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突然ざわめきが【第六回】:『大槻ケンヂ』

君たちはカラオケで「僕の歌を総て君にやる」を熱唱して場を凍らせたことがあるか。 俺がカラオケで歌った際に友人がした合いの手と共に歌詞を書き連ねます。

大好きだよ君が 初めてさぁ言うが
僕の歌を総て君にやるよ
どうも俺は長く生きてないような
気がするから だから総てやるよ

そうなんだ・・・

さみしくてさみしくて十六夜の
闇の空で泣ける僕は

十六夜(いざよい)、カッコイー( ᴖ_ᴖ )‎←精一杯の合いの手だったと思われる

セラピストにも月一度には会うし
薬は常備3種類

あ、病気ってそういう・・・

君のスカートにポケットはあるか?
あるならホラ手出してごらん
人を救うはずなのに自分さえ
救えやしない俺のさ 歌だよ

(僕の歌を総て君にやる)

・・・

大槻ケンヂの歌声ってなぜか真似出来ない。がなるような、それでいて薄ら笑うような、それが詩の世界を更に深めている。歌声込みで彼の歌は成り立っているんだな…とカラオケに行くたびに思う。(当然か)

本当に、『キラキラと輝くもの』というタイトルはすごい、俺が自分自身に輝輔(てるすけ)と名付けたのもなかなか強気だと思っているが、『キラキラと輝くもの』はすごい。精神を狂わせ、そうして社会からフェードアウトしていくように死ぬしかないのが自分の人生であると悟った時、「僕の歌を総てを君にやる」と思えるか。相手がいるかではない、そう思えるかどうかなんだ。でも考えてみたら、大切であるものをふと手放す、というのは死期が近いことを悟っている人間が取る行動としてなんらおかしくないのかもしれない。その、静かに青く燃えている、それが消えるのもの知っている人間というのはどうもカッコよくて仕方がない。

俺たちはただ懸命に生きているだけだ。なのに、変人だとか頭がおかしいだとかを親や友人や他人から言われている、そういう人間にいつの間にかなっていた時に真正面から出会ってしまうのが大槻ケンヂの曲だ。”そういう人間”になったことにも、そういうレッテルを貼られたことにも絶望なんかしなくていいよ。


〇人を愛することとその切実さ

ナイフを握ってるな また殺っちゃたかい?
悪いくせだぞ すぐ殺すね、髪が赤いぞ
今度は友達かい?まさか彼氏を?
誰でもいいよ 僕が隠すチープなトリック

俺には殺人癖がある人を好きになったことも、そんな少女のことを守ろうと思ったことも、もちろんないのだけれど、この曲が好きでたまらない。

ザジ 殺ったならミッキー・フィン
人を 殺ったなら叩けよクラップ
暗い夜の歩道を白い手袋
手を繋いで逃げようずっと
疲れちゃったら休もう 君がケーキが食べたいね?
そしたら君は「バカ」と笑うかい?
ああ、バカだよ

(ザジ、あんまり殺しちゃダメだよ)

バイト帰りの真っ暗な道でこの曲を聴きながら熱唱し、ついでに号泣していたのだけれど、俺は一体この曲の何に泣いているのだろう。(このようなことをツイートしたら寝る前に泣きながら聞いていた時期があったという相互フォローの方がいて大変嬉しかった。)

もしかしたら、語り手の健気さと心強さに嬉しくなって泣いているのかもしれない。 大槻ケンヂの描く恋愛のようなものの形はいつも脆くて薄汚れている。

『香菜、頭をよくしてあげよう』では、”僕”はバカな恋人のために本や映画を教えてあげる。そうすれば、いずれ二人が別れた後も生きていけるだろう、と。

愛することは与えることであると彼の詩はいつも語っている。ハリボテのような、いずれ必ず崩壊していく関係であることを理解していながらもそれでも笑っているような、歌声が優しく響く。

タイトルの〈あんまり殺しちゃだめだよ〉、あんまりって…。完全に"僕"はザジを甘やかしている。人は1人も殺してはいけないのですが…(^_^;)と部外者が言ったところで"僕"は聞かないだろう。この愚かな男の歌が、俺の心に留まり続けている。

こんなに優しい人がそばに居たなら良かったな、いや違う、こんなに真っ直ぐ相手のことだけを想い愛を貫いてみたい。さながら俺の心は常に怪獣のバラードで、「海が見たい、人を愛したい」という欲求がある。"僕"は俺の思うひとつの理想なのかもしれない。法が許さないだけで、僕は君を許すし、愛している、そういった心は情けがないくらいかっこいいな。


〇それでも人生にしがみつく

モコちゃんいくつになった?そーか、七歳か
お兄ちゃんは七歳の頃、周りの人間はなんで
こんなにバカばっかりなんだろうって思ってたら、 自分の方がバカだったんですな、うん

(お散歩モコちゃん/筋肉少女帯)

わ、わかる。わかるわかるわかるわかる!!

わかりすぎて焦る。お散歩モコちゃんの歌詞はずっと凄まじい。ずっと強烈だ、だけどずっと現実だ。現実から逃げられることが許されなかった人の、歌だ…。と呆然とする。現実から逃げることが許されている人なんていない、だからつまりはこれは人間そのものもの歌だ。言い過ぎですか?そんなことありません。また、歌詞の方向性は全く違うけれど、『戦え!何を!?人生を!』と同じくらい、お散歩モコちゃんは人生を歌っている。

国道だ もうすぐさ
真っ赤な車通り過ぎる
かわそうとして倒れた
「大丈夫?」と声をかけられた
腕をはらいはね起きて
振り返らず彼は 「急いでますから」

(戦え!何を!?人生を!/筋肉少女帯)

なんだかやけに鼓動が早い、なんだかどうしても生きていることに耐えられない。だけども人生にしがみついている。それでも人生にしがみついているのが僕達だ。 突然に出会った音楽に救われ、何か大きな勘違いをしているような気がしてならないが、それでも漫画や映画やそこら辺を散歩している犬の夜の煌めきを真正面から受け止めていたい。

死ぬまで生きねばならんのだし、音楽ぐらい好きに聞こうよ。



執筆者:輝輔(@gv_vn8

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