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子供が投げたオモチャにそっくりなのに飛行船になれない【第一話】:「回想、私がペンギンを好きになったのは彼らが空を飛べなかったからなのか」

祖母が生きていた頃、祖母の住む長崎県によく父親と遊びに行った。
幼い私は長崎ペンギン水族館が大好きで何度も連れて行って貰っていた。
私の生まれは熊本県熊本市、寡黙で勉強好きな父親と精神的に不安定な母親の元に産まれた。それから成長するにつれて私が躁鬱病と不安障害に悩み閉鎖病棟に措置入院するまで、そして退院してから何を考えながらどう生きているかをここに残したいと思う。


「私の幼少時代は、青春時代はきっと楽しかったきっと愛されていたそういう事に今から出来ないか?」

小学3年生の運動会が終わった後家に帰ると私の部屋が出来ていた。
「子供部屋ができたよ」と母は言った、父親の部屋が私の部屋になっていたので私は両親が離婚したことをすぐに察した。
母はほとんど家におらず、私は祖母と祖父と暮らしていた。
毎日祖母に500円もらいコンビニで夕飯を買って1人で食べていた、祖父はアルツハイマーで毎晩のように茶碗が空を飛んだり私が空を飛んだりした。
熱したヘアアイロンが飛んできたので右手で受け止めた事もある「じゅわ〜」って音がした、美味しそうな音だった。
私は殴られたり怒鳴られたりする事に慣れっこだったので、学校で先生に昨晩の出来事を面白おかしく話していたけれど今思うと先生も相当気を遣って笑ってくれたのだと思う。
母が帰ってこなくても、1人での夕食でも、殴られたって子供の頃の私は大丈夫だった、だっていつか愛してもらえると信じていたから。そして可哀想な子になるのを私が許せなかった。大人の今でも可哀想と言われるのが嫌い、だって本当に可哀想な人になってしまうから。
中学にあがる頃には母が家に帰ってくる頻度も増えたそして私が忘れられない夜が来る。


「私の顔に一生消えない傷が出来たの、それじゃあ私は?」

中学2年の夜、私が虐待を受けているのを母が目撃してしまった。止めに入ろうとした母へ暴力の矛先が向き赤いピンヒールで母が顔を殴られていた。警察が来て祖父は連れて行かれ母は顔に傷が残った。そして「英里奈ちゃんがいなかったら私の顔に傷は出来なかった」そう母に言われ私たちは絶縁した。


「結婚しよう、家族になろうよ」

高校は祖父と離れるために福岡へ行った、福岡の高校には馴染めず、制服を着て家を出て百道浜で下校時間まで時間を潰した。
そのまんま出席日数が足りず高校は中退、何にもない時間を過ごしながら友達の勧めでローカルアイドルになった。
アイドル時代は楽しかった、家にいたあの頃よりずっと眩しくて愛を貰った。そして色んな人から愛を貰ううちに気付いてしまったのだ。
愛されることを知って弱くなってしまった。もっともっと欲しくなった。
アイドルじゃ無い私も愛してほしい。
今まで本当は家族に愛されてなかったんじゃないか?それなら今から家族を作って幸せな家庭を築きたい。
なんとなく、ここから私は堕ちていった気がする。


「誰かと居ても孤独だよ」

家族を切望しながら、私は単身で上京した。
友達が弾き語りのライブをやっているのをみてライブに憧れ、中学の頃から聴いていた深夜ラジオの音楽に想いを馳せながらギターと歌を始めた。何度か恋愛もしてそれらも曲にした。
ライブを通して出会った人と私は結婚した。全て手に入れたと思った。それでも、結婚しても寂しさが消えず私たちの結婚生活は挫折に終わろうとしていた。
誰かと居ても孤独だったのだ。
その気付きは私に大きな喪失感を与え、死にたいと思うようにまでなってしまった。
私はその頃からうつ病の芽が開いていってしまったのだった。
私がペンギンを好きになったのは彼らが空を飛べなかったからなのか。亡くなってしまった祖母に今すぐに会いに行きたいと思った。



つづく(魚住英里奈)


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