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わたしたちの夢見るからだ【第二話】:わたしと、身体と 〈後編〉

前編はこちらから。


 もうひとつ、抑圧と管理の記憶について。
 国立の中学校の入試を受けることについて、よく理由を聞かれた。
 どう答えていたのだろう、はっきりとは思い出せないが、自分の中では明確な理由があった。わたしがもし受験をしなければ学区の公立中学校に通うことになる。その公立中学校には指定制服および指定ジャージがあり、それらを着て通学させられることに耐えられそうになかった。
 入試を受ける国立の中学校は、生徒の自主性を重んじる教育方針だと聞いていた。授業の内容も大学の座学のようにレポートを提出する形式のものが大半であったり、生徒による行事の自主運営が盛んであったりするらしい。
そして何より、指定の制服というものが存在せず私服で通学できた。
 当時のわたしが人より身なりに特別気を使っていたとか身につけているもののセンスが洗練されていたということは全くなかったし、周囲からすれば勉学への志があって受験するのが当然の前提のようだったので、私服で通学したいから受験をするのだとは言いづらかった。同じように国立の中学校を受験する子たちの言うことを真似て、何かしらもっともらしく答えていたのではないか。
 けれど実際のところ服装の選択の自由を剥奪されたくないということが、わたしの受験の動機のほとんどの部分を占めていた。

 小学校の登下校時に、よく学区の公立中学校の生徒たちに出くわすことがあった。
 男女で分けられた制服はみな一様に、機能的でない堅苦しい作りのものだった。ジャージで登下校をしている生徒もいて、いかにも昔の型、大きく中学校の名前が刺繍されていた。
 登下校の際、彼らが身につけさせられているものをこまごま観察しながらわたしは、いつか自分がそれらを身につけるのを強制されることを想像して気を重くしていた。
 デザインとして歓迎しづらい野暮ったさもその格好を受け入れがたくしていた、だがそれよりも、効率的でも機能的でもない、理由のなさげな野暮ったさを一様に強制するという体制の方針自体に、生徒を一定の管理の元に置き、そのことを外部の人間にも一目瞭然たるようにしておきたいという学校側の意図が透けて見えるような気がした。そしてそのような管理による抑圧を進んで受けにゆこうとは、わたしはどうしても思えなかった。
 
 そういった経緯で国立中学校の受験を決めてほどなく、学区の公立中学校の見学説明会が催された。公立中学校に進学すれば過剰な強制と抑圧を受けていると日々感じてしまうだろう、という想像の具体性が強化されるような見学会だった。
 見学の際サンプルとして配布された生徒手帳には、服装の規定とその方針についての項があった。曰く。
 髪型について。男子は耳にかからない程度の長さに。女子は髪が肩につく長さを越えたら、黒いゴムを用いて耳を出し後ろでひとつにくくること。(執拗に耳を見せる髪型にこだわるのは、ピアスの穴を開けさせないためらしかった。)スカートは膝が隠れる丈、シャツおよびブラウスのボタンはいちばん上まで留めること。制服の改造はしないこと。月に一度の服装検査では、化粧をしていないか、顔面の体毛を過剰に華美な形に整えていないか、ピアスの穴を開けていないかなどの点検を行う。云々云々。
学生らしい清潔な服装を心がけ、華美な格好は避けること、なぜなら服装の乱れは精神の乱れに繋がるから。云々云々。
 それらの規定の細かさと執拗さには驚かされたし、中学校における諸活動に特に関連のなさそうな無意味な規定に理不尽さも感じた。
精神の乱れとは具体的にどういった状態を指し、なぜ好ましくないかなどの明示はなかったし、ピアスホールのない耳や眉毛の形と学生らしさという曖昧な表現で示される何かの間に、関連らしい関連は読み取れなかった。
 ある個人の服装を管理すること自体について、その内容や言い分はあまりに粗雑だと感じた。
 一方的に決められたであろう目的不明な規範の羅列を眺めれば、やはり決まりを強制すること自体が目的化しているような気がしてならなかった。
盲目的に、そう決められているからという理由のみで任意の決まりを守ることのできる精神性をスポイルするような個人への扱いが、教育という名の下に施される場所で、生徒が人間として尊重されることがわたしには想像しづらかった。
最低限の選択を奪われた状況で盲目的に規範に従う人間像を求めておきながら、その旨を明確にせず学生らしさなどと雑で曖昧な言いくるめ方をするような浅はかな管理体制のもとで3年間を過ごすことは、やはり耐えがたいと感じた。

 人間らしく扱われたい。それが100%叶わないかもしれなくても、少しでもましな環境で過ごしたい。
少なくともわたしにとっては少しもましでない環境で中学生としての3年間を過ごすことを既に受け入れつつあるクラスメイトに、率直にその旨を告げるのは気が咎める。私服で通学がしたいから国立の中学校を受験すると素直に言いがたかったのはそういう気持ちもあったのかもしれない。

 わたしの現在の活動について。
 わたしはハンドポーク(手彫り)タトゥーアーティストとして活動している。
 人からもよく聞く言葉で、また自分の実感としてもあることだが、タトゥーを入れてから自分の身体により愛着が持てるようになった、というものがある。
 タトゥーを入れようと思ったことがなければ想像しづらいかもしれない。
 それはつまるところ、身体に思い通りのカスタムを施すということそれ自体という行為についての実感、そのカスタムによって自身の見た目を作り替えてゆくことにおける効果なのではないかとわたしは考えている。
 (美容整形についても同じフレーズを聞くことがある。整形をしてからは以前より自分の容姿を愛せるようになった、というような。)

 そもそもこの世に出現させられるということに、出現する側の意思は介在しない。どのような肉体を持たされるかについても同様だ。ランダムに持たされる肉体的な特徴を愛せるかどうか。
 資本の流れと結びついた規範的な身体のイメージが氾濫する今の社会生活において、どこがでっぱっているだの毛が生えているだのを作り替え、美しいとされる規範的身体像へ近づくことができるならば、それは当然(お金を払ってでも)作り替えなければいけないものだ、という意識を植え付けられ内面化させられることは(もちろん望ましいかどうかは傍へ置いておくとしても)不自然なことでは決してないと思う。
 そして規範的身体像の押し付けに従い自身の身体を規範的なイメージに寄せてゆく選択肢もあるが、そこから離れてゆくという選択肢もまたある。
 自身のありのままの身体への印象がすでに、無意識に忍び込み内面化された理想的身体のイメージとの差異によって傷つけられ、とても無邪気に愛せない状態まで落ち込んでしまっているとしたら。
オリジナルと思えるような何かしらの柄で彩った身体を改めて獲得することは、それも自らの身体を再び前向きに愛するに値するものとして作り変える行為になりうるのだと思う。

 身体を自分自身に無理のない形へなじませてゆくということは、なんて遠く無謀な試みなのだろう、と日々思う。
 社会的に使わなければいけない、そしてそれ以上に社会の側から、ともすれば主導権さえ奪われ誰かの利益のため使われてしまいそうになる身体を、どうにかして生き続けるのに苦しくない程度には愛着の持てる自らの一部にしようとし続けること。
 意識的に、あるいは無意識的にでも、私たちは身体をめぐる奪われと取り返しの間を往復しながらでしか生きられない。
そのための試みのいち方法としてタトゥーを入れることが機能するのであれば、時と場合によっては反社会的なカラーの強いものとして捉えられることもあるタトゥーアーティストとしての仕事も、社会的に抑圧され抗いながらそれでも前向きに人々の集まりの中へ与して生きようとし続けるひとの支えになれるのではないか。
 わたしはそういう可能性への希望を持っているし、これから先も自己や他者の身体の表面へニードルとインクによってアクセスすることの可能性、またその社会的な側面について観察し体験し考えることを、タトゥーアーティストとして活動しながら続けてゆくつもりでいる。


(つづく)

執筆者:無(@everythingroii

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