関西演劇祭『大人になろうか!』頑張って作ってます!(ボート部時代を思い返しながら)
◆ 11月24日(水)13:00〜
◆ COOL JAPAN PARK OSAKA SSホールにて、
◆YCA大阪校presents朗読劇
「大人になろうか!」
が上演されます。
◆ チケット1枚1500円 https://t.co/BeJqBFWXDO?amp=1
◆ あらすじ
『 芸歴4年目の若手漫才コンビ、あの日のドリンクバー、通称“あのドリ”、初の単独ライブ。そこに集まった5組の観客を中心として、群像劇が繰り広げられる。
・あのドリの高校時代の相方と元先生
・隣同士、だけど遠く離れる2人
・ドン底小説家と偶然出会った女優の卵
・悩める看護学生
・年中行事の父と娘
5組それぞれが、大人になりきれないという葛藤を抱きながらも、“あのドリ”との出会いを通して前を向いて歩き出す。 』
https://twitter.com/yca_yoshimoto/status/1450088665032495108
(⇧拡散のご協力お願いいたしますー)
昨日は僕は立ち会えていないけど、「大人になろうか!」の初稽古でした。
同期の僕が尊敬している子が、稽古の様子を見て感動したと言っていました。
頑張って脚本を書いた甲斐があったってもんです。
この朗読劇は、僕たちよしもとクリエイティブアカデミー1期生(YCA1期生)のみんなで今作りあげています。
そして、演者にはプロの役者さんや、よしもとアカデミーの芸人や役者の卵の同期が出演してくれます。
なっかなか大変。
やることがたくさんある。
脚本も書かなきゃいけない。
書いた脚本を他の人の書いたお話と上手く合わせなきゃいけない。
ポスターも作らなきゃいけない。
プロモーションも考えなきゃいけない。
稽古もしなきゃいけない。
なっかなか大変。
やってもやっても、この脚本でお客さん満足させられるのかなーとか、
このポスターでお客さん見てくれるかなーとか、
このプロモーションでお客さん集められるかなーとか、
いろんな不安がずっと渦巻いています。
本番が終わるまではずっと不安な状態なんだろうなと思います。
でも、お客さんを少しでも満足させるために、もっと良い脚本について考えたり、効果的なプロモーションの打ち手を探ったり、チームとしての結束をもっと強める手段を模索し続けています。
こういう精神状態は過去に何度か経験があります。
一つは、直近で言うと学園祭のOPV(オープニングビデオ)制作。
どこまでやっても、学園祭が終わるまでは全く安心できなかった。
これに関してはまた後日書くけど、とにかくアンケートでの評判がすこぶる良かったので、頑張って良かったなって思ってます。
OPVをベタ褒めしてくれてるお客さんもいたりしたので、とても嬉しかったです。
もうちょっと前で言うと、大学3回の時のボート部の夏の大会。
この時、僕はインカレに出られなかった。
正直、そんなはずじゃなかったと言うのが、5月頭の藤井だったけど、自分の弱さのせいで、9月のインカレには出られないことになり、その裏で行われている大会に後輩たちと9人で出ることになった。
本当は出たくなかった大会に、出たくもないメンバーと出ることになった僕が取れた選択肢は、ひたすらに練習することだった。
もうそれしか出来なかった。
へそを曲げて練習から逃げた瞬間に、自分の中の全てが終わるような気がして、とにかく練習をした。
練習に取り憑かれていた。
ボートで辛い想いをし、今まさに目の前にある大会は出たくもない大会だったから、練習なんてしたくなかったし、考えたくもなかったんだけど、もう何も考えられなくて、ただただ練習した。
それでしか嫌な感情や雑念を忘れることが出来なかった。
藤井はよく感情が張り詰めたりすることがあるけど、この時は人生を通じて1番ずっとピリピリしていた頃だと思う。
というのも、インカレに出れなかっただけではなく、クルーが最悪すぎた。
まず、ケガをする奴が多すぎた。さらに、
一人スーパー問題児も抱え込んでいたし、やる気もあって話も通じて頼りにしたい奴はケガばっかりするし、そのクルーに一人だけいた藤井の同期はクルーの中でも1、2を争うぐらいのクソ雑魚やし、3年にもなってすぐに身体痛めるし、同期のクセに僕と一緒にクルーを引っ張ろうとするんじゃなくていつも後輩たちに媚びへつらう側だった。
まともな奴がほとんどいなくて、クルー全員が敵にしか見えなかった。
中でも最も絶望した時のことは鮮明に覚えている。
富山まで遠征して合宿した2日目ぐらいに、1人が身体を痛めてしまって、やむを得ず8人乗りの船を7人で漕ぐことになった。
嫌だったけど我慢して、なんとか全員引っ張って練習していた時、クルーにいたスーパー問題児が練習中に暴れ出した。
そして、それを「やめて。ちゃんとやって。」って言うと、後輩のくせに「やってるやろが。」って逆ギレしてきた。
それは、今では伝説の名シーンとして語られているけど、まさか大学生にもなってこんなやつがいるとは思わなくて絶望した。
何で俺ばっかりこんな辛い目に遭わなあかんねん。コイツらは俺を苦しめるためにボートを漕いでるんか?と思った。
クルー以外も全員敵にしか見えなかった。
同期も先輩もマネージャーも全員敵に見えた。
どうせい俺たちのクルーには何も期待してないんだろ。
俺ら全体のことも、クルーリーダーの俺のこともバカにしてるんだろ。
みたいな思いがずっとあった。
ずっと心は晴れないままというか、練習している時以外はずっと不安で仕方がなかった。
大会本番に向けて、レース会場がある埼玉の戸田にインしてからも、8人乗りのボートには必ず必要な、船の舵取り(COXと言う)が授業の関係で、どうしても遅れてでしかインできなかった。
そして、あろうことか60歳近くのなんかよく知らない、ひで爺(下の名前が秀二さんだったから、勝手に裏でこう呼んでいた)とかいう伝説のOBさんに代わりにCOXをやってもらって、2日間練習をした。
その際、COXが管理するはずの機材を初日に船に配線したり、機材の接続が上手くいかないところをコーナンで買ってきた道具で調整したり、毎日機材を持ち運びしたり、充電したり、セットしたりするのも、全員のスケジュールを組むのも、ひで爺やひで爺を仲介してくれるOBさんとのやり取りも、全部当時クルーリーダーだった自分がした。
本来は、ボートを漕ぎはしない分肉体的疲労が少ないCOXがやっていたことだった。
もちろん、自分自身の漕ぎの調整や、コンディションの調整、リギングの調整(船やオールのパーツを自分に合った値に設定すること)、全員での漕ぎの統一、他のクルーへの漕ぎの指導、全員でのミーティング、などの漕手やクルーリーダーとしてやるべきことを全てやりながら、COXの仕事もやっていた。
伝説のOBのひで爺はいざ会ってみると、笑っちゃうぐらいにホンマに伝説だったこともあって、なんやかんややり甲斐はあったけど、すごく神経は張り詰めていた。
そんなこんなで迎えたレース本番はどうなったかというと、、、
予選を一着でゴールした。
僕の大学のボート部史上初の出来事だった。
しかも、一軍メンバーはインカレの方に出ているとはいえ、名だたる強豪校も全部なぎ倒しての一着だった。
信じられなかった。
何がどうなっているのか全くわからなかった。
30秒ほど遅れて、自分たちが一着でゴールしたことに気づき、思わず笑った。
叫んだとかじゃなかった。
いや、叫んでたのかもしれないけど、みんなたぶん笑いがこぼれてたような記憶がある。
必死で努力して、何としてでも手に入れたいものがあった場合、それが叶った時、人は雄叫びを上げるのかもしれない。
でも、自分たちに期待していたわけではなく、とにかく練習することでしか自分を落ち着けることが出来なくて、ただ練習に取り憑かれていただけの自分たちが、予想外の結果を手にしてしまった時、思わず笑ってしまった。
僕以外のクルーは、ある程度意識高く練習しているやつもいたけど、藤井に取り憑く練習の亡霊に無理矢理動かされてただけのやつが多かった。
たぶん相当嫌だっただろう。
他人に取り憑く亡霊に身体を乗っ取られて動かされるなんて、僕なら相当嫌だ。
でも、一着でゴールした時、みんな笑っていた。
クールダウンしながら、船を岸に戻しに行く時もみんな笑ってた。
「えっ?俺ら一着やん。」
「やりましたね。」
「だから、俺について来い言うたやろ。これが藤井の実力じゃい。」
「何か途中900mぐらいのとこで、あっもうこのままここで○○大学離せるわって瞬間ありましたよね。」
こんな言葉たちがたくさん飛び交った。
何だよ。一着になった途端、みんなこれかよ。可愛いやつらだな。(お前もな)
岸に上がってからも、みんなが興奮していた。
OBさんも現役も、みんながみんな興奮していた。
一年先輩で、当時はもう引退して、応援にだけ来てくれていた先輩のヤングさん(苗字が若井)が号泣していた。
こんな言い方すると、感動して泣いてくれたヤングさんには申し訳ないんだけど、キモいぐらい鼻水ダラダラで号泣していた(笑)
「良かったなー。お前ほんま良かったなー。お前1番頑張ってたもんな。ほんまもう辛かったやろう、このクルー。お前やったらインカレ出ても良かったはずやのに、このクルーなって。でも、ほんまお前頑張ってたもんな。助っ人で俺が練習参加した時とかも、お前がなんとかしようと必死なんわかったけど、大して何もしてあげれんくてごめんな。お前が一着でゴールできたの見れてよかったわ。おめでとう。」(鼻水ダラダラ)
他の先輩や、インカレに出ていた選手やマネージャーも声をかけてくれた。
先輩「良かったやん。正直藤井大丈夫かなーって、精神潰れるんちゃうかなって思ったけど、良かったな頑張って。お前ほんまめっちゃ頑張ってたと思うで。」
マネージャー「よかったね。藤井頑張ってたもんな。何かもうアタシまで泣きそうになったわ。ヤングさんが泣き過ぎで、冷めちゃったけど(笑)」
全部報われた気がした。
みんな自分の努力を見てくれていた。
勝手に1人で全部背負い込んで、「お前ら見とけよ馬鹿にしやがって。見下しやがって。絶対結果出して、お前ら見返したるからな。」って気持ちでいたけど、見返すも何も、みんなずっと僕の頑張りを見てくれていた。きちんと分かってくれていた。
どこからともなく声が聞こえてきた。
「もう、後はお前だけで大丈夫やろ。頑張れよ。準決勝期待してる。」
僕の肩に乗っかって離れなかった練習の亡霊がスーッと消えていった。
そして、迎えた準決勝。
実は、1番僕が覚えているのは、予選を一着でゴールした時じゃなく、準決勝前のアップの時だった。
びっくりするぐらい気持ちよく漕げた。
予選を一着で通過し、自信を取り戻したことにより、クルー全員の集中力が高まっていたのだろう。
全員の集中力が極限まで高められた状態で漕いでいたから、とにかく気持ち良かった。
僕のボート部人生で1番気持ちが良かった瞬間だった。もっと上手く漕げたこともあったはずだけど、あれだけダメダメだったクルーが極限の集中力で完璧に漕いでる瞬間の気持ち良さが本当に忘れられなかった。
ボートというのは、体力的にもしんどすぎるし、技術的にも難しくて、メンタル的にも大変なスポーツだけど、水の上をスーッと滑っていくようなあの感覚を一度味わってしまうと、またそれを味わいたいと思ってしまう。
このクルーでもその瞬間を味わえたことが本当に嬉しかった。
この表現でどこまで伝わるかはわからないけど、「水上に俺たちだけ」みたいな感覚というか、あまりにも気持ち良過ぎて、「周りの時間が止まっていて、その止まった時間の中を俺たちだけで突き進んでいる」かのような感覚になった。
あの極限の集中状態というのは、人生で後にも先にも経験したことがなかった。
いわゆるゾーンとかフロー状態とかいう状態の最高峰に達していたのかもしれない。
ヤングさんの号泣もめっちゃ鮮明に覚えてはいるけど、このクルーで極限の集中状態で、あんなにも最高の漕ぎができた瞬間が、僕は本当に忘れられなかった。
準決勝の結果は3位敗退だった。まあ実業団が2組いたから、仕方はなかった。
奴らに勝てるなら、プロレベルってことだし、決勝に進めるかどうかは実業団がそのレースの組に何チームいるかで決まるみたいなとこがあるから仕方がなかった。
悔しかった。勝てないとは思っていたけど悔しかった。もう一回みんなであの漕ぎがしたかった。最高の仲間達と一分一秒でも長く一緒に漕ぎたかった。
でも、負けたけど準決勝のレース内容自体は満足はしている。これまでで一番良いレースができた。
ソチオリンピックの時の浅田真央ちゃんのフリーの演技みたいな感じって言ったら伝わるかな?6位で負けはしたんだけど、これまでで1番最高の演技(漕ぎ)ができて幸せだった。みたいな感覚だった。
自分の人生において本当に忘れられない経験をしたレースだった。
練習の亡霊に取り憑かれ、不安で仕方がなかった。(この状態をリオデジャネイロオリンピックの時の福原愛ちゃん状態と呼んでいます。)
全員敵に見えたけど、一心不乱に頑張った。
でも、みんな敵なんかじゃなく、見てくれていた。
そして、結果を出したおかげで、あの最高の気持ちいい漕ぎができた。
この時から、僕はこう思うようになった。
「頑張っていれば、必ず誰かが見てくれている。」
それを胸にずっと頑張っていた。
でも、最近少し忘れていた。
「大人になろうか!」の朗読劇を成功させたいと思えば思うほど、周りから孤立していくように思えたりもした。
でも、そんなことはない。
正しく努力していれば、
努力は必ず!必ず!誰かが見てくれている。
頑張ろう。
せっかく巡り会えた最高の仲間達と、終演のブザーがなる直前まで頑張ろう。
きっと、準決勝前のアップの時みたいに、時が止まったかのような、2度と忘れられない瞬間が待っている。
まだまだやれる。まだまだ頑張れる。
みんなと一緒に、もっともっと遠くへ向かって頑張ろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?