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人麻呂が見た「炎」の真実⑥

東野炎立所見而反見為者月西渡
                  柿本人麻呂

今回も阿騎野の秘密に迫っていきます。

不老不死の秘薬を求めて

 「初期万葉論」の中で白川静は、阿騎野は当時の神仙郷だったと述べています。その理由は書かれていませんが、そこには中国の神仙思想の影響があると考えます。
 秦の始皇帝は、不老不死の薬を求めて徐福を日本に派遣しようとしました。実際に徐福が派遣されたのか、日本に到着したのかどうかはわかりません。しかし、始皇帝が不老不死を願い、その秘薬を日本で探そうとしたことは間違いありません。
 では、日本にあると考えられた不老不死の秘薬とは何なのでしょう。それは水銀です。今ではどう考えても有毒だと思いますが、当時はいろんな物質を試したのでしょうね。
 水銀は辰砂を原料としてつくられました。辰砂を加熱し生成することで、朱と水銀に分離することができます。朱は朱色の塗料になりました。朱は「丹(に)」とも言います。朱には魔除けの意味があり、古墳の石室や神社、寺院などが朱色に塗られているのはそのためです。「丹」を産出する地域には丹生神社があります。丹生神社は、その地域に朱を扱う人たちが住んでいたことを示しています。
 朱と同時につくられたのが水銀です。水銀は金を溶かします。それを金属に塗り、加熱して水銀を飛ばすと金メッキができあがります。アマルガム製法です。古代の金メッキは、この方法によるものです。奈良の大仏の造立にも大量の水銀が使われました。
 もちろん、毒性の強い水銀を扱うためには、高い技術力が必要だったでしょう。その技術を持った人々は、莫大な利益を得たはずです。そして支配層にも強い影響力を持っていたと考えられます。

宇陀にある大和水銀鉱山

 日本で辰砂が産出する鉱山、つまり水銀生産に適した土地は、中央構造線に沿って分布しています。水銀鉱山は、九州の熊本から四国を通り、紀伊半島を横断して伊勢まで続いています。その中には宇陀も含まれています。宇陀市にある大和水銀鉱山は、昭和の時代まで水銀を生産し続けていました。
 神武一族が、辰砂から朱と水銀を取り出す技術者集団だったとしたらどうでしょう。朱と水銀の交易で大きな財力を得て、やがて大和盆地を制圧した。そういうストーリーも不可能ではありません。神武が宮崎、日向の力から東征したという記紀の記述も、中央構造線を辿って水銀を求めて東へ移動したと考えれば、辻褄が合います。宇陀市に神武にまつわる場所、伝承が多く残っているのもうなずけます。
 もちろん、神武の一代で東征したのではなく、一族が何世代にもわたって少しずつ東へ移動してきたと考える方が合理的でしょう。

 人麻呂が見た「炎」に少しずつ近づいてきましたね。でも、この続きは次回にしようと思います。

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