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講評

仕事帰り、町中華でも…と思って立ち寄ったお店で「プレバト」がやっていた。

浜ちゃんの番組である。
俳句とか、アートとか、芸能人に作品を作らせてその道のプロに採点してもらうっていうバラエティ番組。ほとんど観たことは無かった。

プロ(以後、先生と呼ぶ)の採点は作者の知らない状態で作品を「才能あり」「凡人」「才能ナシ」の3段階で評価し、かつエントリーした芸能人に順位をつけるような感じ。絶対評価なので、1位の人でも才能ナシになる可能性もある。

お店で観た回が「ストーンアート」の回だった。川辺や道端で拾った石ころを絵の具などで着彩し、作品にする。ストーンアートの先生が審査員となり、芸能人の作品を格付けしていた。酔っていたのもあるが…観ていて思った事があるので書いていく。

①共感性羞恥

番組そのものに対する感想なのだが、バラエティなので、作品の講評によって観ている人を感心させたり、笑わせたりする工夫がなされている。芸人の出来の良くない作品を浜ちゃんが腐して笑いをとったり。それ自体は必要な事だと思うのだが、僕はなんだかそれを観ていて恥ずかしいというか、ムズかゆくなるのだ。職業病だろうか。何というか、番組の範疇なので、本気の講評じゃないというか、ヤラセ感を感じるというか、芸能人達は本気で作ってるような人もいればウケや好感度を気にして置きに行ってる人もいるんだけど、結局番組に過ぎないんだよな。講評する側もされる側も、「視聴者に分かるように」が前提につきまとう。それがみていてなんだか凄く恥ずかしい。長寿番組だし、多分一般的にはこんな事感じないと思うんだけど、だからこそ怖くもある。

②作品の見え方を限定してしまう怖さ

俳句もアートもそれ以外も、基本的に作品を呼ばれるものは、観た人聴いた人が自由に感じ取って感想を述べて良いと思っている。作品の意図を作者側が強要するのはナンセンスだし、色んな感じ方があった方が良いと思う。ヒエラルキーは無い、と思うのだが…

番組では先生が講評した結果が全てで、それに対して芸能人達は文句も言わずに感心するだけ。先生の講評が素晴らしいものとして、視聴者に伝わるのだ。なんだか作品の見え方を限定しているように感じて、怖い。先生が最下位に評価した作品が凄く良い!と感じる人もいると思うし、感じて良いんだよ!!って言いたくなる。

③先生の世知辛さ

これは芸能人の作品に対することで、僕が勝手に感じ取っただけだと思うんですが…芸能人がストーンアートで4組エントリーしていて、先生の講評が、1位の人が「凡人」で、2〜4位の組が「才能ナシ」だった。それに対してスタジオは「え〜〜!厳しい!」と驚いた様子。勿論番組上の演出なのは分かっているのだが、作品をみて僕はすげぇ納得していた。「妥当やなぁ!」と。

芸能人の大半が自分の職業や今感じている事や過去の回想をテーマにして拾った石でそれを表そうとしていたような気するんだけど、多分先生的にはそれは全然いやらしくて。僕は先生の作品を見て、先生は「見つけた石から主題を感じて、表して(現して)いくタイプの作家さん」と感じていた。彫刻ってより工芸的。偶然拾った石ころのかたちからインスピレーションを受けて何を描いて、表していこうか考える。自分の表したいもののために石を選んでいる時点でちょっと違うのかな、と感じていた。僕は先生に勝手にシンパシーを感じていた。

ただ①で書いた通り「番組だから」が前提にある。そんな事はゴールデンのバラエティで説明するにはニッチ過ぎるし、そんな事をふまえて丁寧に講評したって視聴者は喜ばない。的確に端的に、なにがダメで何が良いのかを分かりやすく!伝えないといけない。これは恐ろしい事である。解説のために要約し、削除された内容こそが、先生のアートワークの本質だというのに。自分の作家活動をチープに見せかねない。心中お察ししますという感じである。世知辛いだろうなぁなどと思って観ていた。

番組って分かってるし、全然考えすぎなんだけど、こういう面倒くさい事考えるのが好きだから許して下さい。

でもこれってまんま学校の美術の構図だよね。先生の評価が全てになりがちな所も、「学校の授業だから」と専門をどんどん単純化して切り売りしている教員の世知辛さも。

作者(生徒)主体は難しいねぇ。と常々思います。あと最近禁酒すれば割と節約になるんじゃね?とも思います。

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