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わたしたちの夢見るからだ【第七話】:タトゥーになった傷についての覚え書き

 ねこと暮らしている。
 ねこという生き物に常に敬意を示さずにはいられないため、ねこさんと呼ばせていただくが、ねこさんの身体や思考、情緒はそのように敬意を払ってあまりある大きな神秘を私に見せてくれるため、私は非常にねこさん達を尊敬して愛している。

 一緒に暮らしているねこさんの、遊びの気分が盛り上がったタイミングで、なおかつ爪がよく磨がれている場合、ねこさんにじゃれつかれた私の手や腕の皮膚に引っ掻き傷ができるという事は、まあまあの頻度で起きる。
 うすく血が滲む程度なので痛いというほどでもない。普段は石けんでざっと洗って治るに任せるだけのその傷だが、ある思いつきがあった。
 傷にインクを擦り込んで皮膚に残したい。
 トライバルタトゥーの手法として、何らかの刃物を使って肌を浅く切り、そこに色のつくものを擦り込むというやり方がある。シヌイェと呼ばれるアイヌのタトゥーもそのような手法で彫られていたと思う。やればやれないこともなさそうだと思った。

 そのようなわけで、先日ちょうどねこさんが私の手に引っ掻き傷を作った際に、その傷にエメラルドグリーンのインクを塗り込んでみた。
 粘度はインクによってまちまちだが、そのインクの粘度は高めで、皮膚に塗り込まれながらすぐに乾いてゆく。インクが硬くて傷に入らないということがあったら勿体無いので、水を一滴足す。水でインクをほぐすようにしながら傷のあたりによくよく塗りこむ。もういいだろうというところで、インクを洗い流した。
 私の手の甲には、2本の短いエメラルドグリーンの線が現れた。手の側面にも1本。全部で3本の短い線が、右手に刻まれたというわけだ。

 さて、今まさに経過を観察しているこの短い3本の線を、私はもうほとんどタトゥーだと認識している。傷は治り切っていないが、傷の中のインクはもう私にとってタトゥーになっている。
 
 ねこさんが私の皮膚につける傷に対して、傷そのものであるだけでも充分な愛着が生まれる。この傷をつけた時のじゃれ方はこうだった。かわいい。
 しかし傷はいつか治る。手の甲に横一文字の真っ直ぐな傷ができた時に、その見た目の真っ直ぐきれいなことと、上記のような愛着とが相まってずっと残っていてほしいと思った。しかしやはり傷なので治ってゆく。
 治りかけのその傷跡を名残惜しく眺めていたその時に、インクを擦り込んで傷を恒久的に皮膚に保存することを思いついたのだった。

 タトゥーの現場では、大抵の場合なんらかのタトゥーを入れるという目的が先んじて、手段として傷がつくられる。そこを逆転させただけなのだが、(つまりねこさんの引っ掻き傷をタトゥーにしようという発想は、傷の発生を前提として生まれたものだ)一連の作業を通し、普段他者に対して施す彫る行為、その行為を自らに対し順序を逆転させてやり仰せたということ自体に、私はずいぶん不思議な心持ちになった。

 もちろん、傷に愛着を感じるのでインクの形で残したいと思う、という出来事自体が頻発するものではないだろう。
 スカリフィケーションをはじめとした、瘢痕を残すことが目的の身体改造はよく行われるが、その瘢痕は瘢痕として身体の表面に残されるために創られる。瘢痕として残ることのないであろう小さな傷の恒久性をインクで補うということとは、おそらく志向が違う。

 ねこさんが私の手や腕に傷をつくるたびにその傷へインクを擦り込む私自身を、そのたびに手の甲に増えてゆくインクの色をした線を、想像してみる。
 それはなんなのだろうか。何がタトゥーと違うのだろうか。発生の過程が違うことで内容も本質的に違ってくると思うのだが、現時点ではうまく言葉にならない。

 このことについて考察し、次回新しい展開を記せたらと思う。

(※傷に対してインクを擦り込み跡を残す行為には感染等の可能性が伴います。安全のために同じようにはなさらないでください。)


執筆者:無(@everythingroii


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