日本で最も発掘してはいけない場所

 "新神武天皇陵"造営のために立ち退かされた洞村の規模は,1854年ごろには約120戸,収用された1920年の時点で200戸ほどの集落だったとのことです。彼らは東征した神武天皇を追って日向から大和へ移住した有志で,本来は名家として名を刻んでもおかしくない人々といえます。墓守を強いられた奴婢ではなく,自らの意思で移住してまで任に当たった人々なのです。しかし,律令制の整備にともない"死体にかかわる職業"として賤民扱いされ,江戸時代にはえた・ひにんに区分されてしまいました。死体に関わる職業は卑しいということであれば,寺社も卑しいということにはならないでしょうか。そもそも,その守った遺体は天皇であり,これははなはだしく不当な扱いです。
 洞村は神武天皇陵を見下ろすような位置に広がっていたので宮内省の不興を買った,という記述がみられますが,そもそも墓守たちが陵墓を見下ろすような位置に住まうはずがありません。やはり陵墓の所在地は丸山宮址であり,その麓に住む人たちが墓を守ったという位置関係が自然です。"大正デモクラシー"の高まりのなか,洞村移転問題は「天皇制国家による被差別部落の強制移転」と位置づけられていきました。
 前回,「"神武天皇生誕地"を宣伝するとともに神武天皇の非実在を唱える」宮崎県高原町について述べましたが,同じような理不尽さが洞村移転問題にみられます。人権団体の関係者は「実在しない天皇の祭祀施設を新設するため強制移住させられた被差別部落」の悲劇としてこの問題を扱いましたが,否,論点はそこではありません。「的外れな場所に神武天皇陵を造営した」うえに「初代天皇の墓守としての名跡を1700年にわたって受け継いできた血族がその役割を放棄させられた」点にこそ,洞村の悲劇があります。
 立ち退かされた村民の人権を守ろうとする人々が,村民の誇り高き出自を否定したうえ,差別されるようになった由来をも無視することは,洞村の人々を詐称者扱いしていることと変わりありません。谷森善臣の「有能な官吏であった」という記述を見ると,洞村の人々は先の関係者が言うような妄信者ではなく,墓守としての実務を系統立てて代々受け継いできた血族でした(注:当時の水平運動を否定する意図は全くありません)。
 ここからは一つ提案です。宮内省が的外れな古墳を継体天皇陵と治定したかたわらで,高槻市が主導して今城塚古墳の発掘を進めた結果,前例のない数の埴輪を発掘し「大王の杜」として整備するに至ったケースにならい,自治体主導による丸山宮址の発掘を期待しましょう。ミサンザイ(神武田)を宮内庁がかたくなに神武天皇稜と主張し続けるなら,丸山宮址の発掘は自由です。歴史学的な野心を持つ市長が誕生すれば,これは不可能ではありません。現神武天皇陵は公園化され,丸山の山麓に新たな参拝所が築かれるのです。
 神武天皇の実在が墓誌や軍事的性格の強い副葬品により実証されるなら,皇室にとっても歓迎すべき発見となるはずです(本来は)。しかし,その発掘の成功は,皇室が厚く信仰する現神武天皇陵を廃すると同時に,神格化されたゆえ参拝者たちも内心非実在と感じているであろう神武天皇の墓所の実物を暴く結果となる…こうした事態は宮内庁としては何としても阻止したいところでしょう。
 神武天皇は神話の世界の人物というイメージがあまりに強いため,墓誌など残るはずがないと思う人が多いかもしれません。しかし,漢字を読み書きできる通訳が存在した卑弥呼の時代から数代後の神武天皇のころ,再び無文字時代に陥るとは考えられません。卑弥呼(ないし奴国王)の時代から獲加多支鹵の時代まで,途絶えることなく文字の使用は続いていたが,それを発見する手立てがベールに隠されているのです。
 橿原市の丸山宮址は,"発掘可能でありながら発掘してはいけない場所"として,トップランクに位置するといえます。もしや当の宮内庁が,神武天皇は非実在のままであってほしいと願っているのか…こうした,あやふやだけれども存在したことにしておきましょうという姿勢が,非実在論の蔓延を助けてきたわけです。
 神武天皇が現代の世界最高齢を大きく更新した縄文時代の人物であるという説話に固執し続けることと,真の神武天皇陵からの副葬品や墓誌の発見により日本国の起源が明らかになることの,どちらが将来の史学にとって望ましい姿でしょうか。
 タブーをタブーのまま据え置く先送りがなぜ続くのか,その背景には謎の黒幕が存在するわけではなく,理由は意外とありふれたものかもしれません。給与生活者にとっては,自分の在職中だけは波風立てず無事定年を迎え退職金が満額得られますように,という願いが第一であり,面倒な事案は次世代に引き渡す…この連綿と続いてきたリレーが元凶と思われます。その継承の多くは暗黙のうちに行われ,自分が利己と保身のかたまりであることは誰も口にしません。それでも2020年代に入り,永遠に見て見ぬふりが続くのかと思われた芸能界や政財界のタブーが突き崩されています。"令和ディスクロージャー"とでも呼ぶべきこの風潮は,意外と果敢に日本の古代史にも深く切り込んでくるかもしれません。


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