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「かむ力、のみ込む力」を鍛えて長生きする方法

(この記事は、毎日新聞WEBでの筆者連載「百年人生を生きる」2019年8月23日に掲載した記事です。無断転載を禁じます)

食べることは、生命を維持するためだけではない、人生の大きな喜びでもある。しかし年をとるにつれて、かんでのみ込む機能は衰えていく。口の機能が衰えると健康を損ない、最終的には社会とのつながりが希薄になる恐れがある。口や喉の筋力が落ちて、口の力が虚弱になった状態「オーラルフレイル」を察知して早く対処し、口で食べて栄養を得られる期間を長くすることが健康寿命を延ばす秘訣(ひけつ)でもある。口腔(こうくう)機能のリハビリを専門とする日本歯科大学口腔リハビリテーション多摩クリニック(東京都小金井市)などを取材した。

日本歯科大学口腔リハビリテーション多摩クリニック=東京都小金井市、筆者撮影

歯を残すことが目的ではない

取材に訪れた6月の午前、日本歯科大学口腔リハビリテーション多摩クリニックに90代の男性が診療に訪れた。下あごに1本だけ前歯が残る以外は入れ歯。近所の歯科医から誤嚥(ごえん)のリスクが高いと指摘を受けたという。

歯科医の矢島悠里さんが、嚥下(えんげ)造影検査を行う。X線を喉に照射しながら、食べ物をのみ込む様子をリアルタイムでみる検査だ。調べると、のみ込んだ後も食べた物が喉に少し残っている。残る前歯を避けようとしてかむ動きに無理があると矢島さんは指摘し、抜歯して総入れ歯にすることを提案した。また、全身の筋力を上げるために摂取カロリーを増やした方がいいと考え、カロリーが高くて比較的食べやすいチーズを食べることを勧めた。

院長の菊谷武さんは「大切なのはダメになった歯を無理に残すことではない。健康な歯を残すということです。重度の歯周病などは抜いてしまったほうがよい。歯や歯ぐきに細菌が繁殖して、その細菌が肺炎を引き起こす危険性もある」と指摘する。

とはいえ、抜歯すればいいわけでもない。抜けば歯がなくなって食べ物をかめなくなるばかりでなく、体のバランスを保ちにくくなり、転びやすくなる危険性もある。菊谷さんは「人それぞれに合った入れ歯をつくり、かみ合わせを維持することが重要になる」と付け加えた。

歯が残るようになり高齢者の虫歯急増

実は、こうした菊谷さんの指摘には背景がある。

80歳になっても自分の歯を20本以上保とうと呼びかける「8020運動」は、2016年に達成者が51.2%になった(厚生労働省「歯科疾患実態調査」)。1993年には約10%だったので、これだけみれば大成功だ。だが残った歯が増えたことで、高齢者の虫歯も増えた。85歳以上で虫歯がある人は39.4%(93年)から72.1%(16年)に上昇したのだ。

口の機能に関わるのは歯だけではない。味を感知し、かんだ食べ物をまとめ、喉に送り込むのは舌の役割だ。細菌繁殖を防いだり、口の粘膜を保護したりしている唾液も重要な役割がある。しゃべったり笑ったりも口周りの筋肉が必要だ。健康な生活を長く続けるためには歯だけではなく、こうした口腔機能全体に注目する必要がある。その観点で注目されている概念が「オーラルフレイル」だ。

フレイル(虚弱)とは、健康状態と要介護状態の中間の状態で、適切な運動などで機能を取り戻す可能性がある。オーラルフレイルは口の機能が低下し始めた段階を指す。例えば、硬い物が食べにくい、食べ物をよくこぼす、お茶や汁物でむせる、滑舌が悪くなった――などの症状があれば、オーラルフレイルが疑われる。

オーラルフレイルは全身衰弱の前兆

人は加齢とともに心身の機能が衰えていく。いわゆる「老いの坂道」と呼ばれる現象だ。東京大学高齢社会総合研究機構の飯島勝矢教授は「坂の途中で対策をとれば、坂を下るスピードを抑え、健康寿命を延ばすことができる」という。「人は口から老いる」といわれ、オーラルフレイルが見られた時は、全身に衰えが及ぶ前兆と考えるべきだという。

飯島教授は「口の衰えは食事以外に会話を減らす影響もある。オーラルフレイルによって身体的な影響のみならず、社会的な孤立を深める可能性がある」と指摘する。

オーラルフレイルが続くと、硬い物を食べにくいため、軟らかい食べ物ばかりを選ぶようになり、かむための筋力が衰えて、かむ(咀嚼=そしゃく)機能がさらに低下してしまう。すると食欲低下や食べられる食品が減ることで、さらに低栄養や全身の筋力低下が進む悪循環に陥る。全身が衰えると外出も減り、社会とのつながりが希薄になる。

社会とのつながりが失われると会話の機会も減って口を動かさなくなったり、1人で食べることが多くなって食べ物への関心が薄れたりして、口を動かす機会が減り、ますます口の機能が衰える。こうやって悪循環を生み出し、虚弱化が進んで、物をかみ砕いてのみ込むことが難しい摂食嚥下障害になってしまうのだ。

オーラルフレイルの人の要介護リスクは2.4倍

同機構が12年から6年間、65歳以上の約2000人を対象に調べたところ、オーラルフレイルの人はそうでない人に比べて、4年後に要介護になるリスクが2.4倍に、死亡リスクも2.1倍にもなった。こうした研究結果などを踏まえ、18年4月から、オーラルフレイルの一部は口腔機能低下症として、検査や指導が保険適用になった。

オーラルフレイル対策には、歯科に行く以外にも、自分自身でできることがある。口の中を清潔に保って日常的に口を動かすことを意識することが大事だ。おしゃべりやカラオケでもいいし、かみ応えのある物をあえて食べてかむ回数を増やすのもよい。

ほかにも、口腔機能を維持・改善するために「パ・タ・カ・ラ」という音を繰り返し発声する「パタカラ体操」などのトレーニングプログラムもある。プログラムが有効だと分かっていても、1人ではなかなか続けにくいのが現実。そこで続けてもらうための工夫も出てきた。

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楽しく口の力を鍛える

「楽しさ」と「競技性」を付加して16年に始まった新感覚スポーツが「くちビルディング選手権」だ。

梅干しの種をプッと吹き出し、飛んだ距離を競う「飛ばシード」。鼻の下に張り付けたのりを舌先ではがしてのみ込む時間を競う「黒ひげペロリ」――。そんなゲームを地域のお年寄りから子どもまでが参加し、チーム戦で行う。選手権をきっかけに、12週間の口腔機能向上プログラムを家で実践してもらう。最後に選手権を開くことで、モチベーションを維持するというのが一連の流れだ。

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開発したのは、医療保健分野の専門職と、まちづくりに取り組む人たちとでつくる一般社団法人グッドネイバーズカンパニー(東京都品川区)。代表で医師の清水愛子さんは「正しい知識をただ伝えるだけではなかなか続きません。ワクワクを大事に、自然に予防効果も高まる方法として開発しました。食べるための筋肉と笑う筋肉は同じですから。同時に単に身体を鍛えるだけではなく、『つながり』など社会との関係も健康には不可欠なので、地域の人たち誰もが参加できる仕組みをと考えました」と話す。

16年秋以降、全国各地で選手権は50回以上開催され、2300人以上が体験したという。17年にはグッドデザイン賞を受賞し、オーラルフレイル対策として注目を集めている。いろいろな地域で開催してもらえるように、医療職など向けに講習会を開いているほか、個人向けに認定トレーナー養成講座を19年4月から始め、一層の普及を目指している。

また、サンスターはiPhone用のアプリ「毎日パタカラ」を18年12月から無料で提供している。スマホにむかって体操をすると自動で履歴が記録され、お口の状態チェックができる。

100年人生をできるだけ健康に、他者とのかかわりを持ちながら生きる。そのために口が果たす役割の大きさを再認識して、自らケアしていきたい。

(この記事は、毎日新聞WEBでの筆者連載「百年人生を生きる」2019年8月23日に掲載した記事です。無断転載を禁じます)

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