ラオス・タイ イサーンを歩く旅 4
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ラオスの旅を終えて、ヴィエンチャンからタイ、ノンカーイに戻ってきた。
ここからタイの東北部イサーンの旅が始まる。
大昔、ラオスとタイのイサーンは同じ王国だった時期があって、ルーツは同じラオ族。
フランスがラオスをを植民地にした時に、ここに国境が引かれて、
最終的に、今のラオスとタイのイサーンに分けられた。
それからイサーン人たちはタイという国に同化することを強いられ、タイ語に括られる言葉を話すようになった。
イサーンにはタイとラオスが混ざり合った独自のカルチャーがある。
ヴィエンチャンから国境まで乗り合いバスで30分。
川を一つ越えただけで同じような田舎町だけど空気が明らかにタイに変わった。
まずわかりやすいところで、道路が左側通行になったこと、
田舎町でもちょこちょこセブンイレブンがあることがタイに入ったことを実感させてくれ、どこかホッとする。
鉄道駅まで歩いて行って翌日の列車のチケットについて教えてもらう。
ローカル線のチケットに予約というシステムはなく、当日の列車の時間に合わせておいでとのことで、タイムスケジュールを教えてもらった。
イサーンの終点 ノンカーイ
ノンカーイの町は駅からバイクタクシーで10分くらい行ったところにあった。
タイに入るとやっぱりGrab(配車アプリ)が使いやすくてとても便利。
適当に取った宿は1泊450バーツ(1600円くらい)で、ラオスの旅で泊まっていた宿と同じような値段なんだけど、部屋には冷蔵庫があって全体的に清潔。
田舎の小さなホテルだけど階下にはプール見えた。
田舎でもやっぱり観光大国タイのホテルのレベルは東南アジアの中でも特に高い。
宿からメコン川に向かって少し歩くと、アーケードのような市場が現れた。
小さな店がずらっと並んでいて、
お惣菜からお菓子、家具に電気関係、仏具屋に工具屋と、ここでひと通りなんでも揃いそうだ。
地元の人の生活の要のような場所らしく、外国人はおろか観光客らしい人も見かけることはなかった。
メコン川沿いはウォーキングストリートになっていてちょっとした食堂やカフェが並んでいた。
当たり前のことだけど、横を向けば川の向こうにラオスが見える。
歩いていて隣の国が見えることももちろんだけど、
つい数時間前まではずっと、メコンの向こうにはタイが見えていたので、今度はさっきまで居たラオスが向こうに見えることが新鮮だった。
川沿いは陽を避けられないのでとにかく暑い。
時々カフェにジュースを飲みに入った。
夕方近くなると通りに洋服や雑貨を売る屋台が増えてきた。
タイには何度も来ているけどあまり田舎の経験がなかったおれは、ノンカーイの時間の流れの穏やかさに驚いた。
静かでのんびりしていながら、どこか陽気で明るい雰囲気のするタイの田舎。
ラオスも長閑でのんびりしていたけど、明らかになにかが違う。
タイという国の安定感なのか、おれには身近なタイ人の気質みたいなものが滲み出てる町の空気感にどこかとても心安らぐような感覚があった。
バンコクにもそれがあるんだけど、やっぱり田舎の空気感の濃さは圧倒的だった。
街っ子おれが日本ではあまり出会ったことのなかった、"ほっとする田舎" がここにあった。
はじめてのイサーン料理
また田舎にいることを実感させてくれるのが、ナイトマーケットに並ぶ食べ物のバリエーションと値段の安さ。
バンコクでは見かけないような物がたくさんあって、その値段の安さもまたバンコク都心ではあまり見ない数字。
おかずとご飯の弁当が30バーツ(110円)くらい。
鳥や豚の串が5(18円)から10バーツ(37円)。
焼き鳥やイサーンソーセージ。
歩きながら気になったものを、ちょこちょこ買って食べているとお腹いっぱいになってくる。
川沿いの遊歩道にずらーっと屋台が並び、
広場では爆音で音楽を流しておばさんたちがダンスをしてる。
メコン川を臨めるような場所で毎晩こんなことが行われている。
こんな楽しいことがあっていいのか。
ノンカーイから国鉄の列車で隣の県、ウドンターニーという町を目指す。
駅前でみんなだらっと座って列車を待っている。
おばちゃんがとうもろこしを売りにくる。
あまりにもみんな食べているので気になって買ってみる。
「いくら?」と聞くと20(70円くらい)バーツというので払うと、4本もくれた。
一人でこんなに食べられない。
ノンカーイからウドンターニーまではたった45分。11バーツ(40円弱)。
国鉄の普通車両にはエアコンはなく、満席でむんむんとしている。
全部の窓がフルオープン。
スピードが上がると強風が入ってきて気持ちいい。
ウドンターニーはイサーンでは大きい町。
駅から少し歩いたところにはセントラル(タイによくある大型ショッピングモール)があった。
久しぶりにたくさんの外資チェーン店を見てテンションが上がり、つい贅沢にもマクドナルドでクォーターパウンダーをキメてしまった。
泊まったホテルはセントラルの手前の路地にあった。
この通りはバービア(ガールズバー)ストリートらしく欧米人のおっさんが多かった。
それでも地方だからか人は少なく、客引きのお姉さん(おばさん?)は昼間から熱心に声をかけてくる。
夜になると一帯、クラブミュージックが爆音で鳴り響き、
バーでは白人のおっさんが布の少ない服を着た女の子たちとビール片手にビリヤードを楽しんでいる。
海沿いの歓楽街、パタヤのような場所だ。
もちろんパタヤよりはぜんぜん活気が無く、のんびり飲めそうだけど。
宿の目の前にはコンビニ、ランドリー屋があり便利な通りだった。
ヴィエンチャンでの最後の宿の汚いエアコンの風にやられた鼻炎がじわじわ悪化して、匂いがしなくなってきていた。(日本でもたまになる)
せっかくの旅中に町の匂いやご飯の味がわからなくなるのはあまりにも寂しいので薬に頼ってみることに。
町の薬局に行って、
翻訳アプリで"鼻炎"と打った画面をおばさんに見せると、病院で処方されるような雰囲気の錠剤を簡単に売ってくれた。
朝昼晩1錠ずつ飲めとのこと。
1週間くらい飲み続けるとすっかりよくなった。
イサーンディスコに潜入
宿から少し歩いたところにタワンデーンというイサーンディスコがあった。
ここは前から目をつけていたスポットで、
イサーンを中心にタイ各地にあるディスコ。
イサーンの音楽を楽しみながら酒を飲んだりする場所。
中に入ると、体育館のような大きなワンフロアになっていた。
席に案内される。
夜10時前で、お客さんはほとんどいなかった。
メニューをライトで照らしながら、氷川きよし似のレディボーイの店員さんが親切にシステムを説明してくれた。
「ここはタイの音楽しかやらないけど大丈夫?」
おれが外国人向けのディスコと勘違いして入ってきたのかと心配してくれる。
だからこそここに来たんだけど。
メニューはタイ語だけでさっぱりわからないのでビールを頼む。
一番安いビールが195バーツ(740円)だったと思う。
チャージがない分ドリンクの値段が高い。
おれ以外のお客さんはみんな複数人で来ていて、ウイスキーやラムのボトルを頼んでソーダやコーラで割って飲むのが主流みたいだった。
きっとそうするとけっこう安上がりなんだろう。
毎回一本ずつキャッシュオンで払いながらちびちびとビールを飲んだ。
グラスのビールが少なくなると、すかさずスタッフが氷とビールを足しに来てくれる。
24時近くなってくるとどんどんと人が集まってくる。広い店内もほぼ満席。
それに合わせてバンドもロックっぽく激しくなってくる。
タトゥーだらけにサングラスみたいなイケイケな感じのバンドなのにイサーンの笛なんかの楽器が入るし、
ロックっぽいのもやるけど歌謡曲みたいなのもやる。
各テーブルで踊り出す人が徐々に増えてきてディープな雰囲気になっていく。
そうそう、こんなのを求めてた。
周りを見てると、
だいたいグループでも1〜2人がノリノリに踊っていても踊らない人は踊らないし、ずっとスマホで自撮りしてるだけとか、ステージなんかに目もくれずお喋りに夢中な人もいる。
ノリノリな人同士で他のグループに合流して一緒に踊ったり、とにかく自由。
おっさんおばさんもいればイケイケギャルのグループもいる。
ただ外国人や一人で飲みに来てるような人らほとんどいなかった。
ここでは同調なんてものはなくて、踊っていても、食べていても、話していてもいい。
ノリノリで楽しんでいる現地人を眺めながらチビチビ飲んでいると、隣のテーブルのおじさんおばさんたちがお一人様外国人のおれを面白がって招き入れてくれた。
40代くらいの夫婦とその友達のおばさん的なグループ。
センソム(タイラム)のボトルとおつまみをシェアさせてくれた。
おばさんたちがとにかくどんどん煽ってくるのでグイグイ飲みながら、おれもお返しに煽り、どんどんソーダ割りをつくる。
音が大きいのと、お互いの拙い英語で大した話はできなかったけど、とにかくジェスチャーでなんとなく楽しくコミュニケーションを取りながら、言葉もろくに通じないおれをごく自然に仲間に入れてくれた。
時間がさらに深くなると、どんどんクラブみたいな音楽になってきた。
おばさんたちは明らかに一昔前のスタイルのダンスで楽しんでいた。
日本で40代のおばさんがクラブで踊っていたら、"いい歳して" 認定されそうだけど、
ここでは老若男女が歌謡曲から最新ダンスミュージックまで、各々好きなように踊っている。
日本からみるとタイ人自体が基本的にパリピで、年齢も関係なく楽しい場所ではちゃんと手放しで楽しむ民族のように感じる。
そしてそれを人に強要することはない。
どこまでもおおらかで楽しむことに真剣なタイ人に憧れみたいなものを感じる。
結局メインのバンドの演奏が終わったのが夜中2時すぎ。
まだダンスミュージックが流れ、踊っている人もいるけどおれはそろそろ帰ることに。
ボトルはしっかり空になり、おじさんがお金を払い、当然おれからのお金は受け取ろうとしなかった。
「楽しかったよ〜本当にありがとう!」「バイバーイおやすみ!」と店を後にした。
ちょっと1杯のつもりが思いがけず楽しく飲むことができた。
しこたま飲んでへろへろ。
ここはひとつ日本式にシメのラーメン(バミー)でも食べたかったが、さすがに屋台はもう閉まってたのでコンビニのホットサンドを買って帰った。
乗り合いバスの旅
ウドンターニーに入って、初めて日本から持ってきたイサーンの地図を広げてこの先のルートを考える。
鉄道の通っている町に途中下車しながらバンコクに帰ろうと思っていたけど、
それだとほとんどイサーンの入り口を見る過ぎないことに気がついて、もっと奥地に行ってみることに。
地図にペンで、ざっくりゴールであるナコーンラーチャシーマーまでざっくりイサーン1周するルートを書き込み、
まだまだ時間もあるし長距離移動も億劫なので、基本的に通り道の町には寄ってみることに。
そうするとイサーンの大半はバスでの移動。
当初だいぶ持て余すと思っていた日程も、ざっくり計算するとかなりギリギリ。
とにかく雑にならない程度に丁寧に周れるところまで周ろう。
きびきびと田舎町の移動を繰り返す、少しだけハードそうな旅が始まる。
セントラル近くのバスターミナルから次の町サコンナコーンを目指す。
英語は全然通じないのでとりあえずいくつか並んでいるバス会社のカウンターを1つずつ「サコンナコーン」と呪文のように言って回る。
目的地方面のバス会社を見つけたら何時に出るか聞いて、お金を払う。
ここからほぼ毎日同じことを繰り返した。
サコンナコーンまでのロットゥー(乗り合いバン)の運賃は130バーツ(500円弱)だった。
ロットゥーはタイでポピュラーな移動方法。
大型のバスよりも頻繁に出ていることが多く、予約なしで乗る。
乗客がある程度溜まったら発車するシステム。
普通のバンなので車内は狭く、混むとぎゅうぎゅう。
大型バスよりも小さい分、追い越しもできるしスピードが出るので比較的早く移動できる。
藍染の町 サコンナコーン
ウドンターニーを発車したロットゥーは2時間ちょっとでサコンナコーンに着いた。
バスターミナルからはGrabバイク(アプリで呼べるバイクタクシー)で町に向かった。
市街地に宿を取ったはずなのに、町はとても静かだった。
近くには小さな個人店がぽつぽつあるだけ。
これでもサコンナコーン県のサコンナコーン市一番の中心部。
サコンナコーンは伝統的な藍染が有名な町らしく、町中にはコンビニよりも藍染の服や布を売る店が多かった。
この町で泊まったホテルは、外観がまるで廃ホテル。
本当にここであってるのかと恐る恐る建物に入ると、奥からヨボヨボなおじいさんが一人。
当然まったく英語が通じないながら、なんとかチェックイン。
部屋は外観の印象そのままに古くて簡素な雰囲気。裏の雑木林から鶏の鳴き声が聞こえてくる。
新しい町に着いたらまず、とにかく自分の足で歩いて土地勘をつける。
町の中心地から少し歩くと大きな湖があって、その近くの小中学校の前を歩いていると、ちょうど下校時間でたくさんの子供たちの渦に巻き込まれた。
学校の前の通りにはたくさんの屋台が並ぶ。
町でみるようなお馴染みの屋台もあれば、
軽食やおやつ、ジュース。駄菓子やおもちゃとかの子供向けも屋台が多かった。
中学校の前の屋台はがっつり系の食べ物が多く、
小学校の前は駄菓子やスイーツが集中してた。
子供たちに混じって焼きそばを買ってみた。
日本的なスタイルのソース焼きそばで、店主のおじさんは少し日本語を話せた。
1皿10バーツ(37円)。卵入りで20バーツ。
子供たち向けの良心価格。
日本の焼きそばよりはソースがスパイシーだけど、子供向けのなので辛さ抑えめ。
日本人にはタイの子供向けくらいがちょうどいいのかも。
良さそうな店を探して歩いているとローカルらしい食堂があったので入ってみる。
おじさんおばさんと20歳くらいの娘さんの家族でやっている店らしい。
外国人のおれが入った途端、お店の人たちは明らかに戸惑っている。
英語が通じない上にメニューも写真なしのタイ語のみ。
簡単な英語でなにがあるのか聞くも断念。
奥に米があるのが見えたのでタイ語で注文できるカオパット(チャーハン)を頼んだ。
水も氷もフリーで、勝手にクーラーボックスからグラスに氷を入れてジョグで水を注ぐ。
バンコクのレストランでは水はもちろん、氷も有料なことが多いので、このあたりは田舎っていいなあと思わせてくれる。
普通のチャーハンをちゃちゃっと食べてお会計をした。
数字はタイ語がでわかるのでお会計は問題ない。
帰るとき「アローイ(美味しかった)」と言ってみるもなぜかスルーされる。
こんな田舎では英語が通じないことは当たり前で、タイ語喋れないのに来ちゃってすいません、というスタンスになってしまう。
ノンカーイやウドンターニーよりもずっと田舎にきて、イサーンの旅の難しさを実感した。
今更急にタイ語がペラペラに喋れるようになるわけでもないし、コミュニケーション力でなんとか立ち回っていこう。
ここから英語が通じない人には基本日本語で対応するようになった。
不思議なものでその方がスムーズ伝わったりすることがある。
バンコクでは商売をやってる人はだいたい簡単な英語くらいは話せるし、
地方都市くらいの規模でもだいたいなんとかなった。
イサーンは外国人の観光客が来るような所ではないし、まったく勝手が違うのだ。
バンコクの逆で、基本的に誰とでも英語が通じないので宿のチェックイン、バス移動、レストランでの注文としょっちゅうだととにかくめんどくさくなってきてしまう。
それでもこんなに言葉の通じないなんていかにも秘境の旅って感じで面白いとも思ってる。
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