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26歳、国立出身看護師

保健所でコロナの医療調整班の仕事を始めた私。
今日も隣のデスクには話したことがない人が座る。

今日、隣に座った女性は、前回保健所に来た時に見かけた人だった。

声が大きくて元気がいい、隣のデスクに新しく入った人が来たら、これでもかというくらい教えていたから印象的だった。

今回、私は3回目の医療調整班。

「わからないことがあったら声かけますので、よろしくお願いします。」と声をかけると、「私も1月からなんですよ。よろしくお願いしますね。」と挨拶してくれた。

朝から救急隊から搬送先の調整の連絡があったため、私が担当した。

このやりとりの中では、こんな風に言った方がいいですよ!と細かく隣から声をかけてくれる。

経過記録を書く際も、隣にピッタリついて書き方、文言からアドバイスをくれる。

電子カルテが使えればできるようなパソコン操作だが、たまにはどう操作したら良いのかわからないときがある。

そんな時に彼女に声をかけると、私のパソコンのマウスを握り、手早く操作する。

「今、どうやったの?」と聞かないと頭が追いつかない速度。

「手際がすごくいいんだけど、今はおいくつなの?」と聞くと「26歳です。」と笑う。

なるほど、私とは17歳も違うんだ。
どおりで手早くできるのね!と納得したと同時に自分の頭の回転の遅さを実感する。

年をとるとは、こういうことなのね。
彼女と同じようなスピードではできないが、ミスなく仕事ができる体を持ち合わせているんだという安心もあった。

彼女はつい最近まで国立で働いていたそう。
「国立だったの?いい所で働いてたね。辞めたのね、もったいない。」と思わず余計なことを言ってしまった。

「国立で人がバタバタと死んでいくのを見るのが嫌だったんですよ。毎日、人が亡くなりますからね…。疲れてしまいました。」と彼女は答えた。

確かに、医療機関によってはそうだし、私も人の病気や死というネガティブなことが日常だった。

それに嫌気がさしてしまったのは、私も同じだった。

彼女は、4月から整形外科の回復期リハ、地域包括ケア病棟がある病院で働く予定だと清々しい顔をして話していた。

人が死が日常ではない場所、それを求めたくなる。
看護師のリアルな気持ちだった。




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