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信頼される暇人 そんな人になりたいな

今日、心に残った言葉がある。「信頼される暇人」。僧侶の松本紹圭さんが何気なく口にした。「お坊さんは信頼される暇人」といった言い方をされていた。なんだか、すごくいい。そんな人に私もなりたいものだ(出家したいという意味では全くないので。念のため)。

なにか手が必要なとき、「お、ちょうどいいや、あいつなら閑だろ」と声がかかる。「どうせ閑しているんだろうから、持ってきてやったぜ」と周囲が暇つぶしのネタ(遊びだったり、仕事だったり、お困りごとだったり)を持ってきてくれる。こちらもこちらで暇人だから、お声がかりやネタには、それなりに真面目にのめりこみつつ、楽しんでしまう。声がかからなければ暇を活かして、興味あることにとことん向き合う。これって、フリーランスの鑑じゃないですか。

前提は「信頼される」こと。ただの暇人じゃあない。それがミソ。信頼される暇人。だからこそ、周囲も相手にしてくれる。声をかけてくる。で、暇人の原則は縛られないこと。時間や組織、お金に従属してしまわない。ほどほどに。納得できないことは納得できないからと、また暇にする。真摯に、好きなように、暇を活かす。たとえ予定が混んでしまっても、周囲にはあくまで「暇人である」と春風駘蕩。心の余裕は失わない。そうした姿勢がまた信頼につながる。うーん、書きながら、そんな生き方、できたらいいなと思ってしまう。ちなみに、「お坊さん=信頼される暇人」とは到底思えないけど、確かに一部はそうかも。多くの僧侶は団体職員ですよね、失礼ながら。

というわけで、目指せ「信頼される暇人」宣言ですね。いや、宣言じゃあないな。つぶやきです。

#暇人 #お坊さん #僧侶 #フリーランス

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