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壊し屋セラピストになっていないだろうか?

理学療法士10年やってます
神崎です


「やり方は人それぞれ」
「1つのアプローチ手法、手技にこだわるのは問題ある」
「まずは教科書通りのアプローチを〜」

そんな声もセラピストの現場で
耳にすることも多々あります


たしかに多様性を重視されて
よかれと思って若手を厳しく指導したりすると
パワハラの烙印が押されるこのご時世


正直に言ってしまうと
臨床3年未満の若手セラピスも
経験年数10年越えの中堅でも
50歳に近いおじさんセラピストでも


あきらかに原理原則を無視した
間違ったやり方を
患者さんに提供している現場をたまにみます


良かれと思ってが「ケガ」を作り上げてないか?


自覚がないセラピストは案外多いかもしれいない


痛い=良いこと している
みたいな固定概念に
囚われている理学療法士だ


もちろん、ときには
評価・検査・治療で痛みがでることは
全くゼロとはいえません


だが、思考停止で
リハビリ=痛いもの と
患者に刷り込むのはいかがなものかとも
問題視したい


当たり前で
手垢がついているのようなことなんですけど


毎日のルーティンワークに
疑問を持つことがめちゃくちゃ重要


感覚的には8割自信をもって
あとの2割は疑いをもつ

この感覚は、ベテランになればなるほど
プライドと固定概念が凝り固まって
自分が知っている知識と経験を
否定することができなくなる


これは古今東西、万国共通かもしれない


逆に言えば
ベテランになっても謙虚さがあり
知識と知見をアップデートし続けるだけでも
かなり貴重な人材でもあるってことです



今の自分が知っていることは
8割を自信をもって
2割を疑い続ける


この意識を持った10年後は
何も考えていない人よりも
大きな差になっているのは間違いない


今回、何が言いたかったかというと
痛い・苦しい=当たり前ではないし

まだまだ自分には改善点があるという
客観的視点は死ぬまで持ち続けることが
重要だということです


自覚がなく
良かれと思って系の壊し屋セラピストになっていないだろうか?


いつまでも自問自答し続けなければ
いけないと思う今日この頃です

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