見出し画像

「がんばれ東北」は他人事すぎる

これは今年の2月に震災遺構を見て回ったときの感想だ。
 実際に被災地を巡ってみて、この場に来ないとわからないことが、多すぎた。12mの津波。読めるし、意味はわかるけど、どれくらいかはピンとこない。震災遺構で、「この扉に津波の跡が残っています」と書いてあって、膝下まできたんやって思うのも束の間、ここ4階やんけと我に帰る。ずっと、そんな感じ。
 津波は津波でも、気仙沼の津波は黒かった。オイルタンクが流されて、オイルが流出。引き波後、火災が多発。土地によって、規模も違うし、被害の受け方も違ってたな。災害を前にすると人は何もできない。たくさんの方が亡くなられて、思い出が流され、残された者は、どれだけ傷ついても、その後始末をしなくちゃいけない。いろんな思いの上に立っている自分たちが、“あのとき”何も出来なかった自分たちが、唯一できる”あのとき“に立ち向かう手段、それは後世に伝え備えることしかないのだと、そう思わざるを得なかった。
 10年以上の時が経っても、復興は続いている。途方もない努力の上で。がんばりの上で。「がんばれ東北」そんなもんじゃない。復興は、これから先もずっと、“みんな”で続けていかないといけない。伝承すること・備えることも、復興といえるのだ。そう思えた4泊5日。今後も、日本で暮らしていく身として、行ってよかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?