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『K.G.F : Chapter 2』を観てからずっと、ロッキーに狂ってる。KGF1、KGF2の感想とか考察とか【ネタバレあり】

先日、日本に住むインド人向けの自主上映会で『KGF2(K.G.F:Chapter2)』というインド映画を観てからというもの、頭の中がそればっかりになっている。これはまずいと思い、考えを整理しようとまとめている。

KGFシリーズというか前後編(K.G.F: Chapter1、K.G.F: Chapter2)についてはこちらで動画付きでまとめている。はじめはこっちの記事に入れていた感想だけどもあまりにも長くなったので分けることにした。

1作目も良いけども、2作目のほうがスケールが大きい。たぶん予算もたくさん使ってるんだろうし敵が国家なので。よくもまあインドはこんな映画を作れるなあ、すごいなあという思いしかない。

はっきりとしたオチはかかないけど、ここから先はネタバレなので、物語を楽しみにしている人は絶対に読まないでほしい。観た人だけ読んでね。

※2023年7月追記:日本語字幕版を観たので、若干感想を加筆修正しています。


KGFシリーズ、一言で言うと神話だった。

KGF。1作目でのし上がったロッキーが、2作目で無双する。端的にいえばそういう物語だ。登場人物は多いが、そこまで複雑な話ではない。
イカれた(褒め言葉)マフィアの青年が、名実ともに王になる物語とでも言えばいいだろうか。友人は「悪のバーフバリ」だと例えたが、本当にそんなかんじなのだ。

ただ、『バーフバリ』シリーズとはベクトルが真逆なので並べて語ることは危険だし違う気がする。それでも、2作目を観終わった後の語彙を失う感じは、どう例えていいか本当にわからない。一番近いのは、たしかにはじめて『バーフバリ 王の凱旋』を観終わったときに似ている。

この映画をみてまず思ったのは、ロッキーが神話化されているということだった。
あくまでロッキーという一人の男が英雄となり伝説になり神話になる、その過程が描かれているのがこの映画なのだろうと思った。

ではどのあたりが神話なのだろうか。

1作目。貧しい家で育ったロッキーは、少年時代に何が欲しいかと聞かれたら「世界」と答える。世界を手に入れる。その大きな野望のために、彼はマフィアの世界でのし上がっていく。
それだけではなく、彼が忍び込んだマフィアの裏金作りを行っている金鉱では、多くの人々が虐げられていた。
ロッキーは彼らの姿を見て、自分の使命に目覚めていく。
そして敵を倒し、敵の代わりにマリアンマン女神(シヴァの妃。疫病の女神。カーリー女神と同一視もされる)の儀式で王となる。その流れは、まさに神話そのものだった。

2作目では、ロッキーは王となり今まで敵だった者たちを粛清していく。一目惚れした女性も手に入れ、順風満帆に見える。しかし命を狙われ、国からも敵視されるようになる。彼は手に入れた王国を守るために国と戦う。

最終的にどうなるかはここでは明確に書かないけれども、彼の生き様はまさに神話そのもので、第三者として彼の話を聞いている我々はただ圧倒されるだけだ。悪でしか救われない人々がいる。悪をより強い悪で駆逐する。そういうヒーローがロッキーなのだ。

王になるというところはバーフバリに似ているが、それ以外はそこまで物語が似ているわけではないと思うかもしれない。ロッキーはマフィアだ。あきらかに反社会的な存在なのだから。

しかしKGFは、叙事詩『マハーバーラタ』のような、インド神話によくある入れ子構造の物語である。第三者である語り部が物語を紡いでいくスタイルだ。これはバーフバリも同じだ。
入れ子構造の物語は、誰かが語る英雄の物語となり、より主人公であるロッキーを英雄化、神話化していく。
そしてこの映画でも、複数の語り部が重要な意味を持つ。

『マハーバーラタ』のカルナと『KGF』のロッキー

と書いてたら、なんと監督はインタビューで、KGFシリーズは『マハーバーラタ』を軸にしていて、主人公のロッキーはカルナだと言っていたらしい。

マジでびっくりした。やっぱり神話だったか。と唸った。
ただ、この記事の引用元がどこかはわからないし、神話大好きなインド人に向けた宣伝用の言葉だったのかもしれない。なので、あまり深い意味はないかもしれない。(オタクはすぐ深読みする)もしこれが本当だとしたら、インド神話オタクとしてはとても胸熱だったりする。

しかし『KGF』には、カルナのライバルであるアルジュナのような存在が出てこない。強敵はいるが、生まれながらのライバルではない。(アディーラさんは…ちがうよなあ…あのバーサーカーは…)
つまり『KGF』はアルジュナのいない『マハーバーラタ』であり、ライバルのいない世界でカルナが無双して世界をとる話なのだとしたら。
不遇な最期を遂げたカルナが、現代で世界を手に入れる話だとしたら。
カルナファンにとってはあまりにも嬉しすぎる。

追記:ドゥルヨーダナとラーヴァナでもあるロッキー

カンナダ映画ファンの方々や他の方も呟いていたのだけども、もしかしたらロッキーはカルナではなくて『マハーバーラタ』最大の悪役であるドゥルヨーダナではないか???あるいは『ラーマーヤナ』のラスボス、魔王ラーヴァナではないか????あるいは魔王バリではないか?????という気持ちがどんどん強くなってきた。
日本語字幕でみなおしてみて、あらためてそう思ったので、この点については今後まとめていこうとおもう。

ロッキーにしか救えなかった人たちがいる。したげられた人たち、正義では救うことができなかった人たち、彼らにとってロッキーは王であり神であった。

そう考えて、ふと『バガヴァッド・ギーター』がよぎった。クリシュナは、「人には役割があり、その役割を果たすために生きよ」と説いている。戦うために生まれたのであれば戦場にいくのが正しい姿なのだろう。であるならば、ロッキーは、自分の役割を知っていたからこそ、全ての常識をぶち壊して進んでいたのだろうか。

いやいや、ロッキーはハンマーを振り回しながら、「そんな教えなんてどうでもいい。俺が法だ!」と言うかもしれない。ロッキーなら、自分の心のままに進むだろう。

ロッキーにとっては、この世はかりそめのものだったのだろうか。
だから彼はあんなにも後先を考えず戦ったのかもしれない。
彼の生き様は太く短く、真っ直ぐだ。
などと、ぐるぐると考えてしまった。ああ、ロッキー。罪深い男……

恐ろしい女神と母親の存在

そしてここでどうしても書いておきたいのは、ロッキーと母親の関係だ。
母との約束は美しくみえるけれども、これ以上ないほど強い呪いでもある。
この手のマフィア系の物語はだいたい父と息子の物語だったりするが、この映画には明確な強い父の存在がない。(父はいるけど)
あるのは強い母。マリアンマンやカーリーマー(カーリー女神)のような、苛烈で強くて血を求める恐ろしい女神だ。子を生むが殺しもする、血の女神への畏怖と信仰の根底にあるものの象徴だ。

ロッキーが世界を求めたのは、母との約束があったからだ。
母との約束を果たすことがロッキーにとって一番大切なことだった。
しかし私は、ロッキーの母に、子を喰らう呪いとなった強い母性と愛を感じて身震いした。しかしそれはロッキーにとっては限りなく愛しい母の想いであり、過酷な世界で生きる力であったのだろうと。
彼があの環境で卑屈にならず自由に生きることができたのは、そこに女神のような母の愛があったからこそなのかもしれない。

そしてロッキーは母との約束を忠実に守った。
彼は大地女神の元に帰ったシーターのようだと思った。
大地から生まれた富が大地に帰っていくように、彼も同じなのだろうと。
黄金は大地女神そのものでもある。

ロッキーに王になる道を示した母は、やはり女神だったのではないだろうか。
彼は1作目で、即位の儀式で王になる。ならざるを得なかった。
ロッキーが王になるのは女神に定められた運命だった。
恐怖と血と力で世界を支配する女神が王と認めたのがロッキーであるならば、彼はなんとしても、その役割をはたさなければならないのだろうな、とも思った。だからこそ、物語の終わり方は、ああいう形でなければならなかったのだろうと思う。と自分を無理やり納得させようとしている。

実はこれだけ語っておきながら、KGFのストーリーは好みではないので…
私は女性が活躍する物語が大好きで、女子供が無駄死にする物語はしんどくてダメだ。そういった意味だとヒロインのリナちゃんがマフィアのお嬢であまりにも強くてかっこよかったので、2ではもっと活躍してほしかった。
リナちゃん………すごいすき…どうしてあんなことに……
でもこれはロッキーと母親との物語だから仕方なかったんだ、と言い聞かせてる。あと、敵のラミカ・センが強すぎた。すごいすき。

別の終わり方はあったんじゃないか。
ロッキーが母の想い(呪い)から解放され、愛する人と新たな未来を築く物語があってもよかったんじゃないかと期待していた。
たぶん何度この映画をみても、そう思うだろう。
でもこれは母を愛した、女神である母に愛されたロッキーの物語だから、彼の物語はこれが一番美しかったのだろう。そう思うことにした。
彼は英雄であり、この物語は語り部がつむぐ神話なのだから。

そして。私にとってはこんなにしんどい映画なのにこんなに惹きつけられて面白いなんてこの映画一体どういうことなの????と半分キレながら文章を綴っている。

さいごに

KGF2、世界中で大ヒットしているそうな。インドではバーフバリの売り上げを抜く勢いだとかいうニュースも入ってきた。

これほどまでにロッキーが人々を熱狂させるのは、コロナ禍で人々の間に山ほどたまった鬱憤を、ロッキーが全部吹き飛ばしてくれるというのもあるかもしれない。
ロッキーがいてくれれば、心の中にロッキーがいれば、少々のことがあっても生きていける。中途半端に悩むな。そんなもんぶち壊せばいい。ロッキーならそういう言葉を発する前に、行動で示してくれるだろう。

ああ、このへんの感想はバーフバリと同じようなかんじになってしまった…バーフバリとは違うんだけど、なんかそう思ってしまう魅力がロッキーにはあるのだ…ロッキー、ああ、ロッキー…

たぶんあと何度か字幕を読めば、もう少し違った感想も出てくると思う。
私にとっては観てよかった映画だった。

そして、ここまで書いた感想を見事にハンマーでぶち壊してくれたエンドロール、本当にありがとう。最高だった。

エンドロールが始まっても絶対に席を立つな。これだけは言っておく。

こんな作品を作ってくれてありがとう。感謝しかない。本当にありがとう。

ロッキーバーイ!さいこうだ!

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