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映画『ウォール街』と『ウォールストリート』を見た

「ウォール街」は大金持ちを夢見る青年(証券マン)がマイケル・ダグラス演じるゲッコーという金融界の大物の元で働きながらお金を稼ぎ方を学びつつも、金銭欲が止まらず次第に違法なインサイダー取引に加担して最終的には逮捕され、恋人も職も失う話。

そして「ウォールストリート」はその続きもの。
ゲッコーは前作のウォール街ではインサイダー取引の容疑で捕まったことになっていて、今作では8年間刑務所生活を終えた後から話はスタートする。

両作品で対照的なのはゲッコー。
「ウォール街」では金にしか目がないエゴの塊で、頭が切れ冷酷な性格の持ち主。
主人公のバド・フォックス(チャーリー・シーン)に色々なことを教えていたが、やがてある会社の経営を巡りバドをお金のために利用したことからバドから仕返しを受ける。そして、2人ともこれまでのインサイダー取引の容疑で刑務所行き。

一方、「ウォールストリート」では刑務所生活を経てお金に対する考えが変わりこの世の異常な欲への追求のおかしさに気づいたらしく、ゼイベル投資銀行で働く新たなパートナーとなった主人公のジェイク(シェイアラブーフ)は、そうした彼の考えに惹かれた。

「ウォール街」でオリバーストーン監督は、今日の資本主義、自由主義的な価値観・社会に問題提起をしていたような気がします。
資本階級によって労働者階級の人達が振り回される構図も描かれていたし、しかも両者のお金に対する価値観や考えが全く違う。見ているところも違う。
誰かがお金を稼ぎ(創造)、使い、循環させる事で経済が発展して生活も豊かになるわけですが(コレが資本階級の説くお金を稼ぐことの大切さ)、"欲は善"と言ったゲッコーは世の中のためにというよりも自分の欲を満たすために、ですね。
コレが人間関係や親子関係、生活、身の回りのことに色々な問題を起こします。

「ウォールストリート」ではゲッコーとその娘ウィニーは絶縁状態でした。最後は再び親子に戻るのですが、元々そうなった原因もウィニーが父親のお金に対する考えに嫌気がさしていたことと、ウィニーの兄が薬物死したのは父親のせいだと考えていたこと。

「ウォール街」でのゲッコーの姿は金銭欲に取り憑かれた悪魔そのものでしたが、富裕層=悪いことしてる、みたいな考え・風潮は私は好きではありません。こうした潜在意識や集合意識みたいなもの、少しありますよね、社会全体に。

財源の話になったりすると特にターゲットにされてますが、好き放題言われてますよね。沢山稼いでるんだから、税金をもっと沢山収めろ、だなんて。

少し考えてみて欲しいのですが、この資本階級と労働者階級みたいな構図って自然発生したのかどうか。僕はそうは思ってません。誰かが考えて作り出した構図だと思います。

マルクスの資本論なんかその代表例ですが、こうした作品もその一環なのではないですかね。

陰謀論っぽくなってきたのでこの話は終わりにしますが、現代に生きてる私たちのほとんどは今の資本主義的な社会が出来上がる過程を見てきてはいません。
生まれた時からお金を稼がないといい暮らしはできず、お金持ちになれるのも一握りだという認識を植え付けられます。

つまり、気を付けなければ生まれた時から誰しも「ウォール街」のゲッコーやバドのような人物になる可能性があるという事です。
お金を稼ぐことが最初から"自分のため"になってるわけです。社会のため、なんか表面的にしか教わりません。

お金を稼いで今よりもっといい暮らしをする。
別にそれ自体に問題ないしお金を稼ぐことは全然いい事なんですが、どこか足を踏み間違えると映画の中の2人のように何か問題が起きたり、大切なものを失ったりする。

その"どこか"は人によって解釈はさまざまでしょうが、この2つの映画は大きなヒントを与えてくれてるのではないかと思います。
だから、「ウォールストリート」の方でゲッコーは、お金より"時間"を大切にすることを説いていたし、親子関係の修復に真っ先に取り組んだのだと思います。

バドも作中では、悪いことから足を洗って健全な証券マンに戻ることができたタイミングは何度もありましたから。途中から周りが見えなくなっていただけです。


映画の時代背景と今はかなり違うけど、すごく面白かっです。株式投資の勉強にもなるんじゃないでしょうか。色んな用語が出てきますし、80年代のアメリカの当時の雰囲気を少し味わえると思います。

あと、マイケルダグラスが渋いですね。笑

あまり話がまとまらなかったですが、
興味がある方はぜひ♪

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