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藤原汐音、ひとりの女性


藤原汐音
彼女は、ひとりの女性として
弱い分、誰より強い。

彼女が自分の言葉で語るとき、内側から発光するかのように、とにかく輝いている。
自分の好きを貫く決心の強さ、その先にある人生の美しさを体現するかのような彼女の姿に、彼女自身が思う何倍もの女性が、強く励まされてきた。

無論、私もその1人であると、胸を張って言いたい。



そんな彼女はかつて、私が出会った当初は、輪郭のない陽炎のような、儚い少女だった。
彼女は、写真に撮られることにさえ怯え、カメラに向かって話すことさえ難しい。
言葉の石一つ投げられたものなら、壊れてしまいそうな少女だった。




成績が全てに思えた学生時代、毎日必死に生きてこその誰もが認める優等生だった。

そういう私でいる限り、私は自分を認めてあげられた。

しかし大学という原っぱに放り出された瞬間、私は舵を見失った。
うまくいかない、でも何者かになりたい。
その一心で、いろんなことに挑戦した。
うまくいっていなくても、見ないふりをしていた。



でも本当はわかっていた

「ああ私やっぱり、

 馴染めていない。」



彼女はこんなことを、吐露したことがある。

動画に残る輝きだけを切り取った自らの像に、彼女自身が苦しめられていたんだろうか。
彼女ができない自分に面するたびに、私はとても、苦しんでいたように見えた。


自分に向き合えるからこそ、他人よりもきびしい日々の中で
それでも彼女は輝きを見出そうとした。


彼女が見つけ出す小さな光に、
世界のどこかで長く息づく宝物たちに、
この国で煌めく自然の美しさに、
私は彼女に出会ってからの4年間の日々を支えてもらってきた。


この頃の、大人の女性になった彼女は、かつてないほどに光り輝く。
自分と向き合い、戦い続ける人生は
彼女に多くの試練を与えてきたし、これからもそうであろう。
だが、彼女もまた、それを乗り越え続けるだろう。
そしてまた、
ひとと支え合うことを知り、生きることの美しさを知った彼女の生き様は
明日も多くの女性を励まし続けることだろう。



私は画面を通して

1人の女子大生が

ひとりの女性になっていく姿を見て

もう少し生きてみたいと、暖かく、思うのだ。



p.s.
尊敬する藤原汐音様に、感謝と応援の意を込めて書かせていただきました。
自身と彼女を重ね合わせ、やや主観の入り混じった表現となった旨、お詫び申し上げます。
一つの小さな物語として、お読みいただければ幸いです。


しおちゃん、あなたは今まで、私の生ける宝物のような存在でした。
あなたの世界を見る眼と、あなたを通して紡がれる言葉に、私は眩い光を見出し生きてきました。
これからは、ひとりの女性として、あなたの背中を追いかけていきます。
大好きです、ありがとう。





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