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性に合わない人たちと付き合ってこそ・・・


「ゲーテとの対話」(エッカーマン著:山下肇訳)を読んで。
表題の言葉は、ゲーテがエッカーマンに言った言葉の一節ですが、
まるで自分が言われているように感じた言葉です。

君もそういうふうにするべきだね。・・・
とにかく、君は、上流社会へ飛び込んでいかなければならない。
もちろん君は、君の欲するように身を処せばいいんだよ。』

格言(太字)の部分だけでも、教訓として受け容れられますが、
この言葉をエッカーマンに言ったいきさつやゲーテの人柄や
エッカーマンへの期待などが知れて、より一層心に響いてきました。
『上流社会へ飛び込んでいかなければならない。』とあるのを
私は、「自分が居る環境と違う場所にも飛び込んでいかなければならない」と読み替えてもいいと思います。

エッカーマンがこの言葉を貰うまでのいきさつをみてみましょう。
ゲーテはエッカーマンの成長に資するために「ある名家を訪ねる様に」と
アドバイスします。
しかし、エッカーマンは訪問しませんでした。

その理由を聞かれたエッカーマンは、「自分の性格上の問題や、社交術を知らない事、今までの生活状況、そしてあなた(ゲーテ)が私の心に新しい時代を開いてくれて・・・あなたとのお付き合いだけで、私にはもう十分満足がいきました。」(これ以上受け入れられない)と答えます。

ゲーテは「君は妙な男だね」と笑いながら「君の好きなようにやって
みたまえ」と寛容の姿勢を示します。

エッカーマンは言葉を続けます。
「そのうえ、私は、社交の中に、たいてい自分の個人的な好意や反感、
それに愛し愛されたいという要求のようなものを持ち込んでしまうのです。自分の性分に合った人を求めていますので、そういう人には、喜んで献身するでしょうが、その他の人とは何の関係も持ちたくないのです」

ゲーテは「そういう君の癖は・・・」と話し始めます。
「もし、自分の生まれつきの傾向を克服しようと努めないなら・・・・」
「他人を自分に同調させようなどと望むのはそもそもばかげた話だよ・・」
そして、前掲の言葉に至るのです。

エッカーマンは、「私は、この助言を肝に銘じて、できうる限り、その通り行動しよう」と決心したのでした。

文章をそのまま載せるわけにはいかないので、一部分のつぎはぎになりました。伝えきれたかどうか不安です。

※今まで歩いてきた自分の道を振り返ると、沢山の人と関わる時季がありました。私にとっては関わらざるを得なかった時季ともいえます。
その時季は、自分の時間が欲しい、人と関わらなくていい時間が欲しいと、いつも思い続けていました。
それより、もっと前の思春季には自分らしさを探していました。
いま、思うとそれは何の解決策にもなっていない事が解ります。
性が合う人ばかりでなく、そうでない人との関わり合いが自分を造っていく、その中で自分らしさに気付き、自分らしさを育てられるという事に気が付いていなかったのです。
でも、本当は自分の生まれつきの傾向を克服しようとする勇気が足りなかったのだと思います。

ゲーテ邸を後にしたエッカーマンは、夕方、ゲーテから馬車での散策に招かれました。
散策の帰り道、沈んでいく太陽を見たゲーテは、しばし物思いにふけっていたが、ある古代人の言葉を口ずさみました。
「沈みゆけど、日輪はつねにかわらじ」
「75歳のもなると、時には死について考えてみないわけにはいかない。
死を考えても、私は泰然自若としていられる。なぜなら、我々の精神は、
絶対に滅びることのない存在であり、永遠から永遠に向かって絶えず
活動していくものだと確信しているからだ」と。

※私は、この言葉をエッカーマンが「あなたとのお付き合いだけで・・・
十分満足がいきました」と(歩みを止めてしまうような気持ちを)言った事に対して、「私たちの精神は・・・永遠に向かって絶えず活動していくものだ(だから)もっと学べ、経験を積め」という気持ちが込められているのかなあ、と受け留めました。

ここまで、読んでくれてありがとうございました。
この記事は3月27日に更新しています。

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