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世間の「常識」は、果たして「真理」なのか⁉

みなさん、こんにちは。SHOJIです。
きょうは、「常識」と「真理」について考えながら
話をしていきたいと思います。

世の中は、いつの時代にも「常識」というものがあって、
人々は、それに基づいて物事を見て、考えて、判断しています。
なので、もし、その「常識」が変われば、人々の生活も変わるわけです。
と、思うんですよ、ぼくは。
過去の歴史で、めちゃくちゃ変わったのは、何と言っても、
「天動説」から「地動説」の時、なんじゃないでしょうか。
あれは、根底から常識がひっくり返る「事件」だったと思います。
まあでも、一瞬で常識が覆されたわけではなくて、
徐々に実証されていく過程でそう信じる人が増えていったんでしょうけど。

そういうことからして、「常識」っていったい何なのって。。。
ここで言えるのは、その常識の内容は、
不変の「真理」ではないって事がわかりますよね。

じゃあ、今度は、「真理」ってどういう事、
どこにある、どう決める?ってなりますね。
これが、ぼくの場合は、『太陽の法』大川隆法著に、
出会ったのが、きっかけでした。今、思えば。

その書籍の内容については、ここでは詳しく触れません。
宇宙と地球、人類の創世記。文明の歴史。この世とあの世の存在と関係。
人間の魂と心、その本質と使命。とかが、書かれた体系的な本です。

それぞれの人が一度、読んでみて、
「真理」とは何か、を考えるきっかけになれば幸いです。

ということで、この「常識」と「真理」の関係の中で、
常識として定着するには、どうしても必要なのが、
「信じる」という行為と「認識」の拡大だと感じました。
結論として、根本的には、「真理」はひとつです。
それが相対的でなく、絶対的な「神仏」から成るものであるなら。
だから、人間の側に要求されるのは、
ぶっちゃけ、究極は「信仰心」なんだと思います。

さて、みんなはどう思うかな? またね! (つづく)


『太陽の法』

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