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器と、容量

見える/見えない
ピントが合う/あわない
についてごちゃごちゃと書いてしまったけれど、今日になってふと我に返ったことがあります。

私はタロットに出会う前から、リーディングの際にはメガネをはずしているのです。かけたままだとしっくりくるリーディングができないのです。とはいえ『見えてない』には変わりないわけなので初対面のデッキとか、はじめましてのカードで何が描きこまれているのか見るときは、ルーペのようにメガネを使う。

『メガネをはずす』とはこれまた比喩的な表現でもありますが、
もしかすると実際に『メガネをはずす』という行動をとることで
『フィルターのかかっていない、先入観のない状態にしたい』ということなのかもしれません。だとしたらこれまで無意識にやってきたその行動に、私はささやかながら敬意を払いたいと思います。

スマホが壊れました。と言っても、実はとっくの昔に壊れていたのですけどね。まずカメラがダメになりました(こちらの症状も『ピントがあわない』だった→そしてその時はこんなことに気づいてなかった)。
人によっては、スマホのカメラがダメになった=すぐさま修理か買い替えが必要だと思われるでしょう。それでも私は、スマホの機能のうち、カメラがダメになっただけ、としか思ってないわけです。こういう考え方は人によってさまざまで、ある人からは「壊れたスマホをいつまでも使っている人」と思われ、ある人からは「長く大切にものを使う人」と思われている。

さて、もう起動できないということであれば、クラウドに入っている以外のデータは全部、もう取り出すことができない。多少の自覚はあったけれど、私のスマホにはかなりのデータが入っていた。入れすぎだった。
今日はPCの前でもあらためてそれを痛感。定期的に整理はしているけれどメールフォルダも大概なことになっていて、どうしてとることにしたのか思い出せないようなメルマガを数件ざっくり解除した。いつか読むと思っているところが甘い。

PCにも自分の脳にも、容量ってものがある。仕事を抱えすぎればわかりやすくキャパオーバーだと思うのに、ただ受けとったデータをいれものに保存するだけだとそれが起きていることに気づかない。完全にアップアップのオーバーツーリズム状態の島にいても、そのことに気づかない人は気づかない。
洗濯機に衣類を詰め込みすぎたらうまく回らない(きれいにならない)。
冷蔵庫に食品を詰め込みすぎたらうまく冷えない。

うつわとしての『てのひら』はそんな大容量じゃないし高機能でもない。こぼれるものはこぼれるにまかせる、そのぐらいで行こうと思う。

明日はART in  YOUさんでの活動日なので、電話が不通ですとのメッセージをご主人に送ったのだけれど、返信がとっても素敵だった。


スマホのこと、ご不便ですね、、。。でも、何かプロセッシングですね。

さらっとこんな風に粋を伝えられる大人に・・・まだまだ目指していきたいものです。


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