芸能をどうこう言う気はないが、ちゃんとお金と敬意をはらいたい芸って、今どれぐらいあるだろう。
 威風堂々、泰然自若。そんな偉大な石井さんの歌う姿と、残されたたくさんの文筆にはギャップがある。石井さんの愛するものは、実はキッチュだったりキュートだったり、かわいらしい。そして、美に関する繊細な感性と、豊富な経験が、それを素晴らしい文章に昇華する役割を担っている。
 そのギャップがたまらなく愛しいし、石井好子という人間の歌への表現力と言葉への表現力が相互に高め合っているのではないかと思っているのだ。
 たくさんある著書の中で特に本書をチョイスした理由は単純に私が一番好きな本だからだが、文章の長さもテーマも時系列もバラバラなこのごちゃまぜの宝箱みたいな一冊は、石井さんらしい。


類まれなる文才

 文章を短く、しかも自分の感情や考察を要点だけ簡潔に書くのはとても難しい。冗長にだらだら書く方が、ずっと楽だ。しかし、全体の文量や文字数が多くなればなるほど、言いたいことはとっちらかって中身は薄まる。かと言って、ウェブやレビュー等で中身を読んだ気になっていては、著者の言い回しや展開の妙が味わえない。本書は、「読書が苦手だ」という人にもお勧めできるくらいの、短い作品(見開き2ページ以内)が多く、中には10行の一編もある
 石井さんは、抜群に文章のセンスが良い。何様かと思われそうな言い方だが、本当に上手な文章を書かれる。個人的には、教科書の音読や強制的な読書感想文で国語嫌いを増やすより、石井好子のエッセイを黙っていくつか読ませて「日本語って、日本人の感性って、こんななんだよ」とだけ言う方がずっといいと思う。
 本書は、主に「石井さんの好きなものたち」についての思い出を語るエッセイで、衣・食・住(と旅)について語られている。が、石井好子さん生誕は1922年。そもそもが豊か政治家のご子女であり、一般人とは生まれた環境からして違う上、戦禍の中を日本人シャンソン歌手として欧米で活躍するという、誰一人共感はできないほどにすごい功績を持つ方である。
 ↑は後からネットや関連本で知ったことで、実は私が昔20代の頃に石井好子さんのエッセイにハマった当時は「昭和のシャンソン歌手の欧米奮闘記(お料理おいしい!)」だとしか思っていなかった。それぐらい、石井さんの文章の内容は素朴で、彼女の愛でる幸せはささやかで、庶民というか一般人というか、普通に暮らしている人間にも理解・共感できるものなのである。
 短い文章と同じぐらい、謙遜もとても難しいことだ。いくつになっても自分の経歴や経験を自慢したい(今の言い方だとマウント?)人は多いし、行き過ぎた自虐になると笑えないし反応に困る
 そこを、さらさらっと嫌味なく書けてしまうすごさが、本書にはある。登場人物がものすごく著名な歌手だったり芸術家だったりするけど、交友自慢歴ではなくて、石井さんはその相手の人柄や思い出を繊細に描き出す。昨今、繊細を自称する人が多いが、本当の繊細さとはこういうことではないだろうか。
 ご自分の失敗や滑稽さで話のオチとされていることも多く、お茶目さや奥ゆかしさを感じて好きだ。あのステージでの堂々さや圧倒されるパワーの裏に、かわいらしい乙女が確かに存在している

美しい「愛の賛歌」

 本書は、ひたすら石井さんの「好きなもの」だけが並んでいる。食事、食器、家具、土地、衣装、愛犬、友達……気持ちの良い、賛辞と愛で溢れている。愛犬の項など、ご家族総出(それぞれに別の犬を飼っておられ、それぞれが「うちの子が一番」と思うが故の喜劇)の犬好きもあってツンデレ(デレ多め)な文章に愛が収まりきらないようだ。
 石井さんの文章や感性の一番の特徴は、「観察者であること」だと思う。目にした事実や起こった物事を、まずはさらりと正確に描写する。特に、旅先の風景の描写は本当にスケッチしてきたように美しく詳細だ。日本と欧米諸国の比較も、どちらかを悪し様に貶めるわけではなく、「こっちはこうで、あっちはああで、それはこういう理由だろうか」と淡々と考察している
 色んな物事をかなり平等(それが、この年代生まれの女性ではすごいことだとも思う)に考察する石井さんだが、譲れないのはただひとつ。「自分が良いと思うか」だけである。
 睡眠やタオルの使い方(!)のこだわりや、ファッションやアクセサリーはじめ身につけるもの、食べるものや旅に出かけた土地。彼女が「好き!」というものに、時代や流行や他人の意見は一切関係ない。ただただ、磨き抜かれた自分の感受性のみで、たくさんの「好き!」をキャッチしているのだ。
 群れて誰かの悪口を言うのは、簡単だし楽しい。愚痴を言い合ったり、匿名で文句を書き連ねたり、それでストレス発散というのも理解はできる。が、「美しい唇のために、美しい言葉を使いましょう」の通り、そういうことをしている時の人の顔は、やはり醜い
 自分の「好き!」を語る時、人の目は輝き、頬は染まり、口角が上がる。美しいのである。自分以外の愛しいものへ向けた表情は、人間の一番美しい顔だと私は思う。本書は、石井さんが自ら愛するものたちに捧げた、美しい賛歌といえよう。


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