声の記憶

いちばん馬力がいるのは自転車のひと漕ぎ目なんだ、そこさえエイッと頑張れたらあとは惰性で進めるんだ、だからひと漕ぎ目を大切に。

それをふわっと思い出して書いた自分がいたけれど、はてさてこれはどこで聴いた誰の言葉だっただろうかと記憶を辿っていたら思い出した、
石井裕之さんの言葉だった。

それこそ15年とかそれぐらい前なんじゃないだろうか、音声メルマガの走りみたいなのをされていて、それを聴いていた記憶があります。沢雉会というのを立ち上げられる前で、その話をよくされていたと思います。

繰り返し繰り返し聴いた記憶って、すごいなって。
忘れたように思えてもどこかの引き出しには入っていて、必要なときにこんなふうに出てくるんだって。

いままで関わった『先生』方から教わった言葉もそう、実は根気よく何度も何度も繰り返し同じことを伝えてくださったりしたにちがいない。

読んで雷に打たれたように感じる文章ももちろんあるけれど、肉声のもつエネルギーとかバイブレーションって、ただ文章を読み上げてるのとは違う、熱量やスピードや声の大きさ、そういうのを含めて聴く側に届くんだなって。

無意識に言っているフレーズや口癖、結局それをいちばんたくさん聴いているのは自分自身だから
(自分の/誰かの)力になるような言葉をかけてあげようという考え方はもっともだなと思います。

石井裕之さんの音声、あの熱量、目を閉じると思い出せる私。

かつて私の届けた言葉も、いつか誰かがこうして思い出してくれるようなことがあるんだろうか。


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