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人生とは何か、神仏とは何か。人間の使命と宗教の原点について。

人は、なぜ生まれて死ぬのか。
人生は何のためにあるのか。
そして、神仏とは。

みなさん、こんにちは、SHOJIです。
今回は、ド直球のテーマを選んでみましたw。
こんなこと訊かれたって、答えられないよ。考えたことないし。。。
それに興味ないし、あなた、ちょっと「変」なんじゃないの?

こんな声が聞こえてきそうです。
今の世の中、これを考えること自体が、ナンセンスなのかもしれませんね。
でも、敢えてやってみます。

人生に意味なんてない。
生まれてきたのは、両親がいて、セックスしてこどもを作ったから。
自分の意志ではない。
たまたま偶然に生まれて、少しづつ大きくなって、学校に行って、
就職して、結婚して、家族できて、病気とかなったり、事故にあったり、
いろいろして、老人になって、死んでいくのが「普通」でしょ。

まあ、そう言われれば、そうか。これが「普通」か。
でも、その「普通」っていったい何なの? 平均ってこと? 常識。。。

では、ここで「大川隆法」氏の著作から
「要点」をピックアップしてみます。

人間と神仏の関係性と宗教の原点について

・私は、「普通の人間であればこそ、理想を持って、
多くの人々のために生きたいと願って当たり前」だと思っています。


・人間として「神仏、あの世、魂」を信じるのは当たり前のこと。
ただ、今の世の中では、そういうことを教えてくれません。
そのため、知らないことをもって‘’普通‘’と思っているかもしれません。


・新しい宗教は、人々の心の奥にある本音(無意識)を説明するための
言葉を与えている。


・「宗教」という言葉によって、十把一絡げにするのは無理。
宗教には、時代性、地域性、正邪と発展の違いがある。


・新宗教の心すべき要件は、

1番目に信用の確立。
2番目に新しい時代のニーズに応える変化・イノベーション。
3番目に宗教の中心に据えなければならない「徳」。
中枢部分に精神的な高みが必要。


・「幸福の科学」の行動原理は、
多様なる価値観を認めた自由にして寛容な精神を基にする。


・「幸福の科学」の運動は、「宗教」の信用回復運動でもある。

・この世の全ては「無常」なるもの。無常こそが原則。
全ては変化し、常なるものは何一つ無い。
この世の悩み・苦しみは、様々なものに「執着」することから生じる。


・神仏と人間の関係は、大宇宙に放たれた「投網」のようなもの。
その網目一つひとつの結び目が個性ある人間で、
それは縦横に繋がっている。そして、その全体を称して神仏という。


・人間の心の奥底にある「信仰心」そのものを消し去ることはできない。
すべての人が、霊的なる感覚を、魂の記憶を持っているから。


・霊的視点で見ると、人間が生まれてくる環境は、
偶然に与えられたものではなく、自分で選んだもの。
ならば、いかなる苦難や困難がその身に及んだとしても、
そのなかに今世の魂修行があると思い、
「魂の糧」を選び取っていかねばならない。人生は「合目的」的なもの。


・宗教の原点は、同時代に手探りで生きている人間どうしとして、
間違いを犯している人たちに、今、救いの手を差し延べること。
真実の神仏の声を伝えること。共に正しい道を歩もうと誘うこと。
一人でも多くの人の幸福を願うこと。
そして、それを実現しようとすること。



「神仏」「宗教」との出会いは、
自分の胸に聴いてみることから始まる

どうでしょか?
そう、これは「認識」の問題なんですよ。

どんな世界観で、この人生を捉えているのか。
人間はあの世から生まれた「霊的存在」で、この世で肉体に宿り、
幾年か生活して、また故郷のあの世に帰る。

この世でぶち当たる、諸々の事象は、
良い事・悪い事含めて経験として、「魂の糧」になる。
各々にとって、「人生は、一冊の問題集」であり、
その人特有で相応しい課題として与えられている。
これを納得して、認識できれば、
自分の人生を肯定的に受け入れるきっかけになるのでは、と思います。

世間の人たち、まあ「普通」の人が
「宗教」を警戒する風潮があるのは知っています。
でも、みんな気づいていないのかもしれない。
自分の無意識の中に「神仏」にあたる何かがあることに。

そのきっかけさえあれば、
自分のアイデンティティーがどこから来ているのか、わかるはずです。
その時、マスコミ報道や巷のうわさで慣らされた「宗教イメージ」を
新鮮な意味で捉え直すことも自然にできるようになると思います。

しかし、本当のことを知るためには、
まず、自分の心と向き合わないとダメなんですよね。
自分の心が真摯に「真理」を求めないと出会えないんですよ。

探求心は、必要だと思う。
純粋な心で自分の奥底にある「核」みたいなもの。
それが、深く納得する時、「信仰」が芽生える。

根源的な存在と自分とのつながり・一体感。それが「神仏」なんだと思う。
はっきりわかるのは、「神仏」は外にはいないって事。
切り離された外界には無くて、心の奥に内在する。

もう、ここらへんは「感応」の世界です。
それを気づかせてくれたのが、ぼくは「大川隆法」なんです。

氏の言葉は「言霊」となって、地上の人々に降ってきたんです。
この日本に。昭和・平成・令和の時代に。

だから、貴重な機会なんです。
「千載一遇」のチャンスなんです。
「宗教」は、このためにある。
神仏から人間へのプレゼントだと思います。
ほんじゃーまたね。(つづく)


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